ダイアローグzakki

22.09.30

トムサックスとの対談目当てで買いましたが、読んだ感想としましては、他も、むしろ他が、もっと面白いかも。対談が年代順に並んでいる為か、後半になればなるほど熟している感がジュワジュワです。

面白いんですけど、読めば読むほど怖いですよね。ファッションの天上界では、物の良さどうのこうのではなくて、意味での殴り合いが現在も行われていて、その殴り合いでは本物とか物が良いとか元祖とか、そういうことが意味をなさなくなってきていると。その動きを現代アートのデュシャン以降になぞらえて云々というのがヴァージルアブローの流儀だと、対談から何となく把握出来ます。

となりますと、その意味の殴り合いに於いて、日本はまずその輪に入れていない可能性があるってことですよね。それか少なくとも、歴史のある“ものづくり”みたいな今まで強力な武器だったものが、つくりや品質を維持していても、いやむしろますます向上させても、今後は意味を与えられず打撃力が低下するという予言にも取れます。

こういう状況のときに、まず思いつく対処法としましては、輪に入らないと自分から宣言することです。ファッションから外れる、ファッションじゃなくてプロダクト(私の場合メガネ)だし、と積極的に距離を取る方法が思いつくんですけど、それに対しても本の中ではあらかじめ釘が打ってあります。

「p.34 私や私の友人たちは従順ではありません。それぞれ独立した考えの持ち主です。近しい友人の多くは、オフ-ホワイトのシャツなんて絶対着ないと言っています。人びとはよくファッションに興味がないと言いますが、その人たちの格好を見ると、往々にしてノームコアを着ているんです。私はこうした緊張関係のなかに新しいアイデアを見いだします。…」

少なくとも提供する側は、ファッション性を無視できない状況にあると予め述べられています。

昨年から今年にかけては、今このタイミングで反省をしますと、特にその武器の調節をしてみたという感じがします。

ツーポイントは、金無垢の手彫りです。サンプラチナの縄手です。なんかようわからんけどと言われてしまいそうですが、つまり緻密さの塊です。日本のものづくりの良さが前面に出た感じです。ただそのときから何となく、ファッション性には気を使っておりました。例えば上の枠なしメガネが3本載った写真を見て頂いて、茶色のレンズが元ネタです。80年代の枠無しメガネです。ダンヒルのフレームです。そのままではバブリーな雰囲気ですし、現在のヴィンテージメガネの流れも汲まなきゃなので、写真のピンクのレンズのメガネ、アメリカの30年代のメガネですがその雰囲気に寄せることにしました。足して2で割ると、真ん中右の緑のレンズのメガネとなります。

サーモントは、数ヶ月前にもあれこれ書いたのでアレですけど、銀無垢でサーモントを作ったらカッコいいよねきっと、そういうモチベーションだけに最終的には絞りました。銀という素材やそもそものサーモントという題材、そして日本のものづくりという要素をあれもこれも盛り込んだときに、荘厳過ぎてオブジェに還るという懸念がありました。もちろんサーモントも細部は緻密ですけどね。そこでいつも以上にファッションに寄せてみるということで、眉毛がクリアグレーのアセテートになっております。その辺詳しくは、過去のブログを漁って下さい。結局サーモントのときも、色々うるさく書いてしまってますけど、いつもよりは作りがどうのこうのという分析や、ツラがあって美しいみたいなことは書いていないはずです。物をコンテクスト抜きで見たら日本っぽく見えないようにしたわけです。日本でしか出来なかったという事実のみに、日本らしさを詰め込んだ感じです。

枠無しメガネにしてもサーモントにしても、もちろん同一のメーカーさんに作ってもらっていまして、ものづくりの精度を落とさずに、むしろそれの露出具合の調整でこういうある種対極的な結果になったと、振り返るとそんな気がします。

露出具合をどれくらいにするべきか、こういった悩みが生まれるわけですが、この本のどこかでヴァージルアブローがヘルベチカのフォントを使う理由が述べられており、それが参考になりそうです。数箇所あってページを忘れてしまいましたが、要は相手の無意識的な期待を裏切るという意味があるようです。日本人がものづくりの観点から喋ることは期待され過ぎていて、受け手の耳をただ通過しているかもしれないです。であれば、物の良さがやっぱり好きだからこそ、そこを諦めたくないからこそ、もっと隠して忍び込ませる必要があるのかなと、本を読んでいま一度強く思いました。

少し前に読んだ、穂村弘の形而上と形而下の関係を思い出したので、また『にょっ記』を読み直します。

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