資料megane

25.12.15

日本史の教科書とメガネの歴史がくっついたような、素晴らしいまとめ方がされており驚愕。ほにゃららの歴史とか何とかの社史とか、メガネ関連はぼちぼち集めております。その中でも日本史とハイブリットのこの本は、なんかもう凄かったです。纏めてくれてありがとうございますと、感謝しか無いです。

第二次世界大戦前後の様子とかなかなか様子が掴めないなぁ、みたいなところもこちらには記述があります。資料は焼けてしまっているので、記憶を頼りにまとめ上げているようですが、余裕でお腹一杯です。すごい。

 

(眼鏡店の記録 p.32)

(眼鏡店の記録 p.241〜p.242)

この記録によれば、1948年にレンズの拡大化(47ミリ→50ミリ)とあります。

(眼鏡店の記録 p.120)

先ほどのレンズの拡大化が先にあって、それをうけてか昭和26年(1951年)の変形型の成長が起こります。

(眼鏡店の記録 p.129)

ここで指す“変形型”とはパリジャンやウェリントンその他諸々です。型の命名に、フランスのパリが使われているということで、フランスのヴィンテージメガネの40年代というのも、その存在はある程度の確証が得られそうですね。ただ、フランスもドイツ占領下でしたし、なんだかんだで40年後半かなと推測しております。

また、この本が昭和52年11月10日発行です。編集に2年の歳月を費やして出来た本とのことで、つまり1975年の時点でウェリントン型という名称は存在していたことになります。

また、レンズの標準径が47ミリというのは非常に小さいです。例えばp.32のフレームの規格「寸五 45.5ミリ」や「五〇 41.5ミリ」で考えたときに、寸五はほぼPD=FPDを要請されるわけですし、五〇であっても許される内側・外側への平行移動は2.5ミリ程度しか無いわけですから、これもPD≒FPDとならざるを得ない状況であったということが伺えます。

さらに、1948年以降の標準径が50ミリだった場合でも似たような話で、パリジャン44ミリで3ミリ程度しか横に余裕が無いわけです。例えばF.D.R.の48ミリのフレームがあったとして、レンズ径が50ミリであれば内側・外側いずれにしても余白1ミリしかありません。これもまた自ずとPD≒FPDを要請されるパターンです。

 

これからのメガネは、何となく横長だったりツーブリッジだったりいずれにしてもレンズが大きめに揺り戻しが起きている状況です。オーバルとかスクエアとか、ティアドロップも選んでいただける機会が増えました。

当店ではいつも申し上げている通り、PD=FPDだけが正解なメガネの掛け方ではありませんし、それを成立させてクラシックなスタイルを作り上げても良いですし、結局はなんでも良かったりします。ただ今回、歴史を紐解いてみますと、当時の人々も『PD=FPDを正しいと考えてメガネを販売していたか?』ということに対しては、おそらく違うのかなと。レンズのサイズと、目と目の距離による制約条件によって、当時は自然にPD=FPDと成らざるを得ない状況であったのだろうなと、そうじゃ無いとメガネとして形にならないと、そんな風に想像出来ます。

 

 

_170831bk

pageTopLink