カテゴリー:雑記

かっとべ、マグナム!かっ飛べ、わたし!
雑記

24.08.21

謎の使命感で、出るごとに買っています。

トミカのミニ四駆再現版です。

買うごとに、小学校低学年のころの淡い記憶が蘇ります。そして買ってから思い出しましたが、その頃から天邪鬼で、一番最初に買った本体はソニックセイバーとマグナムセイバーの2トップを外してブラックセイバーでした。

ちなみにブラックセイバー版のトミカも今年の7月に発売されていましたが、気が付いた時には売り切れになっていたので悔しいです。ソニックセイバーでもマグナムセイバーでも無く、始まりはブラックセイバーでした。

進化版のヴァンガードソニックとヴィクトリーマグナムくらいまでミニ四駆にのめり込んでいたはずです。ヴァンガードソニックとヴィクトリーマグナムの次の車体は記憶に無いです。そうなりますと、個人的にはトミカもここらで買うのを止めどきかと。周辺のスピンアックス?とかロン毛の髪縛っている人のアレとかがトミカになると、揃えないとですね。

昔はヴィクトリーマグナムが一番好きでした。とくにヴィクトリーマグナムやヴァンガードソニックの前輪の被さっている感じがカッコいいと思っていました。それで、色では青が好きなのでヴィクトリーマグナム推しでした。当時はやたらめったらな肉抜きブームだったので、ウィングが小さいのもヴィクトリーマグナム派だった理由だったと思います。

ですが不思議なことに感覚は変わるもので、いまは炎の演出よりも車体の曲面に沿ったカラーリングの赤のソニック系が素敵だと感じるようになりました。赤と緑の補色の関係を利用して、静かながら力強い感じが滲み出ているのも素敵です。そしていまは、ヴァンガードソニックよりもソニックセイバーが一番好きですね。全てが途切れることなく流れているようで美しくカッコいいです。前輪からウイングまでが綺麗に流れています。自分の好きなマツダの787Bというレーシングカーに似ているのも、理由としてあるのかもしれません。今ならソニックセイバーですね。

当時、ブラックセイバーの次くらいに、この4台の中ではヴィクトリーマグナムを買った記憶があります。ヴィクトリーマグナムでいえば、コロコロコミックに掲載の改造で、同じ車体を買い、前輪のツメみたいなカバーを後輪にもつけている物が載っていたはずです。それがカッコ良すぎて、大人ってスゲーって感動したことを今でも覚えています。いまだに、“ヴィクトリーマグナム コロコロ”で画像検索すると出てきます。

裏のシャーシの感じとか、ホイールとか、ギアボックスの感じとか、ボディとシャーシを固定する緑のマフラー風デザインのパッチンの感じとか、綺麗に再現されています。

ミニ四駆にハマっていたときから30年くらい経ちます。あの頃のように、かっ飛べているかな、自分。

未来予知
雑記

24.08.14

怠惰の美徳から。これは完全に未来予知です。小説に限らず、なんでもこんな感じですね。

合成かぁ。そうやって自分も表現しよう。

全然怠けていない
雑記

24.08.14

テレビで紹介されていました。購入前にチラッとレビューを読んでみると、それこそユーモアとかあれこれ書いてありまして、脱力系な読み物かなと思っていたのですが。そういうサラサラ流れるエッセイもありつつ、底はけっこう重たいネットリした物が流れていました。

あとはこれとか。

なかなか重たい。

中公文庫の2024年第6刷のページ61から62にかけて、「世代の傷痕」というエッセイの結文は特に、探求への覚悟が滲み出ています。

“世代の傷痕、とかそんな抽象的なことは私は苦手で、誰かに説明を聞きたいと私は常々思うが、私の場合は以上述べたような恰好で生きて来た。そして今も生きている。やや不健全な市民として今から先も歩みつづけるだろう。そして戦争中の環境が私に強いた生き方、現在が私に強いる生き方を、感傷を交える事なしに見詰め探って行きたいと思う。それは私個人の問題ではなく、すべての人の胸にも通うものに違いない。その中から光を摑み出す以外には、光はどこにもありはしないのだ。その他の光はすべて偽光である。代用食やカストリ焼酎のような代用酒で、私は現今止むを得ず自分の飲食慾を満たしている状態だが、精神をまで代用の光で明るくしようとは思わない。代用品は日常生活の上だけで結構である。”

 

いまは100ページくらいまで読み終えました。パラパラ先をめくりますと、わりと気楽に読める内容が多そうにも見えますが。さきに創作と生活に対する真摯な悩みが垣間見えてしまいましたので、この先それらを笑い飛ばしながらサラサラ読めるのかどうか。変に裏を考えて読んでしまいそう。

脳みそが動いているが身体は動いていない、ということで怠けている訳では無さそうです。

まさに暑すぎてヤバい!
雑記

24.07.30

この前のプリキュアのタイトルが『暑すぎてヤバい!』でした。

本当にそんな感じで毎日参っちゃいます。昨年は感じなかったのですが15時ごろにエアコンの効きが悪くなる気がします。そして作業スペースがとにかく暑いです。原因はおそらくこれ。

割と低くおろしているので、熱を感じます。検眼スペースにもこれがあと1つあります。もう一つディスプレイで同じワット数のコレを使っているので、店内で使用している白熱球は残すはあと3つです。部屋全体でも、暑さのピークの15時ごろにエアコンが効いてない感じが今年はします。

B22型のLEDをちょこちょこ買うのもしんどいなぁということで、変換のソケット無いかなと思ったらやっぱりありました。なんとなく考えた物が大抵すでに存在していてすぐ買えちゃう現代の凄まじさ。有難い。

一応、難燃素材とは書いてあります。俺はそれを信じる!

狭い店でひと部屋なので異変には直ぐに気づけますし、とりあえず使ってみます。

細かいことなんですけど、光りの漏れ方が変わっちゃうよなぁとか思って、いままでアンティーク照明の3つは白熱球(しかもb22型)で頑張っていました。暑すぎてヤバい今年はそうも言ってられません。

検眼スペース側の天井。白熱球の光の漏れ方。広く強く拡がっておしゃれ。幻想的。暗い冬は特に良いんですよね。

変換ソケット装備、LEDの60ワット相当。やはり光の漏れ方が変わりました。微かに光が漏れるようになっています。傘自体はギンギンに光るようになっているのに。拡がり方も弱めで、幻想的な雰囲気が薄れました。まあでも、誰も見てないし涼しいからヨシ!

気持ちの問題な気もしますが、部屋が冷えやすくなった気がします。

今日はゼリーしか見ていない
雑記

24.07.05

カブトムシの幼虫ですが、無事に育ちました。幼虫は昨年に3匹いただきまして、1匹のみ無事に成虫となりました。オスでした。虫かごの縁のアクリルを壁と底にして蛹室を作ってしまった1匹は、暑さにやられたのか羽化できず力尽きてしまいました。もう1匹はオスで羽化できたものの、前足1本と後足1本の形成不全で常にひっくり返る状態であり、すぐに力尽きてしまいました。

ちゃんと羽化できたオス1匹ですが、日中はほとんど土に潜っています。小学生のときにもカブトムシは育てていましたが、夏休みに成虫をホームセンターで買って持ち帰る派でしたけど、常に土の上に居た記憶だったんですけどね。とりあえずわたしには成虫のカブトムシが土に潜るイメージが無くて、はじめはそうだっけ?逃げた??となりました。ゼリーが減るので、ちゃんとこの中で生きているようです。

最近の私は大体4時半〜5時くらいに起きますが、そのときには土から出ていることもあります。5時半くらいにはもうカブトムシは居ないので、朝起きてすぐ見ないとその日は減ったゼリーのみを観測することになります。

夜は21時だとまだまだ土から出ておらず、おそらく22時くらいにカサカサ音がし始めるので、そのくらいに行動し始めています。そんな感じなので、子どもはほとんどカブトムシが見れていないですし、私も2〜3日姿を見ないことも多々です。もはやカブトムシを飼っているのでは無く、ゼリーを飼っているのかな?くらいゼリーしか見えていない日があります。

つがいで成虫になって、生命が繋がったらどうしようかなとか考えていましたが、とりあえず今季でカブトムシの育成は終わりです。

特に難しいことはなかった記憶ですが、幼虫から育てると夏以外はちょっとだけ面倒ですね。幼虫は土を食べるのですが、夏は近隣の100均でも土が売っていて入手は容易いのです。しかし、それ以外のシーズンはホームセンターくらいでしか幼虫の土を見かけず。しかもパッケージがオオクワガタがバーンっと載った、プロテイン他栄養豊富なハイエンド土しか無かったりしまして。ゲームのモンスターファームでいうところの、サカナもどきくらいで良いのになぁとか思いながらいつもそのハイエンド土を買っていました。

 

 

いまはこれ
雑記

24.06.25

千葉雅也さんの『センスの哲学』で載っていたので買いました。

今までのあれこれ入門みたいなものは、ベルクソンとは別の、何か感動的な読み物だったんだなと。ただそういう局面に出くわしたときに、ここが私みたいな素人の良さだったりもしますけど、そうだったとて、それらが多少は色褪せて見えてもそれはそれで良いと思えますし、これはベルクソンはこうなのねって教えてくれるから良いという感じです。

難しくてなかなか読み進められておらず、まだ3章です。第1章「時間で解くクオリアの謎」で、クオリアがこんなところから出たー!って感動して、その勢いがあって読み進められています。

またオーセンティックから遠のいた
雑記

24.06.25

勝手に買えって感じですし、すぐ買えって話なんですけど。

今年こそバンズのオーセンティックを買おうと思い、色々識者の方から伺ったりお店に履いてきているお客さんに見せてもらったりしていたのですが、結果、全然違う二足が足元にあります。いつも言っていますが、これ以上は事情により靴は増やせないので、今年のオーセンティック購入は諦めました。去年も実は諦めています。

アシックス・ゲルカヤノの30、エクストラワイドです。性能面で、どれほど違うのか興味がありましたし、エクストラワイドのワイド感の違いが知りたくて。

カヤノトレーナー21を履いていますが、カヤノ21のソールと比べると、フワッフワなのにバインバイン跳ねる感じがめっちゃしますね。特に母趾球とか中足骨頭の蹴り出しのバインバインがすごいです。

プルプルの透明なゲルが無いのが寂しいです。重量の関係で、本気のランニングシューズでプルプルのゲルが戻ることは無さそうですけど。

もう一足がこれ。最終セールで税込4,400円を切っていたので。円安のいま、そんなことある?というレベルでした。こんなにカッコいいのに。

今すぐ履きたいところですが、似ているスニーカーが多々あり、玄関に置くには1足の処分を家族に要請されているので、5年後くらいには履けるようになっているかもです。完全にダメになっていない物を捨てられない性分なので。ダメになる前にフリマで売ることもしたことがなく、使い潰す派のため、そうなるとめっちゃ後です。

ワンチャン、新しいカテゴリーのスニーカーとして認証されて、何かを処分せずに玄関に置けるかなと思いまして、プレゼンを試みました。画像をみた瞬間に同じスニーカー過ぎるということで、プレゼンするまでもなくダメでした。

スーパーロング雑記
雑記

24.06.10

『確率論 舟木直久著 朝倉書店 (2004) 222ページより』

もちろん?大学の数学は全部忘れました。こんなに忘れるのかっていうくらい、10年ぶり以上で読んでみましたが第1章の初めから分からなかったですね。当時もあんまり分かっていなかったのでしょうけど。

 

さっきの『センスの哲学』で思い出したことを適当に。

とくに1回目と2回目に読んだときに、センスの分析を“リズム”とか“ビート”とか称して行っていくのですが、“うねり”と称するのがあんまり納得出来ずにいました。納得出来ずと言いますか、自分の理解や納得にとって都合の良いイメージが頭に浮かんでおらず、いまいちピンとこないと言いますか。

それで、ちょっと汚いんですけど。汚いといってもアートなので。それで許されるのか分かりませんが。

会田誠さんの『スペースウンコ』って作品があります。あれのおかげで完全に理解に到達出来ました。

なぜうねりなんだ?という引っかかりがあるわけです。こういう場合によくあるモチーフは波なのに、なんでうねりなんだと。それで、なんで波ではいけなかったんだとかうねりって何が特徴?とか頭の片隅に置いておいたら、急にシナプスが結合してあのイメージが降りてきました。皆さまのうねりのイメージをお待ちしております。

上下左右と奥と手前、強弱等々なるほどなと。しかも波というと私は東映の海の波がザッパーンっというのをまず浮かべますが、あの波は重力に従っていて、地に着いていますね。うねりだったら地を這いながらうねってもいいし、地を離れるほど強烈にうねっても良い。詰まっても良いし、伸びていてもいい。それがうねることかと、アレで全部理解できました。波じゃダメっす。ダメじゃないけど物足りないっす。

それで冒頭の数学になるんですけど、ポーリャって教えて頂いたはずなのでポーリャでいきます。ポーヤなんですね。

ランダムウォークに関する定理です。ランダムウォークの方が内容そのままなので理解が捗りやすいですけど、日本語の酔歩の方がかわいいです。ランダムウォークは詳しくはウィキペディア等々で調べてみてください。

コインを1枚用意して投げて、表で右に1マス移動、裏で1マス移動するとして、10回投げて始めのマスから右・左の何マス目に居るか?みたいな話です。

例えばコインを2回投げて、初めに表、次も表なら右に2マス目に居ます。

例えばコインを2回投げて、初めに裏、次に表なら初めのマスに戻りました。

ちなみに始めの地点に戻るには、相殺しないとダメなのでコインを投げる回数は偶数回でないといけません。

 

随分と遠回りをしてきました。それでポーリャの定理なんですけど、さっきのランダムウォークの移動を拡張します。例では右左のみ、つまり線上(1次元)でした。もっと複雑に上下も増やした平面(2次元)とか、うねりで考えたようにさらに奥と手前もオッケーにして空間(3次元)で歩いてみるわけです。

ポーリャの定理では、3次元以上では殆ど始めの位置に戻ってきませんと言っています。恣意的に、6回投げるときに(上,下,右,左,奥,手前)と戻ってくる経路を考えることは出来ますけどね。戻る経路はこれと他を合わせても全体と比べてかなり少ない為、確率的に戻らないというのか戻れないというのか、そんな定理です。けっこうすぐに戻れなくなることに、まず驚きです。ポーリャの定理が、100次元以降は戻れないとかだったら即座に納得出来そうですが、いま住んでいる3次元ですでに戻れないとか言われると、ちょっと疑いたくなりますよね。

途中で始めの地点を通過することもあるかもしれません。すごく遠くの地点に行っちゃうかもしれませんし、割と始めの地点から近くでずっとぐるぐるくすぶっているかもしれません。まあでも戻るってことは、3次元以上では殆ど無いのだそうです。

例えば3次元で考えて、それぞれ1/6の確率で移動するということでサイコロを振る想像をしてみるのですが、全部等しく1/6の確率でサイコロを振り続けるのだから、差し引きで戻っても良さそうとも思えますし、常に6個の選択肢があるのだから、どっか別の場所にフラフラ行ってしまうのも理解できます。ぴったり1/6ずつ目が出ないと戻れないのだから、まあやっぱり戻れないかとも思えます。12,000回サイコロを振って、1〜6が2,000回ずつ均等に出ることは確かに無さそうです。ポーリャの定理は、3次元以上ではまず放蕩ということです。平面の酔っ払いはお家に帰れますが、空間の酔っ払いは迷子です。

そしてこの結果に、大学生のときに驚いたわけです。なのでこれだけは覚えていました。ランダムウォークという、人間(酔っ払い?)の人生をかなり単純化したモデルでも3次元で6つの選択肢で放浪してしまうので、そりゃ実際の人生はもっとふらふら放浪かつ放蕩しちゃうよなと。ちなみにランダムウォークのミソは右に対して(−右)としての左があり、上に対して(−上)としての下があり、奥に対して(−奥)としての手前というのがルールなので、純粋に6つの選択肢ではありませんが。いずれにせよ、これくらいで発散して戻れなくなっちゃうわけです。現実の選択肢の多さとそのうねりは、もちろんもっともっと複雑多数にあります。

この雑記は放浪せずに、もう一度『センスの哲学』に再帰します。本の中にも書いてありますが、コレがセンスの必勝法みたいなものは載っていないんですよね。そりゃそうだって言われると元も子もないのですが、みんなそれぞれ別の道を歩んでいくわけです。散り散りバラバラです。ランダムウォークみたいな最単純なモデルすらバラけるのですから、現実はもっとでしょう。もし書内で“コレだ!”みたいな答えを1つ用意したところで、そこからせーので各々の人生をスタートしても、結局うねってうねってバラけるわけで。やっぱり答えは一つに纏まらないという帰結は想像に難くありません。

『センスの哲学』では身体性に最後帰ります。やっぱり個性にくっついているみたいなところに戻ります。それは焦らなければとても温かい着地点だと思いました。ポーリャの定理から、人間は勝手にバラけるわけですから。他人と違うというセンスは確保されています。ちなみに試行回数が増えるほどバラけます。つまり戻ろうと焦ると余計にバラけます。

勝手にオリジナルなセンスは生まれ出るとも言えますし、すでに漏れ出ているわけです。自分の身体とその近傍くらいを把握している人にセンスが悪いと言われると傷つくかもですが、把握していない人から言われてもポーリャの定理から自明なことですねってことで心を守れます。今いる地点が違うだけかもしれませんねと。

最近メガネのブログばっかりだったので、たまには逸脱してみました。

3周目
雑記

24.06.10

なんとか3回目を読み終えました。じっくりを三回ではなくて、サラサラのパラパラを三回です。

この方の本はいつも親切に前半後半で分かれていて、本の真ん中で中間まとめが用意してあります。少なくとも前の著作の現代思想入門には中間のまとめがありました。これがいつも助かります。大体前半は1回目でそこそこ分かって、分からないのがポツポツ出始めるのが後半からというのが、いつもの私です。

人それぞれですが、おおよそ私の場合は結局後半が分からないというのは、前半は分かったと思っていても、じつは染み込むレベルで分かっていないということが多々なので、面倒なときもありますけど毎回頭から読むのが常です。

3回目で、なんとなくこの本の肝はこの箇所かなと感じました。自分なりの肝ポイントが出来たので、つぎに読むまでにしばらく期間が開けられそうです。とりあえずの納得感が得られました。

とくに箇条書き手前の、“これで行くんだ”と決める、というか諦めるしかないの部分は特に。しょうがなく諦めるのでは無くて、勇んで諦めるんですよね。

この諦めは、結論のアンチセンスに繋がっているはずです。寝ても覚めても自分から離れられないんです。反復と差異がセンスと言いながら、毎日まいにち自分で自分が好きだろうが嫌いだろうがお構い無しに、自分でしかありえないという当たり前で絶望的な反復をしています。まず自分であると、自分でしかないと諦めるわけです。

この本以外でも、昨今は身体性と言われているのですが、なんとなくそれの意味が分かりました。

これ良さそうです
雑記

24.06.04

2本入りケース界に新たな刺客が現れていました。

中敷を畳むと、特大1本入りケースになります。60年代のめちゃフロントにボリュームがあって畳みで嵩張るフレームや、70年代のめちゃレンズがデカくて大きいケースじゃないと歯が立たないフレームも収納出来ます。現代のスポーツサングラスも入りそう。

 

1本ずつ収納するにしても、けっこう畳みで嵩張るフレームがそれぞれ収納できますし、個人的に一番良かったのは、ケースの中でフレームがカチャカチャ動く量が少ないというところです。レンズとかフレームとか、ケース内でコツコツと鳴っていると、割と気になっちゃう派です。

あとは、素材がEVAとポリウレタンで、めっちゃハードなケースではありませんが、適度な弾力性とコシがあります。カバンに放り込んでも耐えうる張りは感じました。内側からのカチャカチャの衝撃も吸収しているので、コツコツ音とか、いろいろ気にしなくていいので個人的には理想のケースに辿り着きました。良いですね。

カッコいいメガネケースに憧れますが、結局は持ち運び用は実用重視になっちゃいます。とりあえず在庫しておきます。

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