カテゴリー:雑記

おすすめが刺さる
雑記

22.10.25

初版が1992年ということで、本が出たときには著者はまだ40歳くらいでこの達観に至っていると思うとめちゃくちゃヘコみます。そして文章が、なんかとても良いんですよね。

NHKの理想的本箱で紹介されていた本です。あの番組の映像の帯がかなり良いですよね。あんなん見たら、全部面白そうで全部自分にフィットすると思ってしまいます。

将来が見えているか見えていないかで言えば、一回も見えたことが無いんですけどね。そもそも昔から将来を考えたことが無くて、見ようとか見たいとは思ったことが無いんですけど、番組を見て中身が気になって買いました。

番組内で、2皿目の“季節の野菜のエチュベ”が出てきましてインゲンの緑とトマトの赤がすごく綺麗だなと思ったんですよね。真ん中の白の根菜系?も、蜜芋みたいな感じに透き通っていて。野菜だけのお皿を見て、食べてみたいなあと思ったのは初めてかもしれません。なんせ、好きな食べ物がカスタードとチョコの人間なものでして。それで、料理はすぐに食べに行くことが出来ませんから、まず本を読んでみようということになりました。

本はコンパクトで180ページくらいなんですけど、値段が1,800円+税で実は一瞬たじろいでいます。恥ずかしながら。でもエイっと勢いで買ってみて良かったです。とりあえず2回読みました。料理の本ですけど確かに料理に限らず読みこめまして、本の帯で幅さんが“仕事”としているのも納得でした。

先にサボる
雑記

22.10.19

せっかくなので国立博物館に行きました。メガネの展示会の前に、昼に到着してすぐ行っています。国宝を見れた満足度と上野はピカソはやってるわ岡本太郎もやってるわの誘惑で、なんかもう美術館のはしごをして、そのままメガネ見ないで帰ろうかなと一瞬頭をよぎりました。それだとただの観光ですし、展示会会場で行われる16時の近視抑制の現状のセミナーを予約していたので、迷いを断ち切りメガネも見に行っています。メガネは、セル巻きの色味で新色があったのでそれを少し入荷予定です。80年代のジョンレノンというメガネにあった、あの色味でいい感じでした。届いた時に載せます。

前載せたアレです。ペンタックスのパピリオ2です。これじゃ無くても、国宝展行くなら双眼鏡がオススメです。大げさに、5000兆倍楽しめます。塗料の残り具合とか、めっちゃ見えます。一番驚きだったのが、全体が茶色く色が抜けている一見ほとんど何も見えないような掛け軸でも、双眼鏡で拡大してみるとわずかな色とか模様とか重なり具合がハッキリくっきりと分かります。絵が浮かび上がってきます。孔雀だったか?鋭い眼差しがこちらに返ってきてドキリとします。これには本当に驚きましたし、感動しました。絵にも双眼鏡にも。日本刀も、あの刃のモヤモヤの模様の名前を思い出せませんが、それぞれのテクスチャーの違いが如実になりますね。

遠くからでも、あれもなんて言うんですかね、ステータスみたいな端書がサッと読めるので時短です。便利で良いですね。もっと早く鑑賞に双眼鏡を導入すれば良かったと思いました。まわりは単眼鏡のひとの方が多かった気がしますが、拡大のみならず立体感を得るということで両眼視の双眼鏡をオススメします。

追いシナボン
雑記

22.10.17

今度は自分で買いました。しばらく名古屋飛ばしが続きそうなので。

多分20年くらい前に、小学校高学年か中学生のときに親が買ってきてくれたのを食べて衝撃を受け、広くシナモンというものに開かれた人生になりました。名古屋の栄のどっかにあったんですよね。とにかくシナモンなら何でも好きになったのは、このシナボンのお陰です。

美味しかったです。イベント期間内とのことで即リピートだったんですけど、20年で記憶が美化されていました。記憶のシナボンはもっと甘かった気がして、三島由紀夫の金閣寺を真似すれば、「現実のシナボンは、こんなにも甘く無いものか」と、実は感じてしまいました。空想のシナボンは、この世で一番甘い物でしたが、過去1年くらい振り返ってみてもっと甘い物があった気がしています。でも多分、結構甘くて皆は食が進まないのか、あの6コパックのうち4コは私が追憶とともに吸収しました。

この20年間、どのシナモンロールを食べてもあの少年時代に食べたシナボンを越えられないと嘆いていましたが、それぞれ個性があったといいますか、甲乙付け難かったんですね。過剰に美化されたシナボンによるシナモンロール測度によってそれぞれのシナモンロールを測っていたことを反省しています。

金閣寺 三島由紀夫

過去というのは、こうも簡単に意図せず無意識に美化されてしまうものかと実感することになりましたし、20年も温めて美化したものに向き合う機会が訪れるとは思っていなかったので、そのこと自体には強烈に感動しました。

読書の秋
雑記

22.10.16

肉とか魚とか野菜とか米とかバランス良くみたいな話で、言語とか理性とかロゴス全般では偏ってしまうのでヴァージル・アブローの次は横尾忠則のエッセイを読んでいます。

言葉を離れるというタイトルですが、エッセイを通貫しているのは本を読んでこなかったんですよねという回顧でした。逆に読書の秋におススメです。読書をしてこなかったというエッセイの中に、ちょっとだけそのロゴスではなくて肉体でいけ感覚でいけみたいな叱咤激励があります。

肉に対しての野菜的感覚で、ヴァージル・アブローに対しての横尾忠則でしたが、やっぱりどっちも天才すぎてため息です。むしろ、どっちも肉でした。

円柱の傾き問題
雑記

22.10.12

まさか、こんなことを考えるとは思っていなかったですし、けっこう長い時間ずっと考えるとも思っていなかったです。テーブルの上に棒があったとして、どれくらい傾いているかってことなんですけど。

実際の物で用意してしまったので、柔らかいイメージのみ受け取って下さい。棒というのは理想的な円柱で向きをつけらるような目印が無い物を想定しております。

傾きということで、どこからの傾きなんだという話になりまして、それはいつものカッターマットが分かりやすく可視化しています。横といってもいいし、水平線からのズレでも良いんですけど、その角度が、パッと思いつく棒の傾きですよね。この写真だと45度です。

すこし天邪鬼に225度傾いていると言われても、大人な私はうんうん頷けるつもりでした。眼鏡屋を営むなら乱視の軸とか度数変換に関わる部分なんですけど、ここまでの理解で十分です。慣習で、軸は180度までに範囲を絞って記載します。225度って言ってもいいけど、45度とぴったり一致しているよねという判断で、そうします。

もう一度写真を見ておきます。傾きというのは一点(原点)で固定された回転の動きです。まずそのように捉えたのが角度による把握でした。ここで原点から伸びる方向で傾きを表現してみます。すると、原点から45度方向に伸ばすのと、原点から225度に伸ばすのでは、伸ばす運動が正反対です。45度と225度の違う角度を同じとみなすのも納得いかない人もいるとは思いますが、あれは頭で棒を各々の角度に回転させてみれば一緒かなぁって思えます。それか、0度に傾いている棒を180度の傾きにすると言う方が分かりやすいかもしれません。傾いていない棒を、これまた傾いていない180度に傾きを直すという、もはや棒の回転だけです。

話を戻しまして伸びる方向で表現すると、向きが正反対です。光と陰、天と地です。傾きの表現の違いで、そんなことが生じてしまって良いのでしょうか?もう一度写真を見ます。1本の棒が、(変な表現ですが)1つの様態で傾いているだけです。やっぱり2通り傾いているようには見えません。

実は私は、先にそういうのを使ってあれこれ書かれた論文をいただいていまして、その中で円柱の傾き問題が既知として応用されているのを見てから、上記の問いといいますか、傾きの意味を考えてみました。それでも相当感動しました。乱視の軸は実務で使いますが、円柱の傾き具合を深く考えたことはありませんでした。円柱の傾きの表示問題は、もしかすると工学部では当たり前なのかもしれないです。カッコ良く言えば、円柱の傾きをベクトルで表現したいってことになるんですけど。解決法はとても単純そうにみえますが、答えを知らない状態からだとパッと思いつかないです。暇つぶし用の考え事には最高かもしれません。

ダイアローグ
雑記

22.09.30

トムサックスとの対談目当てで買いましたが、読んだ感想としましては、他も、むしろ他が、もっと面白いかも。対談が年代順に並んでいる為か、後半になればなるほど熟している感がジュワジュワです。

面白いんですけど、読めば読むほど怖いですよね。ファッションの天上界では、物の良さどうのこうのではなくて、意味での殴り合いが現在も行われていて、その殴り合いでは本物とか物が良いとか元祖とか、そういうことが意味をなさなくなってきていると。その動きを現代アートのデュシャン以降になぞらえて云々というのがヴァージルアブローの流儀だと、対談から何となく把握出来ます。

となりますと、その意味の殴り合いに於いて、日本はまずその輪に入れていない可能性があるってことですよね。それか少なくとも、歴史のある“ものづくり”みたいな今まで強力な武器だったものが、つくりや品質を維持していても、いやむしろますます向上させても、今後は意味を与えられず打撃力が低下するという予言にも取れます。

こういう状況のときに、まず思いつく対処法としましては、輪に入らないと自分から宣言することです。ファッションから外れる、ファッションじゃなくてプロダクト(私の場合メガネ)だし、と積極的に距離を取る方法が思いつくんですけど、それに対しても本の中ではあらかじめ釘が打ってあります。

「p.34 私や私の友人たちは従順ではありません。それぞれ独立した考えの持ち主です。近しい友人の多くは、オフ-ホワイトのシャツなんて絶対着ないと言っています。人びとはよくファッションに興味がないと言いますが、その人たちの格好を見ると、往々にしてノームコアを着ているんです。私はこうした緊張関係のなかに新しいアイデアを見いだします。…」

少なくとも提供する側は、ファッション性を無視できない状況にあると予め述べられています。

昨年から今年にかけては、今このタイミングで反省をしますと、特にその武器の調節をしてみたという感じがします。

ツーポイントは、金無垢の手彫りです。サンプラチナの縄手です。なんかようわからんけどと言われてしまいそうですが、つまり緻密さの塊です。日本のものづくりの良さが前面に出た感じです。ただそのときから何となく、ファッション性には気を使っておりました。例えば上の枠なしメガネが3本載った写真を見て頂いて、茶色のレンズが元ネタです。80年代の枠無しメガネです。ダンヒルのフレームです。そのままではバブリーな雰囲気ですし、現在のヴィンテージメガネの流れも汲まなきゃなので、写真のピンクのレンズのメガネ、アメリカの30年代のメガネですがその雰囲気に寄せることにしました。足して2で割ると、真ん中右の緑のレンズのメガネとなります。

サーモントは、数ヶ月前にもあれこれ書いたのでアレですけど、銀無垢でサーモントを作ったらカッコいいよねきっと、そういうモチベーションだけに最終的には絞りました。銀という素材やそもそものサーモントという題材、そして日本のものづくりという要素をあれもこれも盛り込んだときに、荘厳過ぎてオブジェに還るという懸念がありました。もちろんサーモントも細部は緻密ですけどね。そこでいつも以上にファッションに寄せてみるということで、眉毛がクリアグレーのアセテートになっております。その辺詳しくは、過去のブログを漁って下さい。結局サーモントのときも、色々うるさく書いてしまってますけど、いつもよりは作りがどうのこうのという分析や、ツラがあって美しいみたいなことは書いていないはずです。物をコンテクスト抜きで見たら日本っぽく見えないようにしたわけです。日本でしか出来なかったという事実のみに、日本らしさを詰め込んだ感じです。

枠無しメガネにしてもサーモントにしても、もちろん同一のメーカーさんに作ってもらっていまして、ものづくりの精度を落とさずに、むしろそれの露出具合の調整でこういうある種対極的な結果になったと、振り返るとそんな気がします。

露出具合をどれくらいにするべきか、こういった悩みが生まれるわけですが、この本のどこかでヴァージルアブローがヘルベチカのフォントを使う理由が述べられており、それが参考になりそうです。数箇所あってページを忘れてしまいましたが、要は相手の無意識的な期待を裏切るという意味があるようです。日本人がものづくりの観点から喋ることは期待され過ぎていて、受け手の耳をただ通過しているかもしれないです。であれば、物の良さがやっぱり好きだからこそ、そこを諦めたくないからこそ、もっと隠して忍び込ませる必要があるのかなと、本を読んでいま一度強く思いました。

少し前に読んだ、穂村弘の形而上と形而下の関係を思い出したので、また『にょっ記』を読み直します。

装丁がカッコいい
雑記

22.09.10

中身見ずに信じて買ってみました。大分好きでした。パラパラっと内容を読むと確かに男子校ノリでくだらねーって感じなんですけど、あとがきがめちゃくちゃカッコ良いです。あとがきを深く染み込ませるための前フリとして、くだらねーの連発をわざとしているんじゃないかと疑ってしまう程です。そうしますと、2回目からはゲラゲラ笑えなくなるかと言われればそうでも無く、やっぱりくだらねーです。そして多分深いです。すごい。

後半に載っている『う×こ半分出し男くん』なんて、題名と内容で気恥ずかしさを隠して、何かに挑戦するときの精神そのものを説いている気がしてきます。最後、後ろ姿(影)でしか描かれない「かあちゃん」が出てきてハエを蹴散らし、出し男くんを叱りますけど、それは自分にとっては誰が、もしくは何が当てはまるのか?みたいなことを考えずにはいられません。私であれば個人のお店で自由にやれますけど、何を自由に半分出していられるのか、何によって律せられた自由なのか、何が担保の自由なのか、そんなことを読みながら反省してしまうほどです。

ちょっと前のポパイを読み返していたら、荒川良々さんが紹介していてとても気になったので買ってみました。私のオススメは『ツッパリ西遊記』『ラジコンかあちゃん』です。

明日は休みです
雑記

22.09.05

月例の眼科さん出張のため、9/6(火)は店は休みです。

名古屋イベント案内
雑記

22.09.02

今週末でした。

理屈で納得出来ると思うなよ(自戒を込めて)
雑記

22.09.02

笑わない数学の虚数の回を見ました。

全然本題とは関係ない部分で気になったことが。マイナス×マイナスは何故プラスなのか?納得出来ていないということに対して、証明と称して式変形から「(-1)*(-1)=1」を導き出して、ほらねって感じで番組が進みました。納得出来ていない方からしたら、だから何だと。マイナス×マイナスの意味みたいな何かをこっちは聞いているんだよってことでむしろ不和を生むと思います。いやいやいきなり式とか出されても、納得から離れてしまうんですけど…と、思った人もいたはず。

とくに男性は脳みそ的に気をつけないといけないかも知れなくて、何か相談をうけたときにネットにのっているとか、理論的にこうなると決まっているとか返答しがちですけど、尋ねた側からしたらこうなるって決まっていないという話なわけで。ちょっと前に岡潔から引用した理解と納得は微妙にズレているということを見逃している気がします。すぐ男って難しい言葉とか一般論で丸め込もうとするよねっていう、それです。多分わたしもやりがちです。

納得出来ていない場合は、納得出来ないという心をとことん大事にすることも一つの手です。今回のマイナス×マイナスの件では、そうしますとマイナス×マイナスが0になるかマイナスになるか、それこそ虚数みたいな感じで新しい数を自分用に生むのか、とにかくプラスでは無いと自分用にこさえて紆余曲折するのもありだと思います。特に今回の式変形という理屈から説得するパターンですが、その式変形はマイナス×マイナスがプラスであることを認めた世界での式変形であり、トートロジー感があります。説得する側の理屈が、そもそもマイナス×マイナスがプラスであることを前提として疑いがありません。納得出来ない側は、多分その前提が引っかかっています。

1,000円札1枚を財布から出して、何か物を買ったとします。物を買う前、1,000円札を出す前は、財布に1,000円があったはずです。出す(-)前(-)なので、ある(+)ということで、マイナス×マイナスはプラスってのはどうでしょうか。私のオススメです。

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