やっと終わったzakki

20.12.23

途中、何個か飛ばしました。通算で1年半くらい読み終えるのにかかってしまいました。ほとんど分からなかったです。そんな感想だと「それならきみの言う“わかる”なんてものは、単なる投影か、せいぜい書き手に了解を得ていない虚ろな共感もどきじゃないか」みたいに著者から指摘されそうですけど。

なんとかこの、匹夫…の項目は、スラスラと読めました。店を続ければ続けるほど、まさにそんなような変化を感じていまして、そうだなぁの連発で読んでいてしみじみとしてしまいました。志の成立過程の批評は当てはまり過ぎて、居候時代の私なんかは殊更ダメですね。自分で改めて過去のブログを振り返るとかしませんが、店を始めて一年目はどういう心境か、二年目は…というのは覚えています。そういうときは読んでいて、無性に恥ずかしくなります。

写真は、経験について書かれた部分です。志から経験に移り、最後もう一度志に回収される凄技が垣間見れます。このページの後も爽快です。

経験と語った瞬間に、自分と切り離して経験一般みたいな型に嵌め込んでしまうのがいかんのでしょうね。何でも経験しておくと良いよね的な言葉は、正にだと思います。そんなに個々人は、全部が全部痛切に経験出来るのか?問題がありまして、経験せず通過するだけのことも沢山あります。例えば私で言えば、サラリーマン時代の飲み会は、若いうちは経験すべきと言われて酒も大して飲めないのに割と参加した方ですが、多分あれは経験せず通過でした。結果、飲み会の存在しない個人店の店主です。あの通過は多分、いま活きていません。

今年は、無垢物に動きがありました。特に彫金に。今までのお客さんではなくて、新規でいきなり決めて下さる方もいらしゃって、お店を構えてしっかり販売しといて何ですが、驚きました。古びたビルの看板も出ていない個人の眼鏡屋で、逆に怪しくない要素の無い店で、他と比較しづらい眼鏡を決めることは、大変なことだと察します。その大変な決定の瞬間を、何度も目撃させて頂きました。あれは、お客さんと物が分かちあった、まさに経験の瞬間だったのだろうと思います。小林秀雄はベルグソンに傾倒していますから、ベルグソン的には純粋持続でしょうか。そう表現すると、どっちからも全然違うと指摘されそうですね。とにかくありがとうございました。わたしには希望です。

年末の締めみたいな文章を書いてしまいました。明日から休みみたいな。一応、明日は定休で27日までやる予定です。つい勢いで、つい気持ち良くなってしまって、ダラダラ書いてしまいました。

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