木のメガネの新作ができました。
岡潔は数学上の発見を「鋭い喜び」と称し、それが肉体を回ると述べています(『春風夏雨』 p.25 生命 (1965年))。そこに続く文として漱石の「午前中の創作の喜びが午後の肉体の愉悦になる」を引用しております。現代で当てはめれば、脳汁が出るということでしょう。確かにブルブルっと、全身にいき届き染み渡りますもんね。
ただどうでしょう、数学と限定しなくても、その“鋭い喜び”を感じるタイミングは多々存在していると思います。かつては、ヴィンテージメガネの世界も、その喜びで溢れていたはずです。ですが今となっては、店を始めた頃から比べましても、残念ながらその機会は減少したかなと感じています。自分で発見するよりも、既に凄いと見なされたものを受け取ることの方が増えました。
せっかく新しい物を作るわけですから、なにか別種の“発見の鋭い喜び”が表現出来ないかなと考えたんですよね。例えばメガネのデザイナーが理想の形を発見して、脳汁がジワっと溢れ出たその刹那みたいなものが、そのままプロダクトとして出せれば面白いかなと。そこでようやくメガネ以外のプロダクトで、プロトタイプっぽい物が出ているのはそういうことかなと気づけたんです。製品として研ぎ澄まされる前のプロトタイプくらいがちょうど良い、やり過ぎていなくてカッコいいという解釈しか出来なかったんですけど、加えて発見の瞬間を追体験出来るということも、その良さだと気づけました。プロトタイプが直観で、製品が分析(の結果)みたいな関係ですね。
それを表現する為に、特に木じゃ無いとダメだったんですという話です。
着想源は以下の物です。
今回は、ナイキのスニーカーじゃ無いんだなこれが。私も大人になりました。ちゃんとメガネ界から発想をスタートしています。でもまずフレームでは無くて、メガネのケースからヒントを得ました。
これはレイバンのメガネケースで、上が70年代で下が60年代のケースです。シボの感じが違うとかはありますが、表のスタンプの字面は一緒で外見はほぼ同じです。そして開けてびっくり、中は全然違います。
上のケース、70年代の中身です。プラスチックの囲いで、センターの鼻あてもプラスチックです(スポンジの場合もあります)。現行もこんな感じです。
下段の60年代のケースです。何らかの金属の側に不織布でカバーしてあります。最大のびっくりポイントは、センターの鼻あてが木なんです。今みたいな過激な消費社会ではなかったにしても、資本主義で消費社会の先頭のアメリカの、そのトップブランドのメガネケースに木が使われています。
この木が使われているという事実に対して、昨年までは‘昔のケースはいい素材で丁寧に作られているんだなぁ…’くらいに、フワフワ頭の中で転がしているだけでした。それは私に、いい素材でいいケースを作るみたいな意識がそこまで無いからだと思います。面白いなとは感じつつも、自分のメガネの着想源になるとは、今年の1月くらいまで露も思っていませんでした。
それで、今年に入ってテレビ番組の『映像の20世紀』で、第二次世界大戦周辺の動画を観ていたときに、当たり前なんですけどプラスチック製品が映像に全然映っていないなと改めて思ったんですよね。それでこのケースの比較のことを急に思い出しました。
単純なスモールパーツですら木だったわけです。60年代まで。もう一度書きますが資本主義かつ消費社会の筆頭のアメリカにおけるトップブランドの、おまけ的な位置付けのケースの鼻あてが。それを踏まえてますと、木を使うということが丁寧であるとか贅沢という認識が割と現代的な感覚なのではないかとなんだか揺らいできます。むしろ当時は逆なのかなと。少なくとも、設備投資云々も考えて、プラスチックの方が当時はコストがかったのかもしれません。安価だからという理由だけで木だったのかなと転換がそこで起こるわけです。
そして、ここでようやく今作のメガネに繋がります。ヴィンテージのメガネといえば、例えば最高峰とされているのは1940年代のフランスのメガネということなんですけど、そのフレームの開発ってどうしていたんだろう?と、想像をしてみます。フィクションです。フィクションであるほどメガネの創造性が増すという良いフィクションです。
ちょうど良いデザインの専門用語があれば教えて頂きたいのですが、車の場合はプロトタイプの前に、クレイモデルがありますよね。メガネの製作においてあの位置付けの物があるのかどうかは分かりません。ということで、もしあったと“仮定”して話は進みます。その時代に、まだ商品化するかどうかわからないクレイモデル的な物を、プラスチックで作るかなと疑問に感じ始めました。ある程度の商品化の目処が立ったところで、実際の商品と同じプラスチックでプロトタイプを作るというのであればなんとなく納得しやすいのですが。先ほどの例のように、ケースの鼻あてですら木の時代に、会社やら工房やらがプラスチックで無駄打ちさせてくれたかなと。そのように勘繰ってもおかしくはなさそうです。
つまり木でメガネのデザインの原型のようなものを、プロトタイプの前段階を作っていた時代があったのではないか、そんな風に想像してみたわけです。暖炉に焚べる木が家に転がっていて、なにか閃いたそのタイミングでそれをちょいと拝借して、立体モデルを作っては、ああだこうだとフレームデザインの模索をしていたのかなと。そんなことを想像してみました。念には念を、フィクションです。
それであるとき良い感じの輪郭が描け、木の板からざっくりとフロントが抜けたとします。でも何かが物足りないと感じます。迫力があって豪快で、そこに全振りという意味ではそのままでも良いんですけど。例えばそう感じてしまうのは、そういうメガネは以前に作ってしまって、すでに発表してしまったからだとします。
試しに最終製品っぽく表面を滑らかにしたところで、やはり質量からくる豪快さをまだ感じます。木で作ったサンプルだからとか、表面がザラついているとか滑らかとか表面のテクスチャーの問題では無さそうです。さてどうしようかなと。まだまだ豪快が過ぎるなぁと感じます。次に作りたいものは、そうでは無い何かだったとします。
たとえば中トロの刺身は美味いです。でもいま作りたいのは手を加えているのにあっさりして、でも満足感が減らない中トロの刺身です。炙ることまで刺身の概念を拡張すればそれは実現可能で、つまり炙り中トロのようなメガネを作りたい、それには何を施せば良いのだろうかと、おそらく悩んだのではないでしょうか。迫力を薄めないで軽快さだけを足したい、要素を足すからには何かメガネにも手を加えないといけません。でもそこで注意なのは、手を加え過ぎて刺身の概念から離れ過ぎることです。
この一見矛盾するような、でも刺身の炙り的に実現可能そうな、そんな難しい表現を付け足そうと試行錯誤した末に、この4つの面だけを落とす発見に至ったのではないでしょうか。左右の対称性を加味しますと、片側わずか2面を落としただけです。片側わずか2手のみ、それしか手を加えておりません。わずか2手でとても軽快に、よりインパクトが追加され、でも豪快さは失われておらず、それでいて削ぎ落とす前の雰囲気から大きく逸れていません。この2手を加え終えた瞬間、目に飛び込んできた光景がこれだったのかなと、これを見て発見の鋭い喜びが身体中を駆け巡ったのかなと、こんな想像をしました。
片側2手、全部で4面を粗のヤスリで落としたままのこの姿こそ、おそらくクレイモデル的な原型を製作をしていたデザイナーの目に飛び込み、脳汁をビャッと出させたのではないか。面で削ぐ工程が終わったその瞬間で止めておくことで、その発見の鋭い喜びを追体験出来ないかなと考えて、そのまま粗の加工で残してあります。
粗の主張が強いかと思いきや、割と横も自然です。
テンプルに関しては、ピンの位置を変えています。これは私にとっては大きなテーマなんですけど、多くの方にはどっちでも良いことだと思うので詳しく書きません。もう3,000字超えていますし。ここから別の時代の別の国のフィクションのストーリーを始めることが出来るのですが、この余白はこれを書くには狭すぎます…。
第一弾に続き、黒檀で製作しました。黒檀以外も製作可能です。木の摩擦、バネ蝶番、立体的なテンプル形状等々で、ストレートテンプルのメガネながら顔面にめっちゃ乗ります。私が試した感じで、元ネタでは基本ずっと頬で支えていましたが、これなら笑ってもギリギリ頬につかないです。
前回のブログの茶器から着想しまして、ちょっと汚すくらいしか小生には出来ませんという敬意の表明と日本的な美を実践してみたというのもあります。さらに粗を残すというのは、黒檀第一弾では手を付けられずむしろ避けて通った、木による迫力ある表現への挑戦というのもあります。いろいろ意味を重ねてはいますが、やはり一番の方針としましては想像上の原型を作るという、やや矛盾するようなものを実現するということに重きを置いて進めました。
最後に大きなお世話になりますが、先の『春風夏雨』の引用部分は、さらにこのように続いています。
“…、感激のとり方はさまざまであるが、こうして生きがいを感じて生きている人の顔色は生命に輝いて見える。それは健康の彩りとは別種類のものなのである。”
発見の鋭い喜びを追体験できるような、そんなメガネを掛けることで自身の生命も輝くような、そんなメガネが作れていたら嬉しいですね。その瞬間に立ち会えると、私の脳汁は溢れ出ます。その機会を今から楽しみにしております。
そういえば脳汁のほかに、日本には武者震いという言葉もありました。