以前にも紹介した本。買って満足するに留まっていましたので、今日ようやく読みました。
この前の「名眼50年のあゆみ」や、キクチメガネ2代目社長の追悼集「風雪70年 森文雄 追悼集」から、ようやく小川守三さんが、日本人初のオプトメトリーであることが理解できました。アメリカでオプトメトリストの資格を取ったのち、日本に戻ったタイミングで開業しています。それが1923年のことです。内務省衛生局長の紹介を得て、当時の眼科の諸大家を歴訪しているそうです。認定眼鏡士が未だに国家資格にならない現代を鑑みますと、視力矯正が国家プロジェクトだったということで、羨ましい限りです。
当初は、眼病は眼科医で屈折矯正はオプトメトリストに振り分ける目論見があったようです。眼科という大分類の中に、眼病専門の眼科医と、屈折矯正専門のオプトメトリストという中分類があるというイメージです。あくまでも、前提としてどちらも医者であるべきという考えでしょう。それが、現代の眼科とメガネ屋という構造になったのは、処方はメガネという形であり、最後は物が重要だからだと考えられます。
個人的に面白いと感じた箇所としては、写真のページです。昭和40年(1965年)の回想文でして、眼位異常を矯正した記述があります。おそらく、上下斜位(本文中では潜伏斜視)にもアプローチを掛けていることから、プリズムの処方をしたと考えられます。矯正に関して、現代と遜色ない理論が整っていたことが伺えます。