2周目zakki

23.03.17

2周目の楽しさから判断しますと、1周目はほとんど理解出来ていなかったのでは無いかと、そういえば1周目の読了時点でも面白かったと言っていた自分を疑うほどに、2周目は面白かったです。

『中動態の世界』を1周目で読み終えた頃は、まだ三島由紀夫の『金閣寺』に触れていなかった(金閣寺クライシスと個人的経験に名前をつけています)と思っていますけど、そのあたりの時系列はぐちゃぐちゃです。この2〜3年、ちょうどコロナ禍くらいの期間に色々ありました。ブルバキの掴んでいる隙間は一緒なんですけど、それの捉え方や考え方はブルバキの黎明期と比べて、真逆までいかなくとも、割と変わりました。

音楽のグループで、新アルバムの発表でガラッと曲の雰囲気を変えることがあると思うんですけど、あれが身をもって分かった気分です。掴んでいるものは一緒なんですけど、掴み直すと言えば良いんでしょうか?同じ掴み方ではなんだかなぁということで変えるんでしょうね。摘む程度ではなくて、ガシッといきたいよねって感じですね。

それか登山でよく例えられますが、登山していないので恐縮ですけど、頂上が一緒でルートが違うという表現ですね。それでもって、その頂上を“物自体”として捉えてみると、頂上だと思ったものが実は頂上ではなかったのか、はたまたいつも登頂に失敗しているのか、そういう挑戦と失敗の連続を生きているということになるわけですね。ここまで書くと、これは本が違いますし(『現代思想入門 千葉雅也著』に詳しく)、失敗がベースということで岡本太郎にも繋がりそうな考え方だと睨んでいますが、この辺で止めておきます。

完全なオリジナルと自由意志が近い関係なんですね。完全なオリジナルも自由意志も、連続の切断という点において非常に近い関係です。自由意志があるのか無いのか、完全なオリジナルつまりは独立した個性があるのか無いのかはとりあえず置いておくにしても、現実問題としてオマージュとパロディと模倣の問題は立ちこめてきますよね。

なるほどヴァージル・アブローは中動態でした。

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