アーカイブ:3月2020

加工
メガネのはなし

20.03.30

オリジナルのセル、テレビ追加しました。この色は成功でしたね。

製品として送られて来ていますが、今回も例によって、速攻でヤスリを入れています。

前回分も、指定よりもフロントが起こし気味だなとか感じていましたが、フィッティングの際に耳の位置が高い低い云々であれこれ最後に弄るから…というのでそのままにしておりました。今回分は、もはやフロントとテンプルが成す角が垂直に近いので、そこから修正です。上の写真、手前が修正後、奥が修正前です。

そうしますと、ある程度あれこれ見え始めます。テンプルからフロントにかけてのラインが綺麗ではないことが、どうしても気になります。上の写真は修正後です。伸びやかに、スッと。でも展開はせず、フィニッシュはフロントまでおあずけ。そんな感じでラインを決めました。意味不明ですね。

上は、テンプルを削る前です。テンプル中腹で一旦かすかに膨らんでいます。そこは我慢です。膨張してはダメなんです。フロントまで展開は我慢です。なんてたってフロントがメインですから。

テレビの抉りも修正です。とりあえず、テンプルのテクスチャーを決める手前まで加工しました。前回と同じように処理するか悩んでいます。時間あるので、またぼちぼち進めます。現場からは以上です。

のりました
修理とメンテ

20.03.30

現行のウェイファーラーですが、鼻盛り出来たり出来なかったり。定番のカラーは、インジェクションで作っているっぽくて、素材から異なり、鼻盛り出来ないこともありました。今回は、フロントからチラ見えしているそれが、新規の鼻盛りです。ちゃんとのりました。これで、上手く掛かるはずです。

もし、茶色の生地の部分がアセテートとかではなく、溶剤が反応しなかったら…という一抹の不安がありましたので、元の鼻パッドの透明部分を0.2ミリくらい残して、そこにのせました。

最近の徒然
雑記

20.03.29

テレビ番組『100分de名著』の3月、とても良かったです。良すぎて、立ち読みをせずに勢いでテキストと小説を買ってみました。人生初の、SF小説です。映画でしか触れてこなかったですね。

いまこれを『太陽系の最後の日』を読み終えた段階で書いております。テキストは“はじめに”と、“第1週 知的好奇心が未来をつくる”を読み終えております。特に、テキストのはじめにの部分には心底感動しました。テレビで放映されてない、素晴らしい部分がぎっしり詰まっていました。いつもより、テキストも分厚いですしね。熱量が凄まじいです。

以下、引用です(テキストp.6,7)。

〈SFとは何か–これに答えるのは「日本料理とは何か」「フランス料理とは何か」という問いに一言で答えるのが難しいのと同様に極めて難しい。どのレベルに焦点を合わせるかによって、いかようにも答えられるからです。(中略)…「“SF者”でない人に真にSFの感動が理解できるのか」という主旨の議論はありました(あります)。これは「真にその人がSFを読めるかどうか」は生得的に決まっている、わからない人は永遠にわからないのだ、という主張にも聞こえます。ですからこうした問いも含めて「SFとは何か」について論じるならば、それは「ぼくたちの人間性とは何か」という大切な問いに真正面から向き合い、考えることに等しい。〉

この部分の“SF”を、“メガネ”に置き換えても、“ヴィンテージメガネ”に置き換えてもそのまま通用します。要は、この時点で私にとって、おそらくみなさんにも他人事ではなくなっています。普段全く触れてこなかったSFを手掛かりに、自分自身を振り返る作業をすることになります。

さらに、以下引用です(テキストp.10)。

〈1961年、クラークはUNESCOが運営するカリンガ賞…記念スピーチでこう語りかけました。「(中略)…(SF作家は)読者に対して心の柔軟性を、変化への心構えと“ようこそ”という気持ちを−ひと言でいえば、適応性を促すのです」〉

店をやっていますと、適応性を促すということが、本当に難しいわけです。商売における市場のセグメントと対立して、気を抜けばこちらの投げ掛けが排他的になりがちです。適応の真逆とは言わなくても、適応ではない何か、そんな行為に陥りがちです。そしてそれは、本来の適応性を促すことの難しさに向かう以前の、前段階の問題な気もしてきます。いつも、そこで悶々と自信を喪失します。

例えばAとBが存在し、AをとればBが蔑ろに、BをとればAが蔑ろになってしまうようなジレンマに挟まれることなんて多々ありまして、と言いますか、皆さんありますよね何かしら。むしろ生きることはそのハザマでギュウギュウと毎日搾られることなんじゃないかなと思うんですけど、そういうことから逃避をしない為にSFを読んでみるということが、私にはとても新鮮で、久々に脳みその中がビシャビシャに楽しい汁でダクダクになっております。

そしてそれは、ちょうどこの前の数学の演奏会での「なれる」こととの親和性を感じておりまして、そこで紹介されていた宮沢賢治も読み始めました。なれると適応の微妙な差もありますが、やはり近いものを感じました。

ちなみにセロ弾きのゴーシュは中学生ぶりに読みましたが、こんなに良い話だったのかと仰天でした。多分あのときは噛んでないですね。字面を噛まずに飲んでました。

本日の成果
修理とメンテ

20.03.23

鼻の削りが鋭く入っており、鼻盛りのパッドを乗せる平面がない場合の取付例です。斜面に取り付けています。寄せて上げたいので、パッドを改造して融着です。

要は、赤線のように削り落として、パッドの角度の調節と、斜面に接地するようにします。

有色フレームであれば、足の取付でもいいかなーと思っちゃいます。クリアフレームであれば、極力こんな感じに仕上げたいものです。

火曜日休みます
営業案内

20.03.23

明日の火曜日は休みます。育休です。

そりゃ、やってるよね
ヴィンテージのメガネ

20.03.22

AOのカットリム初めてみました。パッと見、普通のメガネ屋さんのセット価格のフレームにあるような、特に何でもない紳士用メガネという雰囲気なんですけど、各パーツのゴツさが効いていまして、掛けるとカッコいいです。

天地浅めです。また、ローデンのリチャードのようなプレスがブリッジとテンプルに施してあります。ひょっとして、リム上部にネジ穴を取り付けて、サーモントも存在していたのかなと思わせます。

やはりドイツっぽい雰囲気出てます。

何気に金張りでした。テンプルのロゴからすると70年頭ですから、張りの厚みの記載はありませんが、おそらく1/20でしょうね。

この部分の余白の無さが好きです。鎧のタイプの智も、キッチリとパーツを詰めればカッコいいですね。正面から見てもメガネが横に間延びした感じが生じず、いい感じです。

昨日のあれ
ヴィンテージのメガネ

20.03.22

昨日のインスタのアレはコレでした。いやー凄かったです。どの方向から眺めても、切削面があって、製作時の指示書はどうなっていたのか不明レベルです。とても綺麗です。驚きとしては、OGのズークよりもずっとありました。その分パワーがありすぎて、相当掛けづらいんでしょうけど。

粗のヤスリを入れたり削ったのは大体この辺りです。粗をやり過ぎると、つるんと丸っこいフレームになってしまうので、削りすぎ注意です。

製品としては、そもそもの磨きがやや粗く、表面がうねっている箇所が多々ありましたが、それはもう少し番手の大きいペーパーでなぞってからか、そのままバフで勝負して、平面をしっかりと作りました。布目が出ないように注意しながら、これだけの面のバフ掛けとなりますと、難しいというより細かくてしんどいです。

シューティングの芯がやや変色しているということで、若干生地の縮みが生じているのでしょう。ただ、臭いが出ていないこと、水研ぎした時に生地が溶けないことから、まだ使用には耐えうると判断しました。

迷いましたけど、定番の緑にしました。

ニナリッチ
ヴィンテージのメガネ

20.03.21

レンズ交換と鼻盛り。東京の古着屋で買ったとのことだったので、この辺のメガネまで提案してくれる服屋があるのは羨ましいなと思いました。

枠とレンズのグラデーションが合わさると、強烈な70年代感が生まれます。ちょうど、この前の木曜日に『幸福の黄色いハンカチ』を観まして、桃井かおりがこんな感じの四角い白枠に、スモークのグラデーションレンズでした。やや今様にするため、レンズはオールカラーの緑に変更です。

このフレームに限らずなんですけど、ニナリッチは面白くて、フレームにダイレクトに溝を掘って、そこに着色しています。テンプルの黒い線もリムの黒い線も写真だと分かりにくいですが、段差があります。

フロントから見ると、その掘りの効果は判然とします。滲んで境界がグラデーションになります。綺麗です。その効果を損なわない為にも、鼻盛りは綺麗に仕上げております。

異物感
ヴィンテージのメガネ

20.03.18

良いの来ました。顔面が要らんなあとか鬱陶しいなあってなるときにオススメです。男性はあんまり経験無いですかね?多分女性はあるはず。化粧は自分の為だけでは無くて、社会性もあって、そこが色々ややこしいよね的なことが、鷲田清一の本に度々出てきます。つまり、化粧という行為を放棄したくても出来ない状況があって、化粧込みで社会での顔が出来てしまっている場合がそれです。その、化粧込みの顔が今日は要らんなあと。そういう日にぴったりです。

モードな服における眼鏡も、こういうのが多いイメージです。人間でない別のものに変えてしまう意図をもって服をデザインするときに、顔が要らんなあと思うのではないかと、勝手に妄想しております。

いつかのブルータスで、マルジェラ特集の小冊子がついていましたが、こんな感じで普通のシャツにデニムで、この眼鏡みたいな異物感を持ってきても面白そうです。今回の眼鏡を見たときに、まずこれが脳裏をよぎりました。

個性なんて今ここで掴みきれる訳がないのですが、安直に、顔面は個性の多くを担っていそうですし、その中でも目の役割は大きそうです。激しく整形した場合等々の思考実験は各自で行って下さい。

それを踏まえますと一層面白いわけで、今回紹介した眼鏡も、マルジェラのモザイクみたいな一眼のサングラスも、目、さらには顔の一部を隠します。パッと思いつく個性は消しちゃうんですけど、多分街に出れば「個性的な眼鏡(サングラス)をしていますね」と、連呼されるはずです。その無意識、無自覚を表出させるということに長けているというところが、何とも小気味良いです。

まあでも、あれこれ抜きにしてカッコ良いです。二眼でFPD74ミリですし、度付きも可能です。

史料集め
メガネのはなし

20.03.18

久々に新ネタです。鯖江のメガネの歴史を知るにはうってつけでした。今までのは、広く眼鏡の歴史的な本ばかりでしたから、日本の眼鏡がどう発展してきたのかが不鮮明なままでした。ようやく、それが掴める物が手に入りました。

向かって右は、ほとんど増永眼鏡さんの社史です。鯖江に眼鏡を根付かせた功労者ですから、まあそうなりますよね。この本で新たに感動したのは、眼鏡への打ち込み方です。黎明期の、副業だしこれくらいの出来でいいや感が全く無いことです。それも、よく思いを馳せればそりゃそうなんですけど、よく聞かされる豪雪地帯の副業で、、、というのはあまり当てはまってないですね。私財投入してますし、子どもを職工にしてますし、全部注いでました。それに、第二次世界大戦と1948年の地震を経験していますから、増永さん含めた鯖江の眼鏡の不屈さには心打たれます。

向かって左は、卸組合の本です。なので商売の話ですから数字多めです。裏をとるという意味では、史料的な価値は高めでした。

ホントだと納得したのは、昭和42年の生産種目とその出荷額ですね。その種目ごとの額面よりも、セルとメタルの出荷額の比に驚きでした。なんとなくおっちゃん達からは、当時メタルフレームなんてそうは玉入れしてなくて、ほとんどセルばっかりだったなぁみたいなことを聞いてはいましたが、数字だと想像以上の開きでした。ホントにセルばっかりです。

昭和42年と昭和50年、火まつりが行われています。火まつりとは在庫焼却処分です。昭和42年の第1回目は、およそ3.5万“ダース”の焼却だそうです。

これも面白い項でした。昭和44年に、アメリカ人を呼んで、日本の眼鏡を評価してもらっているみたいです。その論評が笑えます。それこそいま、ヴィンテージ眼鏡のカテゴリーが出来上がったことで、メインで取り扱っていなくとも、お持ち込みでアメリカの50年60年代を触る機会は多々あります。正直、よー言うわという感じです。いい勝負だと思いますよ。

最後は、眼鏡ジャーナルの各号の見出しです。心に刺さったのは、

「アウトサイダーも自覚ある組織を」

ということで、以後気をつけます。

一応、一般公開しない予定です。

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