ゴドーzakki

18.02.13

お客さんから借りました。たまたま、この本の中の「ゴドーを待ちながら」の話になり、それを持っているという事で、店に置いてくれました。

鷲田清一さんの本の中で名前が上がることが何度かあり、気になっていました。そこでの引用のされ方、解釈が唯一だと思っていましたが、それだけでも無いようです。個々人の生業についての話にも読めました。劇中の脱げない靴を眼鏡に変えたら、ただの眼鏡屋の日常の話に変わってしまうと、私にはそう感じられました。そもそもの解釈も、やはり多々あるようです。

あとがきにもあるように、「おそらく、おそらく、こういうことだろう。」と頭の中で自問自答せざるを得ないです。それは自分で意味や価値をつけられる余地が残されているという風に考えれば、とても面白く、且つ有難いことのように感じます。調べても分からないことが、まだまだ残されています。

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