まだまだあると思います。物質的な豊かさは。
何だかんだ、日本式のクリスマスが強力なイベントとして君臨しているのは、そこが大きい気がします。コトだけで満足しようという気配が感じられないです。
「モノよりコトの時代だから、今年はプレゼントは無し」
というスローガンが、来年くらいには掲げられるかもしれません。名古屋ではそんなイベントはまだ無さそうです。今のところクリスマスは、モノ派なわたし的に健全だなと思ったりしています。
モノとコトをもう少し拡大解釈して、
モノ→可視
コト→不可視
でふるい分け直すと、結構面白かったりします。意図としては、例えば二人の人が居て、言葉によって共感を生み出す、あるいは同じ時間を過ごしたり空間を過ごすことで満足出来るか否か、というような場合を想定しています。その周辺のプロでは無いので、言葉の定義は曖昧です。
おそらく、この分類を適用しますと、ある程度のイベントが、モノ派として括れます。SNSでの投稿等々に結びつくということは、投稿や“いいね”やコメントという可視化が行われていますので。
それが悪いと言いたいわけでは無いです。何だかんだ社会は急速に進歩しても、人間は依然としてモノ派で可視化されないと満たされない、もう少し大げさに言ってしまえば、ヒトの本質的な部分は中々進化しないのではないかと思えてきて、その緩やかさに安心しているだけです。