カテゴリー:雑記

密林の秘宝
雑記

25.11.25

昨年載せた、ハイシェラのウエストポーチがダメになりました。めちゃくちゃ残念。おそらく1年ちょっとは使用できました。この感じのふにゃふにゃのナイロンのウエストポーチが巷に無いので、大事に使っていたんですけど。私が幼稚園児くらいのときの、90年代前半の遠足のときに用いたリュックのナイロン感ですね。実際これも、その当時の物だと思いますし。アラフォーなら毎日ノスタルジーに浸れる良いカバンでした。

背面のジッパーが破損です。

表面の解れ穴あきは、使用半年くらいで。財布の角や鍵の先っちょで突いているんでしょうね。ナイロン修理専用の頑丈な透明テープを貼ってやり過ごしていました。その上に何となくダイモテープでUNIQLOって貼っていました。なんかカッコ良かったのでつい。

現代のウエストポーチやボディバッグは、全部ゴツくてタフなんですよね。これはメガネにも言えることですし、耐久性等々の問題を解決してきた姿であることを鑑みますと、正しい進化なんですけど。つまりは、ふにゃふにゃが巷に無いわけです。自分の趣向を矯正して現代に沿わせるか、苦労して探すかの二択を迫られまして、とりあえず探すことを選びました。

アマゾンのオリジナルです。盲点でした。

ジップの金具がアマゾンのニッコリマークでかわいいです。個人的には、これでも生地がタフな感じがします。張りがあります。パソコン用のカバンみたいな手触りです。もっとペラペラふにゃふにゃで良いんですけど致し方なしです。いまでもこの形でこの雰囲気のウエストポーチが発売されており、いつでも新品で買えて、大幅に自分の趣向を矯正しなくても良い状況を作れることに感謝です。

ちなみにジッパープルは、先代のハイシェラから移植しています。前回のブログに関連して、自分のいつでも帰れる場所的な感じでいつものクロムハーツのキーホルダーも装着です。ちょっと前のブログの5,000円のキーホルダーは躊躇ったくせに、これは買ったんかいって自分でも書いていて思いました。いまの値段では無いにしろ、10年くらい前で10万超えていましたから。でもそのおかげで、最終的にはどんなカバンでも確かに幸せです。

ちなみにアマゾンカバンの容量は、スマホと小さい財布と、畳めるエコバッグくらいで限界です。ちなみにちなみに、財布ですと2つ折りタイプの正方形の財布がちょうど収まる縦幅です。

最近みたもの
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25.11.25

有識者の方からしますと、何を今さらという感じなんでしょうけど。とりあえず『仲野太賀 in アラスカ 【TRAIL】』をYouTubeで観ました。本編5本と、番外編もちらほら観ました。

幸せとは何か?に最終第5話で答えています。だいたい22分40秒くらいからその話題になって、23分ちょうどくらいから答えていらっしゃいます。

この旅では“帰る場所がある”という答えを仰っていまして、色々ある幸せの中のある切り口での定義なんでしょうけど、その回答にとても感銘を覚えました。

ひたすら前に突き進むという幸せもあると思いますが、帰る場所を意識して進む、帰る場所を作る努力をしておくみたいなことも大事なんだなと。3歩進んで2歩下がるとは、よく言ったものですね。

あと、『銀河特急 ミルキー⭐︎サブウェイ』も教えて頂きました。とりあえず見終わって、こちらはサクッといけるので2周目にいこうと思っています。

やっぱり欲しいかも
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25.11.07

めっちゃ久々に美術館へ。会期が割と短いです。

私自身、ちょうどダイヤモンドで埋め尽くしたい欲望期に入っています。水玉はまさにいま見たい物でした。平日も混み混みかと思いきや、そんなことも無く。大満足です。

お土産コーナーで、もしあれば、かぼちゃのメタルキーホルダーを買おうと思い立ち寄ってみました。定番商品として置いてありました。もう大人だし、たしか10年前は3,000円だったよなと、まあでも奮発するかと。大人だし。

値段見て、まあ家にも使っていないレゴのキーホルダーとかあるし、やめておくかと言い訳して退散しました。前回のブログの訂正で、ファッション以外もちゃんとインフレしていました。

これも読みました
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25.11.04

2011年の本でした。初めて読み返しました。

サラリーマンのときに買っているはず。ちょっと忘れました。そもそも店をやっていなかったらインスタ等のSNSはやっていなかった人間なので、そのときはあまり響かなかったかもしれません。この度は、めっちゃ面白いと脳汁出ました。去年くらいに『疾風怒濤精神分析入門 ジャック・ラカン的生き方のススメ 片岡一竹著』とかを読んでいたおかげかもしれません。

「個人の自由」と「身近な人間の承認」の葛藤から、承認不安が生まれるというところから話が進みます。何となくですが、ファッションにまつわる物の値上がり感って、他ジャンルよりも強い気がしていまして。それはインフレだから仕方がないよねというムードに加えて、その承認“不安”と資本主義の仲の良さも関係しているかもですね。

 

振り返りシーズン到来
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25.11.04

これが読書の秋ってことなのか。新しい本をモリモリ読む感じは無いんですけど、現在も続いているこの店を作ってきたと言っても過言では無い本を読み返しています。これに『君たちはどう生きるか』と他1冊も追加です。

来年で多分10年なんですけど、その振り返りと言いますかそんな感じです。あの時に読んだらこんな印象だったけど、いまはちょっと違うなぁというその差異が、次の10年を作ってくれるかもしれないので。

次の10年とか言いつつ、一寸先は闇です。そもそも相変わらずいつだって吹けば飛ぶような店です。検索で「ブルバキとは?→メガネの方は終わった」とならないように頑張ります。

今日も開いていました
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25.11.04

ある調べ物をしておりまして。他の人はこちらも質問の欄にこれが。

どっち?本家の?それともこの店のこと?

すげー
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25.09.21

初めてAIと会話してみました。ビジネスで使うのは、既に当たり前なんですね。

ブルバキのブログも、個々の投稿はAIにかけてから載せた方が、スッキリして読みやすくなりそうですよね。そもそも、カテゴリーの雑記は全て消去しましょう!商売に不要です!みたいな提案が返ってきそうで、とりあえずAIにかけずに垂れ流す所存ではあります。

 

まず今日の天気を聞いてみました。それで雨ですと返事。ということで、雨はどれくらい降るのか聞いてみました。それに対して、一日中降ることと、おそらく土曜日が休日であることから、雨の日のオススメの過ごし方をお調べしましょうか?みたいなプラス提案が返ってきました。

すげー!私より気が利く。聞かれたらことだけではなくて、プラスの提案もあります。提案があるといいますか、前回のブログに関連させれば、提案もあるけどどうする?というちょうど良すぎる火加減。コミュニケーションの勉強になるなぁと感動しました。

相手は機械と分かりつつ、なんだか気も引けましたが最後に「そこまで聞いていません。」と嫌なヤツmaxの返事もしてみました。すると

「そうですよね。つい張り切ってしまいました…。」

という切り返しで、ズキューンと心撃ち抜かれました。なぜかそこから頭の中での再生音声が女性に切り替わっていました。いやー凄い時代だ。

店でいうところの
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25.09.14

本書の内容に則りまして、いつもの感じで感想や考察は書かないでおきます。最近読んだ本です。お客さんがメガネの型直しの待ち時間で開いているのを見て知りました。読み終えたところです。

私も、もれなく物語化おじさん側ということで話を進めます。そういえばなんですけど、近い話で能書を垂れてるって揶揄されることが無いよなぁと。もちろん探せばどこかで言われいるのでしょう。気づけていないだけかもしれません。ただ店は、特に個人店は垂れれば垂れるほど良かった時代が、ちょっと前まであった気がします。

近い感覚ですと、ネットもレスバの時代です。能書き垂れるな!で、シャッターがズドンと降りてもう終わりみたいなことが起こり得なくなってますね。この本では物語化や考察というキーワードが出てきます。ブルバキに当てはめれば能書きだなということで、能書を軸に反省しておりました。

ブログであれば読み手が勝手に読み飛ばすなりブラウザ消すなり、シャッターをズドンって降ろせますから、とりあえず垂れ流せるだけ流す努力はしております。それでも黎明期のブルバキのように垂れ流せないのは、半分は垂れ流していないだけだったりもします。こういう本が出始めるということは、そういう能書きだったり物語化の終わりの始まりみたいなものの訪れが、やはり来たということでしょうか。気をつけなくては。

店頭でも、昨年くらいからたまに「その部分について、1〜10段階でどれくらい聞きたいですか?」という感じでお尋ねしてしまっています。スマートな接客では無いんですけど。ステーキのレア・ミディアム・ウェルダンのアレで思いついたんですよね。

この前は、とりあえず少なめでということで自分的に3かなと思ってお伝えしたら、相手は5と仰ったので、まだまだ難しいなぁと感じました。垂れ癖がついてますね。

 

成長が怖い
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25.09.10

出来るようになってしまったかも。嬉しいような悲しいような。

最後の最後、隣合う二つが交換出来れば完成までは到達しておりました。そのビジュアルに囚われすぎていました。これまでは、二つを交換しようと何となくグニュグニュしておりました。

今日たまたま、2つを都合よく交換するだけの操作はひょっとして存在しなくて、キーとなるこのピースを反転させながら他の3つが時計回りか反時計回りに一つずつズレると、それはそれで揃える事が出来るなということで、そんな心持ちでグニュグニュ動かしていたら出来てしまいました。具体的な操作が頭に浮かんでいない、本当に心持ちだけで無意識にグニュグニュした結果、突然出来るゾーンに入ってしまった感覚です。

 


雑記

25.09.03

子どもが指を使って足し算をしていました。どうやら小3の親戚に教えてもらったらしいです。

何か問題を出してくれとのことでしたので、ある程度のところで

「1+0は?」

と尋ねたところ、3秒くらいフリーズして分からないと回答していました。ゼロは難しいとも言っていました。

本当にその通りだなと思いました。無いものを足すって、果たして足しているんですかね。ゼロを足すって何なんですかね。足さないとは違いそうですけどね。ゼロに足すなら納得もすぐに訪れるのですが、ゼロを足すって難しいですね。

以上が大人の勝手な深読みで、単純にこどもはゼロが指で表現出来ないことを訴えていました。それで足せないと。ここも勝手に深読みすれば、Φと{Φ}の違いみたいな話なんですけど。

算術として、+0はそのままと習う訳で。足し算の中では最も簡単なケースです。思い返せば、ゼロの足し算の宿題プリントは、一瞬で終わるボーナスステージ感があったなと、微かに記憶が残っています。その算術としての理解の容易さと、ゼロを足すことの納得の困難さと、そういえばその場面まで混同していました。ということで、確かに難しいねと共感して終わりました。小学生になれば分かることですし、分かっていない今の方がむしろ、分かっているかもしれないという稀有な時期かもしれないので。

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