アーカイブ:7月2021

月曜日と火曜日休みます
営業案内

21.07.11

明日と明後日休みます。そう言えばですがこういう時代なので、立会い不可でまだ見てないです。火曜日にようやくです。

まず7月末まで実施
営業案内

21.07.09

第二子誕生にともない、平日の営業時間を16時までにします。

どういう表現が忘れましたがアクティブシニア的な、65歳過ぎてもイキイキ働きましょうねという概念があるんですけど、それと、保育だれが迎えにいくの?問題が対立しますね。その状況に立って、そう言えばとようやく気づきました。

こういう問題に直面した時は、じぃじとばぁばが仕事を抑えて保育園のお迎えをしてもらうという解決が一般的なのかもしれません。ですが、一番暇そうな人間がその役を担うのが令和時代の正義かもしれませんねということで考えたところ、「あ、そしたら俺が一番暇じゃん…俺が担当じゃん…。」という結果になりました。頑張れブルバキ。

ということで、とりあえずですが7月の平日は、保育園のお迎えがあるので16時まで営業です。土日は変更なく18時まで営業します。

明日は休みです
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21.07.05

明日火曜日は、定例の眼科さん出張です。店は休みます。

AIが勧めてくれました
雑記

21.07.04

前作の『数学する身体』をamazonで買ったどうか忘れましたが、多分ジュンク堂か高島屋で店頭で買った気もしますが、新作をamazonで買ってみました。注文履歴や閲覧履歴から算出される予想の精度の高さに驚かされます。

歴史を紐解きながら、計算から人間を取り去ってどんどん純粋にする過程が学べます。結果、やはり身体性が要るよねって話に戻るところはなるほど!と、数学の演奏会の時と同じような感動がジワッと味わえます。そしてルンバが欲しくなります。

ちなみにこれの前に読んだ本『超ポリコレ宣言』というのをここで挟みます。鼎談をまとめた本でして、鼎談の一部分を抜き出す行為はまさに観測によって情報が壊れてしまうみたいなデリケートな問題もありますが、とりあえず気にせずにこの鼎談からも身体性に言及している部分を引用します。

「p.235 (千葉) 「私の身体が失われた」と、私個人の問題だと思っているけれど、実はもっとマクロな、時代の問題として、「身体が失われた時代」の中に自分が投げ出されている、ということを訴えているのかもしれませんね。」

「p.250 (千葉) 「子供を大切にしろ」と言っているのは、イコール「私を大切にしてほしい」ということなのであり、「私」というのが、まるで生まれたての子供のような状況に置かれているんじゃないかと思うんです。小さな子供が周りの刺激を一身に受けているのと同じような状況に、自分の身体が置かれている。…とにかく刺激に圧倒されるということにおいて、みんなが「私も同じ=身体の喪失※」というようになっている。(※のイコール以降は、勝手に補足しました)」

ここでいう刺激というのは、ネットを指していました。何か大きなものを絶対とし、個を規定していくことの難しさや破綻というものは、この前の「時間は存在するのか」という本の内容にも通じます。全員に均一で等質な時間や空間が初めから与えられているという前提がどうなんだ?という話です。

『計算する生命』では、生物学の新しい世界の捉え方を紹介しながら(それは、『暇と退屈の倫理学』で紹介されたユクスキュルの“環世界”と違うのか、そこまでは私には分かりませんが、近いものを感じます)自律的な生命と、自動的な計算との間がまだまだ存在することを示しつつ、今度は生命が計算に近づきつつある昨今に警鐘を鳴らしています。ここでも身体性の喪失への危惧が垣間見えます。

ということで計算と名前につく以上、バッチリ数学の内容の本ですが、数学に興味なくてもこの本自体は現代と悩みを共有していそうですし(例えば身体性)、きっと面白いです。面白かったので、AIに勧められた私が勧めてみました。

明日は休みにします
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21.07.01

色々ありまして、明日7/2は休みにします。16時までに店に到着出来るかどうかという感じなので。

また土日によろしくお願いします。

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