検眼についてeye

16.12.20

例えばの話ですし、私の検眼のイメージです。

チョコが好きな人が目の前にいます。その人はトマトが嫌いです。そして、私はチョコが嫌いで、トマトが好きだとします。

この2人がチョコとトマトについて話合えば、好き嫌いの一致はしませんが、会話はちゃんと成立します。

ここで、このように思考実験をします。ひょっとして、人間が嫌いと判断する味覚は共通しており、私にとってのチョコの味が、相手にはトマトの味と認識しているのでは無いかと。

検眼はこの例に似ていると、私は思います。輪っかがどの方向に開いているかを聞くことは、あくまで手段であって、その手段を用いて相手の表象が、脳の中の映像がどうなっているのか想いを馳せる行為だと捉えております。

先ほどの例ですと、味がお互いでテレコになっていること(検眼で言えば相手の映像を垣間見る)は、認識出来ないです。だからこそ、検者と被験者の歩み寄りが生まれ、検眼にはやり甲斐と面白さが生じると思っております。

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