カテゴリー:雑記

年1の楽しみ
雑記

22.05.20

店の開店まえに頂くには地理的にもスメル的にも厳しくて、休みの日もなかなか一人で外出しづらい状況というのもあり、年1くらいのペースになっています。伏見のラーメン大です。

野菜増量している人カッコいいなぁと謎の憧憬があり、初めて増してみましたがギリでした。ギリオブギリで、昼食べて次の日の朝まで何も食べられませんでした。年1ペースなので、食える量の健康診断みたいになっていますけど、30歳を超えると確かに量が減りますね。

めっちゃかわいい
雑記

22.05.20

メガネ販売時の添え物ケースを変えました。めっちゃかわいい!!

あともう一色ピンクがあるようですが、蛍光色に近いと男でも使いやすいのでしょうけど、淡いピンクだと難しいのかなと思って一旦回避しました。色は届いてみないと、画像だとよく分からんことが多いですよね。でもこの調子だと、ピンクもいけそうなので次はとります。

インテリアでいうところの、昭和レトロポップに近い感覚を覚えます。昨今のヴィンテージメガネのブームの影響で、だいたいこういう物のスナップボタンはアンティークゴールドになりがちですけど、白いいっすね。ここが白いだけで、めっちゃ軽やかで優しい雰囲気です。

白にオレンジはほとんどミッフィーに見えます。

新品
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22.05.16

ちょっと前まで、品切れでプレ値になっていた気がしていましたが、もう普通に買えるようになっていました。ということで、やっと読めました。

みゆき族とかフーテンとかヤンキースタイルとか、ぶつ切りで何となく把握していたことが流れで認識出来るようになりました。本の初版が2017年ですけど、2022年の5月現在でも古いと感じないですし、全てがいま現在に接続されていく感覚を覚えます。本の真ん中から後半はジーパンの話が割と多く、その辺の話を読んだ後は高いジーパンだろうが安いジーパンだろうが、見方が変わってしまいますね。

ライトニング
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22.04.27

96年から98年までの4冊です。寄贈していただきました。

いまのライトニングしか知らないので、そもそも所ジョージさんの事務所から出していたことを知りませんでした。なので、頂いたときに4冊の表紙を見て、なんで全部に所ジョージなんだ???みたいになりましたけど、そういうことなんですね。

個人的には、やっと証拠写真が手に入って嬉しいです。所ジョージさんが、クラブマスターにフラットレンズを入れて、バッキバキにレンズを反射させて使っていたという情報を聞いたことがありまして、いつを指しているのか全然分からなくて探せていませんでした。バッチリ載っていました。

しばらくオープン本棚に置いておきます。

より欲しくなっちゃう
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22.04.27

少なくとも2年以上、どれくらい抽選に参加したのか覚えていませんけど、結局一回もSNKRSでナイキ×オフホワイトが買えることはありませんでした。何でもいいので、一回は実物を抉るように見たかったですね。履きたかったですね。

感傷に浸りつつ、2019年の雑誌penの『ルイ・ヴィトンとヴァージル・アブロー』の特集を読んでいたところ、目に飛び込んできたのがコレです。なんかやっぱりあれですね、見ていても抉るようには見ていないですね。手軽に買える読み物が誌面で紹介されていました。

“複雑なタイトルをここに” ヴァージル・アブロー アダチプレス(2019)

色々感動して、買って3日目ですが毎日1回ずつ読んでいます。特にp.21の

「…新しい靴がもう一足欲しいというわけじゃないし。すでに自分が持っている靴のことをあらためて認識させてくれるような何かがいいと思ったんだ。」

には驚きました。

心に響いた以上、次に銀無垢やサンプラチナで新作を作るときは、この視点を盛り込まないとですね。

KickCheck
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22.02.16

久々に、ヴィンテージの靴です。頂きました。ヴィンテージのお店の店主ですが、ここ2年くらい最新ハイテクスニーカーばっかり履いていました。別に良いんでしょうけど、なんかごめんなさい。ちゃんと好きですよ、なんでもヴィンテージもの。

カンガルー革らしいです。このぺったんこな感じと、滑らかなんだけどややパリッとした感じが、牛では出ないカンガルーの良さなんでしょうか?革の感じと靴のそもそもの形も要因でしょうけど、現行のぽてっと感は確かに少ないですね。

あとビックリしたのが、日本製のアディダスってあるんですね。やっぱり久留米なんですかね、どうなんでしょうね。

革より製造国よりも気に入ったのが、この靴紐です。ぺったんこで、普通の平の紐に、細く白いスジが3本走っています。今、スニーカーブームで靴紐専門のメーカーもけっこうありますけど、こういう技巧派な紐を見たことがないので感動しました。

とりあえず、革は困ったときのコロニル・ゴールドプレミアムを塗っておきました。紐は手でもみ洗いして、サッと漂白です。

カントリーってモデルで間違ってないと思うんですけど、アディダスのカントリーといえば松浦弥太郎さんの登場です。

2015年
P.68 一流品番号no.99

本を買った当時はカントリー持っていなかったですし、そんなん気にしたら日本人履けないじゃんくらいにしか感じなかったですけど。カントリー手に入れてから読むと、ちょっとうるさいですね。

本の掲載品は、73年のフランス製の物っぽいです。この靴紐は、綿のただの平紐ですね。あの紐の方が全体がシュッと見える気がします。

次回未定
雑記

22.01.31

久々ですし慣れない出張販売が終わりました。インスタにも載せましたが、壁が白い!物が無い!広い!という自分の店とは真逆のシンプルさと空間のゆとりに、終始ソワソワしっぱなしでした。メガネがカッコよく見えたので良かったです。でも、物に圧迫されていないと不安な人間なので、自分ではあのようなスッキリした感じの空間作りは出来ないですね。

お客さんの試着の様子を見ていて発見だったのは、セル巻きのめっちゃ青や、めっちゃ赤が改めて良い感じだったという点ですね。インテリ過ぎない、シティ・ポップな感じがありつつ素材の凛とした感じでバランスが良いなと思いました。ケーシーケーシー?だったはずですが、退廃的な美しさを表現するような服に対して、メガネは火の玉ストレートな日本の精緻な美しさを備える無垢の物を合わせるとカッコいいよなぁと個人的には妄想していました。実際に合わせてみると、知的な演出が過ぎるなぁみたいにお客さんによっては思うこともあるようで、最後ハズしでポップな色で一気に軽いイメージを付加するというのが良かったです。全体が柔らかい雰囲気になるし、能ある鷹は爪を隠す的な知的さの見え隠れ具合がカッコいいなと思いました。もう少しポップな色味のセル巻きを常備しようかなと思います。

つい最近まで振り返り
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22.01.16

題名の通り、JJとその周辺の振り返りが出ていました。本の中でライバル誌との比較分析がされており、CanCamのめちゃモテが取り上げられていますが、それが2008年?とか何とかです。2000年代ってつい最近だった気がします。つい最近だったはずなのに、その中にいたはずなのに、渦中ではその取り巻く時代のエネルギーの出どころがよく分かっていなかったのだなと思いました。ファッションでは90年代ブームとかリバイバルとか言われて久しくなってきましたが、それもつい最近だなと感じていた矢先に、もっともっとつい最近がきた感じです。

『JJとその時代 女のコは雑誌に何を夢見たのか 鈴木涼美 光文社 2021年』

男だから読んでも共感できる部分少ないなぁとかは無いです。むしろ、JJという要素を薄めて雑誌とファッションの共犯関係の変遷とSNSの台頭くらいにやんわり読むと、なんと言いますか的確にいまの感覚を言い当てられているように感じてきます。

p.57
p.58

「近年の社会が目標とする多様性とは、基本的に横に広がる自由である。セクシャリティや人種、国籍やジェンダー、ファッション、教育、文化が横に広がり、そこに縦の優劣を認めない態度こそが、現在理想とされる世界のあり方だ。その際、個人の選択にはある意味拠り所がなく、個性や意志を問われ続ける。自由ではあるが、不安との戦いでもあって、どのように生きるのか、そのために今何をしているのか、自分の選択には何の意味があるのか、と問われ続ける。単純な優劣で縛られない代わりに、自分のしていることを、間違っていないと後押ししてくれるような規範は不在だ。」

ここでいう規範の一つが、かつてのJJであったというのが本の流れです。

p.83

「学生時代に惹かれる雑誌によって自分がどんな価値を信じる集合体に所属するのかを言い当てられる時代に比べて、自由度が格段に上がった現在、何をもって自分の選択を繰り返していくのかは、各々が自分の言葉で語らなくてはならない時代になった。自由に見えて実際はより小さいコミュニティに過度な連帯感があったり、多様化したように見えてファッションに面白みがなくなったりしたのはそのせいかもしれない。」

VERY妻の誕生のキャッチコピーの方が気になりますが、引用としてはその手前まで。VERY妻の誕生は、買って読んでください。雑誌=規範がない時代における自由と、自由にまだ不慣れなことによる弊害としての不自由が書かれています。また、私も創業時にそれを売り手が求め過ぎた期待し過ぎたと反省していますが、小さいコミュニティの過度な連帯感についてもサラッと触れられています。良いとも悪いとも書いてありませんが、敢えて記載があり尚且つ“過度”と注意が促されているので、あんまり良くは思われていないっぽいです。

p.248

「ファッションもまた、個人が膨大な情報の中から自分らしさや個性、着心地などを吟味して、雑誌や特定のファッションビルに頼ることなく選んでいるこの時代にあって、女性たちの洋服はむしろジャンルの垣根なくよく似ていて、人と同じがどうしても嫌だ、というような、かつての個性派雑誌が掲げた自分らしさやアンノン系雑誌が提案した高いファッションセンスともまた別の、ニュートラルで無難な格好が増えた。画一的な幸福の規定の喪失が、個性を伸ばしたというよりも大胆さや活力の減退を招いたようにすら感じられる。そして時代の気分を牽引する雑誌の吸引力がなくなったことにより、幸福や正しさの概念はむしろ通り一遍で変化に乏しく、なかったところに価値を見出すような幸福のイノベーションが起こりにくい側面もあるかもしれない。」

ちょっとページが飛びます。その間では、JJを深く分析するためにその土壌である高校生雑誌の分析がされています。ギャルとはそういう概念でそうやって生まれたと考えることも出来るのかと、ここの部分だけでも面白いです。ギャルもカウンターカルチャーっぽいです。

ギャルはさておき、規範が無くなることでトップダウンからボトルアップになったことで、それぞれが尖ってコーンフレークのパッケージに書いてあるような面積の大きな五角形を形成できるのが理想ですが、なかなかそんなことは起こらない現状が書いてあります。尖らずに真ん中の一点に収束しちゃいそうなのが今です。確かにリスク回避を重視すれば、それはそれで正しさを含みますからね。

都合よく引用してしまいましたが、こんな感じで今のファッションの感覚を雑誌の興亡という切り口で説明しています。なので、なんとなく近い感覚がある方は、読むと面白いかもです。そして、リアルガチで90年〜00年代のJJを愛読されていた方は、もっと面白く感じられると思うので、それはとても羨ましいですね。この本自体は、単純に雑誌の時代をもう一度的な主張をするわけでも無いので、その辺りも読みやすいです。

最近の曲事情
雑記

21.12.01

2ヶ月くらい前の、渋谷慶一郎のアンドロイドのオペラを聴いて以来、ぼちぼちCD買っています。オタクあるあるかもしれませんが、ハマったら全部欲しくなります。

とりあえず最初と今現在と、ということでATAK000とATAK024をまず買っています。もっと若ければ、一気にドバッと揃えていましたが、いまは愉しみも細く長くでちょろちょろが気分だネという次第です。これから、気長に間を埋めていこうかと目論んでいます。それと、先週くらいにこれも買いました。相対性理論と渋谷慶一郎のアワーミュージックというCDです。いま30代前半で私と同じ世代なら、何となく覚えているかもです。相対性理論がとても褒められている時代がありました。私が大学生のときですけど、名古屋矢場町のパルコは、本屋もタワレコも相対性理論をプッシュしていたはずです。私もそのとき、シンクロニシティーンという相対性理論のアルバムCDを買って、今でもたまに店で流しています。

運命だったのか、ブルデューのハビトゥスなのか、すでに好きなもの同士がくっついて音楽作っていました。当たり前ですが、自分が結構リアルタイムでモリモリ意欲的に生きていた時代ですら、へぇー!みたいな発見がありますね。

平成もレトロな時代です。古びた実感が無いですけど、まあそう思われることは抗えないですし、「あぁー、あったあった」みたいな感覚よりも「いま改めて面白い!」くらいな感覚で臨みたいですね。

熟成
雑記

21.11.17

ほぼ積読状態が10年、ようやく読み終わりました。3次元を操るときに、どうしてもフィールドとしては4次元が出てきて、そうなるとそれは正確なイメージとして頭では転がすことが出来ないため、その辺でいつも折れてしまいます。それで、あれよあれよと10年以上たってました。読み終えて、2007年のNHKスペシャル「100年の難問はなぜ解けたのか 天才数学者の失踪の謎」をリアルタイムで観た人間としては、あの時の内容はちょっと煽ってるなぁとかが分かって良かったです。やっぱり何でも、歴史の延長線上にあって、本当のほんとにいきなり真新しいものが生まれたおかげで解決されたわけでは無いことがわかりました。4章くらいまでの多様体の準備みたいなものがどうしても障壁にはなり得るので、その辺を行ったり来たりしながら読むといい感じです。

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