カテゴリー:雑記

モンドリアンも光
雑記

24.12.04

久しぶりに映画を観ました。

オランダに行ってみたくなりますね。世界史で海抜0メートル以下の地帯がめっちゃ多いとか、日本史でオランダの干拓技術がどうのこうのと習った記憶が蘇りました。でもそれは字だったり脳みその中の言葉として留まっており、その国で見られる風景はどういう感じになるのか、像については思い至っていませんでした。

DVD特典に『360度定点観測エンドレス映像』というものがありますが、度肝を抜かれました。ぐるっと地平線です。本編見た後だと、これこそ私が見たいものだ!となります。特典映像をこんなにしっかり見たの初めてかもです。

海外への渡航に長けていませんから、もしオランダに行けるとして、私ならパック旅行なんでしょうけど。何だかんだ観光地は建物があったりで、映画のようなぐるっと地球の縁みたいな体験は出来ないんですかね?パック旅行で、『映画 オランダの光 体験ツアー』とか組んでも、ニッチ過ぎる気もしますしね。映画中の観測地点に、半日くらい佇んでみたいものです。

映画の内容はあれこれありますが、モンドリアンがオランダ出身で、モンドリアンパターンもオランダならではの光の追求の結果なんですよ的な内容は全く知らなかったので、驚きました。

 

 

泡の味
雑記

24.11.08

10月は、振り返れば結構忙しかったのかもです。最後の木曜日以外を潰しているので、多分そうでした。

休みが無くなるのはどっちでも良いんです。そうなりますと、なんとなく撮りだめした番組が消化が出来ず、ほとんどサクサクと消してしまうことになります。何となく予約変更や取り消しをせずに継続で録画し続けた結果、なんとなく溜まってしまったものなので、サクサク消すこともよく考えたらどっちでも良いかもと思いながら消しました。

ただ、映像の世紀バタフライエフェクトがなぜか録画されていたので、それだけは観ました。ラッキーです。

いつも世界大戦周辺なんですけど、撮れていたのはバブル期の日本の話題でした。ダイエーとセゾンの2社を軸に構成されていて、これがまた面白い。その隆盛の時代を体験していないから、めっちゃ面白かったです。

私はそれくらいのときに生まれているわけですが、ということはあれこれ意識がある、なんとなく理解しながらニュースを見るとなりますと、2000年以降の記憶はぼちぼちあるのですが、それらの隆盛の記憶は無いわけです。生まれた頃の80年代後半の記憶はもちろん無く、90年代も時事みたいなものは全然覚えていないですね。90年代はミニ四駆、ビーダマン、ハイパーヨーヨーの記憶しか無いです。

一応調べてみたらアレですね、NHKって配信で番組毎に買えるんですね。

文庫版出てました
雑記

24.10.25

あと2・3回読まないと、何かコレだ!というのが掴めなさそうです。とりあえず1回目を読み終えました。

『ゼロから始める ジャック・ラカン    片岡 一竹著』

 

千葉雅也さんの『現代思想入門』で紹介されていました。なんだかんだ難しくて、現代思想入門と『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』で得たイメージをガイドにして読み進めることが出来ました。

目論見としましては、銀無垢のフレームの製作に何か影響が与えられればということで読み始めましたが、メガネ的には検眼に大いに関係があるように感じました。

30過ぎたら皆んな同い年と信じる
雑記

24.09.20

なんとなく存じ上げていて、カリスマという認識でした。本は今回初めて購入しました。

今週この本があることを知って、衝撃を受けました。読んでさらに衝撃。大袈裟かもしれませんが、時代が完全に変わった合図なのかなと。つまりはポストゆるいの時代が始まったのかと。

『シェアハウスという水槽 p.92より』

私が店を始めたのは、この歪みをどうのこうのを意識していたわけでは無いのですが、直近のブログにも重なるように、それでしか無い気もしています。私の歪みに付き合って下さり、ありがとうございます。じわじわと感じています。

この引用の前の、91ページ後半が凄くてすごくて。

 

期間延長
雑記

24.09.18

初めてメガネを掛けたのが小4なので、さっきの期間は少なくとも小4ですね。私以外の誰にとっても意味のない訂正をします。

思い出せば、はじめてのメガネは金のオーバルでした。金といっても黄色味が弱いシャンパンゴールドで、そういえば梨地でした。まさにiPhone16proのあれみたいな色と梨地の感じです。

なぜかメガネを掛けたくてしょうがなかったです。やっと手に入れたはじめてのメガネは、それはそれは嬉しく且つ、得られる明瞭さに感動しました。記憶が蘇ってきました。そもそもその頃から、自分の顔面に期待をしていませんでしたから、顔になにかを乗せることは別に嫌じゃ無かったです。ですからポジティブにメガネ選びに関わって、あの金の梨地のオーバルを選んだはずです。

現在、銀無垢のメガネ等々で光沢を推していましたが、原初は艶無しの梨地でした。光沢推しとなる何かきっかけが他にもありますね。

原始ナイロン
雑記

24.09.18

先週買いました。

新品の販売のお店なはずですが、めっちゃ古そうなナイロンでした。ペラペラで、織りが密ではない感じが堪らんです。

すぐ破れてしまうかも。値段はお手頃価格だったので、破れたとて諦めがつきますが、めっちゃ好きなので大事に長く使えるように努めます。

タグの感じも良いです。いまのプロダクトっぽい雰囲気が一切無いのですが、新品の販売のお店で買いましたし、やっぱり現代の製品なんですかね。それか古い物の未使用新品か。はてさて何者なんでしょうね。

ちょうど千葉雅也の『現代思想入門』を、3度目か4度目読み終えたタイミングもあり、精神分析的なことを書いてみます。おそらくこの手のナイロンが好きなことを遡ると、ナイロンにまつわる一番古い記憶では幼稚園のときのミッキーのリュックに繋がります。遠足のときにそのリュックが使えることがとても嬉しく感じていたと、そういえば思い出しました。あれ好きだったなぁ。

この手の風合いのナイロンの記憶だと、あとは小学校のときに乗っていたマウンテンバイクの、フレームについていた小さい三角形のカバンですね。あれが付いているから、全体がカッコよく見えていました。ママチャリには小さいカバンが付かないですからね。

店をはじめたときはアラサーで、いまはアラフォーの入り口にそういえば立っていました。店をはじめて8年半、名古屋では7年が経っています。自分の所属する世代が移りゆくことによる危機はいつも覚えています。それであれこれ趣向が変わったとか変えたとか、むしろ変えなきゃくらいな意気込みで焦っていたこともありました。結果、変わってない部分もありますし変わった部分もあるんでしょうけど、好きの根っこは変わらず大体あの辺に在るということに気づきました。焦ったとて、原始好きは変えようが無いんですね。好きの泉となる、人生におけるある決まった幅がありそうです。それが高校生くらいまでを幅とした泉で、音楽とか映画とかが好きの根源になっているとイケてるんでしょうけど。おそらく私の場合は小学校3年までって感じです。長く期間を取っても小6ってとこでしょう。

体感8年
雑記

24.09.13

店を始めたときくらいかなと思って買ってみましたが、発行が2011年でした。もう13年前でした。

かっとべ、マグナム!かっ飛べ、わたし!
雑記

24.08.21

謎の使命感で、出るごとに買っています。

トミカのミニ四駆再現版です。

買うごとに、小学校低学年のころの淡い記憶が蘇ります。そして買ってから思い出しましたが、その頃から天邪鬼で、一番最初に買った本体はソニックセイバーとマグナムセイバーの2トップを外してブラックセイバーでした。

ちなみにブラックセイバー版のトミカも今年の7月に発売されていましたが、気が付いた時には売り切れになっていたので悔しいです。ソニックセイバーでもマグナムセイバーでも無く、始まりはブラックセイバーでした。

進化版のヴァンガードソニックとヴィクトリーマグナムくらいまでミニ四駆にのめり込んでいたはずです。ヴァンガードソニックとヴィクトリーマグナムの次の車体は記憶に無いです。そうなりますと、個人的にはトミカもここらで買うのを止めどきかと。周辺のスピンアックス?とかロン毛の髪縛っている人のアレとかがトミカになると、揃えないとですね。

昔はヴィクトリーマグナムが一番好きでした。とくにヴィクトリーマグナムやヴァンガードソニックの前輪の被さっている感じがカッコいいと思っていました。それで、色では青が好きなのでヴィクトリーマグナム推しでした。当時はやたらめったらな肉抜きブームだったので、ウィングが小さいのもヴィクトリーマグナム派だった理由だったと思います。

ですが不思議なことに感覚は変わるもので、いまは炎の演出よりも車体の曲面に沿ったカラーリングの赤のソニック系が素敵だと感じるようになりました。赤と緑の補色の関係を利用して、静かながら力強い感じが滲み出ているのも素敵です。そしていまは、ヴァンガードソニックよりもソニックセイバーが一番好きですね。全てが途切れることなく流れているようで美しくカッコいいです。前輪からウイングまでが綺麗に流れています。自分の好きなマツダの787Bというレーシングカーに似ているのも、理由としてあるのかもしれません。今ならソニックセイバーですね。

当時、ブラックセイバーの次くらいに、この4台の中ではヴィクトリーマグナムを買った記憶があります。ヴィクトリーマグナムでいえば、コロコロコミックに掲載の改造で、同じ車体を買い、前輪のツメみたいなカバーを後輪にもつけている物が載っていたはずです。それがカッコ良すぎて、大人ってスゲーって感動したことを今でも覚えています。いまだに、“ヴィクトリーマグナム コロコロ”で画像検索すると出てきます。

裏のシャーシの感じとか、ホイールとか、ギアボックスの感じとか、ボディとシャーシを固定する緑のマフラー風デザインのパッチンの感じとか、綺麗に再現されています。

ミニ四駆にハマっていたときから30年くらい経ちます。あの頃のように、かっ飛べているかな、自分。

未来予知
雑記

24.08.14

怠惰の美徳から。これは完全に未来予知です。小説に限らず、なんでもこんな感じですね。

合成かぁ。そうやって自分も表現しよう。

全然怠けていない
雑記

24.08.14

テレビで紹介されていました。購入前にチラッとレビューを読んでみると、それこそユーモアとかあれこれ書いてありまして、脱力系な読み物かなと思っていたのですが。そういうサラサラ流れるエッセイもありつつ、底はけっこう重たいネットリした物が流れていました。

あとはこれとか。

なかなか重たい。

中公文庫の2024年第6刷のページ61から62にかけて、「世代の傷痕」というエッセイの結文は特に、探求への覚悟が滲み出ています。

“世代の傷痕、とかそんな抽象的なことは私は苦手で、誰かに説明を聞きたいと私は常々思うが、私の場合は以上述べたような恰好で生きて来た。そして今も生きている。やや不健全な市民として今から先も歩みつづけるだろう。そして戦争中の環境が私に強いた生き方、現在が私に強いる生き方を、感傷を交える事なしに見詰め探って行きたいと思う。それは私個人の問題ではなく、すべての人の胸にも通うものに違いない。その中から光を摑み出す以外には、光はどこにもありはしないのだ。その他の光はすべて偽光である。代用食やカストリ焼酎のような代用酒で、私は現今止むを得ず自分の飲食慾を満たしている状態だが、精神をまで代用の光で明るくしようとは思わない。代用品は日常生活の上だけで結構である。”

 

いまは100ページくらいまで読み終えました。パラパラ先をめくりますと、わりと気楽に読める内容が多そうにも見えますが。さきに創作と生活に対する真摯な悩みが垣間見えてしまいましたので、この先それらを笑い飛ばしながらサラサラ読めるのかどうか。変に裏を考えて読んでしまいそう。

脳みそが動いているが身体は動いていない、ということで怠けている訳では無さそうです。

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