史料集めmegane

20.03.18

久々に新ネタです。鯖江のメガネの歴史を知るにはうってつけでした。今までのは、広く眼鏡の歴史的な本ばかりでしたから、日本の眼鏡がどう発展してきたのかが不鮮明なままでした。ようやく、それが掴める物が手に入りました。

向かって右は、ほとんど増永眼鏡さんの社史です。鯖江に眼鏡を根付かせた功労者ですから、まあそうなりますよね。この本で新たに感動したのは、眼鏡への打ち込み方です。黎明期の、副業だしこれくらいの出来でいいや感が全く無いことです。それも、よく思いを馳せればそりゃそうなんですけど、よく聞かされる豪雪地帯の副業で、、、というのはあまり当てはまってないですね。私財投入してますし、子どもを職工にしてますし、全部注いでました。それに、第二次世界大戦と1948年の地震を経験していますから、増永さん含めた鯖江の眼鏡の不屈さには心打たれます。

向かって左は、卸組合の本です。なので商売の話ですから数字多めです。裏をとるという意味では、史料的な価値は高めでした。

ホントだと納得したのは、昭和42年の生産種目とその出荷額ですね。その種目ごとの額面よりも、セルとメタルの出荷額の比に驚きでした。なんとなくおっちゃん達からは、当時メタルフレームなんてそうは玉入れしてなくて、ほとんどセルばっかりだったなぁみたいなことを聞いてはいましたが、数字だと想像以上の開きでした。ホントにセルばっかりです。

昭和42年と昭和50年、火まつりが行われています。火まつりとは在庫焼却処分です。昭和42年の第1回目は、およそ3.5万“ダース”の焼却だそうです。

これも面白い項でした。昭和44年に、アメリカ人を呼んで、日本の眼鏡を評価してもらっているみたいです。その論評が笑えます。それこそいま、ヴィンテージ眼鏡のカテゴリーが出来上がったことで、メインで取り扱っていなくとも、お持ち込みでアメリカの50年60年代を触る機会は多々あります。正直、よー言うわという感じです。いい勝負だと思いますよ。

最後は、眼鏡ジャーナルの各号の見出しです。心に刺さったのは、

「アウトサイダーも自覚ある組織を」

ということで、以後気をつけます。

一応、一般公開しない予定です。

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