推すという言い回しが定着した気がしますが、その代わり例えばファンという言い方が減少気味になってきたなぁと、撮り貯めた番組を観ながら思いました。
とくべつ「日本語の乱れが〜」とか言うタイプでも無いので、そういう表現もあるのか面白いなあと思っていたくらいの感じだったんですけどね。ファンとか表現することが減ったなぁということで、とりあえず推しの増加ファンの減少と仮定したときに、推しとファンで何が違うんだろうなと。言い回しだけなんですかね。
とりあえず、“ファン”を検索しようとしたら、いきなり予測検索で《ファン 好き 違い》が出てきました。恋愛系の甘酸っぱい回答がたくさんあって、なかなか良いです。てっきり好き=ファンと思っていましたが、そこにも微妙なズレがあるようです。確かにそうだ。
ファンの語源は、どうやらfanatic(熱狂的な)らしく、語源からすれば好きの延長上にファンがあるような気もします。でも好きになった人がいて、付き合ってファンになった結果としての結婚ということでも無いので、好きの領域内にファンはありそうですが、直線上では無さそうですね。ここでは好き≒ファンくらいの認識にしておきます。
好き過ぎると狂ってしまうわけで、まさに熱狂するわけなんですけど、好きというのは主体が取り込まれちゃう感覚があります。主体の変容ということで、自分も変わって相手も変わってハッピーなら最高なんですけど、パクッとまるごと相手に取り込まれて骨抜きのメロメロということもありえますよね。好きはそんなイメージがあります。
推すという言い回しを自分がしないものですからあれなんですけど、これもまず検索です。
これも面白くて《推し 好き 違い》がすぐに予測で出ます。しかも、私は検索トップにタウンワークの2023年9月18日の記事が出てきました。題名は『推しと好きの違いは?恋愛感情はあるの?恋愛カウンセラーに相談してみた。』で、これも甘酸っぱい系です。
そこでの推しは『見返りを求めず、応援したい感情』で、好きは『相手と特別な関係になりたい感情』とあります。詳しくはそこを読んで頂くとして、推しを使わない人間なりに予測していた推しのイメージにぼちぼちあっていました。なのでとりあえずこれを採用します。
そうなりますと推すというのは、けっこう断絶していますね。繋がっていないため、こちら側が取り込まれることも無いですし、自分が変わることで相手も変わって欲しいみたいな期待も生まれないですし。そんなにドライに皆さん推しているんですかね。自分は全く不変、そういうことでも無さそうに見えます。言葉はドライな要素を含むのですが、推し活と言われるほどに活況ということを鑑みますと、なにか推しを理解するのに足りていないことに気づきます。
本当は見返りが欲しい、それはふつうのことだと思うんですけど、そうだとしてその見返りとは何なのか。何なんでしょうね。自分の店に当てはめると、けっこう考えちゃいますね。