いまの、オーソドックスなメガネが一番カッコいいという価値観をひっくり返そうと思っておりません。ひっくり返せると、一度も考えたことはありません。では、なぜおもしろメガネに流れたのか?という話をつらつらと書きます。
ブルバキのメガネは、70年代くらいのメガネが多く、今の価値観からすると、おもしろメガネが多いとは思います。おもしろメガネだけでは無いですが。クセはあると思います。
もちろん、私もカッコいいメガネからハマった人間です。ゴツいセル枠が流行っていた時代でしたね。そして、おもしろメガネに流れた人間です。
例えば、美術館に行くとします。ある作品を見て「綺麗だな。美しいな。」と、感じるとします。美術館にいるときは、綺麗さ美しさを大事にしているのに、一歩外へ出てしまうと、カッコ良さを大事にしがちです。今はカワイイの時代ですから、カワイイの方が何となく伝わるかもしれません。ここに、深い分断を感じている訳です。
何を価値のトップにするか、割と局所的に、その場その場で変わる気がします。それが悪いと思っていません。ただ、出来るだけ多くの事に対して、同じ価値観で判断したいなと思います。それを積み重ねますと、共通項が見つかりやすくなる気がするんです。私は気づいたらメガネの道を進んでいました。メガネ人ならば、まずはメガネで、その価値観の分断を接続してみようと、おもしろメガネに走りました。
そもそも一般には、綺麗さ・美しさ・カッコ良さは連結して感じられるのでは?とも考えます。つまり、そこが分断している時点で、やっぱり私はひねくれていそうです。それに、おもしろメガネと表現しましたが、当時はバッキバキのカッコいいメガネとして扱われていたかもしれません。おもしろメガネとみなすその時点で、今のカッコいいメガネを価値の基準としている気もしています。
価値とか考え始めますとキリがないので、戻します。単純に、綺麗とか面白いとか、物を見て気持ちが「わぁっ!」となったそのままに、メガネを掛けてみたいと思わせたのが、ヴィンテージのメガネだったいう感じです。