AIが勧めてくれましたzakki

21.07.04

前作の『数学する身体』をamazonで買ったどうか忘れましたが、多分ジュンク堂か高島屋で店頭で買った気もしますが、新作をamazonで買ってみました。注文履歴や閲覧履歴から算出される予想の精度の高さに驚かされます。

歴史を紐解きながら、計算から人間を取り去ってどんどん純粋にする過程が学べます。結果、やはり身体性が要るよねって話に戻るところはなるほど!と、数学の演奏会の時と同じような感動がジワッと味わえます。そしてルンバが欲しくなります。

ちなみにこれの前に読んだ本『超ポリコレ宣言』というのをここで挟みます。鼎談をまとめた本でして、鼎談の一部分を抜き出す行為はまさに観測によって情報が壊れてしまうみたいなデリケートな問題もありますが、とりあえず気にせずにこの鼎談からも身体性に言及している部分を引用します。

「p.235 (千葉) 「私の身体が失われた」と、私個人の問題だと思っているけれど、実はもっとマクロな、時代の問題として、「身体が失われた時代」の中に自分が投げ出されている、ということを訴えているのかもしれませんね。」

「p.250 (千葉) 「子供を大切にしろ」と言っているのは、イコール「私を大切にしてほしい」ということなのであり、「私」というのが、まるで生まれたての子供のような状況に置かれているんじゃないかと思うんです。小さな子供が周りの刺激を一身に受けているのと同じような状況に、自分の身体が置かれている。…とにかく刺激に圧倒されるということにおいて、みんなが「私も同じ=身体の喪失※」というようになっている。(※のイコール以降は、勝手に補足しました)」

ここでいう刺激というのは、ネットを指していました。何か大きなものを絶対とし、個を規定していくことの難しさや破綻というものは、この前の「時間は存在するのか」という本の内容にも通じます。全員に均一で等質な時間や空間が初めから与えられているという前提がどうなんだ?という話です。

『計算する生命』では、生物学の新しい世界の捉え方を紹介しながら(それは、『暇と退屈の倫理学』で紹介されたユクスキュルの“環世界”と違うのか、そこまでは私には分かりませんが、近いものを感じます)自律的な生命と、自動的な計算との間がまだまだ存在することを示しつつ、今度は生命が計算に近づきつつある昨今に警鐘を鳴らしています。ここでも身体性の喪失への危惧が垣間見えます。

ということで計算と名前につく以上、バッチリ数学の内容の本ですが、数学に興味なくてもこの本自体は現代と悩みを共有していそうですし(例えば身体性)、きっと面白いです。面白かったので、AIに勧められた私が勧めてみました。

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