考えるヒントzakki

18.09.05

『考えるヒント3 小林秀雄 文春文庫 p.208〜209(表現について)』

昨日は自宅待機、本日も暇なので久々に読書です。サボっているといえば、反論のしようもなく、そんな感じです。6月後半くらいから記憶が無く今に至っておりまして、一応、その辺くらいから貯めに貯めた、お客さんとの会話からずっと引っかかって頭の中で転がしていたことの答えを探すために、営業中のときは仕事っぽい本を読んでいます。

この写真の項の初出が「昭和25年5月」でして、西暦だと1950年です。今だに通用する、むしろより当てはまるというところに絶望感が漂っています。

音楽を例に書かれています。この構造自体は、他にも当てはまり、メガネに対しても漏れなく当てはまると思います。以下、引用です。

“…作者の表現とする意志に近付いて行く喜びなのです。どういう風に近付いて行くか。これは耳を澄ますより外はない、耳の修錬であって、頭ではどうにもならぬ事であります。現代人は、散文の氾濫のなかにあって、頭脳的錯覚にかけては、皆達人になっております。一方強い刺戟を享楽して感覚の陶酔を求めているので、耳を澄ますという事も難しい事になっている。…”

これは、最近流行った『君たちはどう生きるか』の序盤、「本当の良さ」についての箇所に非常に近いものを感じます。本当とは?良さとは?そもそも本当の良さはあるのか無いのか?考えだすとキリがありません。それを錯覚で逸らすわけです。

忙しさを理由にして、この周辺のことの呈示が疎かになっていたなと、反省しております。錯覚しやすい、惑わしやすい現状を恨むのでは無くて、錯覚それ自体へのアプローチを、ここで出来るように、今後も店作りをしないとダメですね。もうすぐ新栄で一年経ちますが、その時の考えを取り戻した気がします。

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