カテゴリー:雑記

ぼくのしょうがつやすみ
雑記

20.01.03

元日の時点で、親戚付き合いに限界を感じ、2日と3日はサササッと距離をとって、ひたすらに積ん読の解消に努めておりました。あとは録画したアドベンチャーレースを観たりとか。集まるのが嫌とかじゃなくてですね、これはもう、言葉に出来ないですね。

積ん読の中に、年末にお客さんに教えてもらった本も入っています。

めちゃくちゃ非現実的かというとそうでもなくて、並行宇宙論とか世界5分前創造仮説に近い内容とか、現実から離れすぎていないです。

とくに、ふるまいによる心の有る無しの描写は、現実社会でもその有無が怪しくなるくらいに強烈です。心なんて無くて、ふるまいが一致しているだけではないのか?そんな風に疑い始めますと、生を問うのと同じくらい、足場がガラガラと崩れるような不安を覚えます。

精巧なアンドロイドであるジェミノイドは、そういうことを研究する為に生まれているはずですし、そこまで人間に似せなくてもR2-D2やBB-8に心や感情を感じるのは私だけでは無いはずです。

メガネを通してやれ純粋持続だ、やれ本当の感動だ、とか言ってましたけど、そもそもの感情の源泉であるような心が有るのか無いのかどうなんだ?みたいな地平に戻されてしまって、打ちのめされました。そんな良い本です。しかも小説なので、哲学書周辺と違って、サラサラしてます。

面白い
雑記

19.12.28

今回は音楽特集でした。もっと、今の音楽を聴こうと思い改めました。新しい服もそろそろ欲しいなと思いましたね。

あれから僕たちはどう生きたのか
雑記

19.12.28

ちょっと前に流行って、そのあとどうしてます?何だかんだ、これ買って10年くらい経ちますし、年一回くらいは読んでいますので、今年も読んでみました。

来年どうしようとか、こんなブルバキでもちゃんと考えるんですけど、そういうのはこの本か内村鑑三の後世への最大遺物か、久々に読んで発見のあった部分を、おそらくそこが未達成であるとし、それをどうメガネの問題に変換し、形にするのかという脳内会議があって、それが来年の目標になります。

たぶん、3年くらい前のブログで紹介した時に、第二章の純粋経験の柔らかい版みたいなところが、ブルバキ的この本の至高ということを書いたと思います。相変わらずそれはそうなんですけど、初めて第一章が則天去私の考えを、かなり柔らかく解きほぐしているなと分かりました。一章と二章が大前提を、第三章以降は実践編という感じなので、むしろ二章まで読んで腑に落ちないと、三章以降はただの道徳の教科書みたいに心に映るでしょうね。

たぶん明日
雑記

19.12.23

いつも録画を観ているので、詳細覚えていないんですけど、たぶん明日です。テレビ番組の365日の献立日記という5分番組が、めちゃくちゃ面白いです。献立にフォーカスを当てているので、レシピが殆ど流れないという、今までの料理番組にはない革新性が、そこには在ります。

自炊って、めちゃくちゃ難しくないですか?どうですか?そう感じるのは私だけですかね?食材の切り方、調理の仕方、味付け等々の技術的な不慣れもあるんですけど、そこが慣れても難しい。なんでこんなに難しいんだと相当考えた末に、ようやく分かりました。自炊は、かなり経営とか操業に近いです。食べてきた物を振り返って次のスパンはそれぞれ何を作るかという戦略、冷蔵庫の食材のあまり具合と食費の資本管理、賞味期限によるロス管理、スーパーに行けるタイミングがあったりなかったりの不安定な入荷。特売云々による不意打ちの入荷等々…。この混沌を上手く引き受けて、サイクルを止めることなく回し続けるのは、もはや経営そのものだなと。まず回す、つぎに安定して回す、最後は回し続ける。とにかく難しいです。サイクルを止めたとき・止まったあと、もう一回起動する労力といったらもう嫌になりますね。でも、回し続けるのもしんどい。どっちも崖です。

ブルバキを始める前に、お店の経営の練習として、もっと料理をやっとくべきだなと痛感しました。なのでたまに、「わたしもいつか何か始めたい」的な相談を受けることがありますけど、自炊すると良いと思います。私は未だにどっちも苦労しています。

なぜ美しくないといかんのか
雑記

19.12.22

おそらく、その質問を頂いた時点で、もうそれが答えなので、そのときは、そうですよねぇ美しい物やとりあえず良いものが売れる時代は終わりましたね、いつまで意地はってやってるんでしょうね、みたいに濁します。ブルバキはどうしようもないですね、やっぱカルチャー無いわ。

美しいと、遺る予感がしませんか?それだけですね。凄い芸術家とか、そういう人だけではなくて、何か遺したいじゃないですか?一般的には家とか土地なんでしょうけど、メガネも良くないですか?持ち運べてコンパクトですよ。

クリエイターというと、なんだか厳かな感じもしますけど、職業じゃなくてもクリエイト出来るんです。そういうことが言いたかったので、銀無垢とか手彫りとか言い続けています。買っていただいたことで、遺る美しさを一つ、皆様が生み出してくれた訳です。そういうことなんです。

1959年
雑記

19.12.21

いまのいままで、トニー・谷を存じ上げなかったので、衝撃でした。私は、カッコいいと思いました。お笑い狙いでフォックスアイを掛けているんですね。いや、でも、それ込みでカッコいいと思います。

ヴィンテージ眼鏡の観点から。たまには。ダブルダイヤのリベットですね。激レアです。ジェームズ・ディーンがダブルダイヤのリベットのメガネを掛けていたというので、ダブルダイヤのリベットというだけでもそれなりに高値になったりします。界隈では。

これからはダブルダイヤのリベットを見かけた際は、トニー・谷と同じリベットですねと、言いましょう。そして、あなたは、まだジェームズ・ディーン基準なのかと問いかけましょう。海外にわざわざ目を向けなくても、日本にレジェンドがいるじゃないかと。

演劇のパンフレットから載せました。学校が舞台となっていまして、他の演者もメガネをかけています。この時代のメガネの掛け方の裏が取れるという点においても、大変参考になる冊子でした。確かに、眼はレンズの真ん中、左右の余白は少なめで合わせています。

まあ、その通りなんですけど
雑記

19.12.18

この前「ブログからは、何を突き詰めようとしているのか判然としない」というような感じで対面でスパッと言われ、流石に一瞬たじろぎましたね。まあ、でも、そういう風に思うだろうなと、すぐに妙な納得をしました。雑記に一番力を込めている時点で、初めて見たときは意味不明でしょうから。

おそらく、他の業種でも近い悩みがあると思いますが、そもそも眼鏡屋一般というのは、何を突き詰めるのがスタンダードなんでしょうね?やはり検眼でしょうか。そうだと仮定しますと、なんでヴィンテージなの?という問いがいつも頭をもたげます。それを繰り返してしまいます。

この感じは、異性に「どこが好き」と尋ねられて、どこと特定出来ずに全部と言ってしまう感覚に近いんですけど、共感してもらえるかは自信ないです。つまりは、要素で分解せず、全体のまま捉え続けるということなんですけど。そういうときのイメージは多角形では無く、円で捉えていて、多少その円が崩れようが気にしないです。領域の広さと、領域の中に穴が空いていないかくらいは気にしています。

もう少し、商品も載せていきます。

スクラップ&スクラップ
雑記

19.12.13

自分のです。在庫分もありますけどね。銀無垢と金無垢(K14ホワイトのコンビ)のやつです。最後の最後、顔幅などなどの調子をとるときに、「まぁ自分のだし、1.60なら、そうはレンズ割れないだろう」と面倒がって指でクッとしたらパリッとやってしまいました。ナット外してヤットコで曲げをやっとくべきでした。やっぱり、帰るまでが遠足でしたね。

いま、zipFMのフレフレフライデーを聴いていますけど、自爆したこの私こそ、猛烈に応援して欲しい気分です。時間もお金も一瞬で無駄になりました。悲しい。今日は何も生まれずに一日が終わりました。

クロムハーツの”Hellz Bellz”というフレームがいい感じなので、レンズシェイプを元に戻して、それに似せようとしたときに、悲劇は起きています。

天地浅めのレンズ幅広めで、ミラー処理はダメですね。しかもツーポの鏡面加工。上下のギラつきとゴーストで視界がかすみました。さすがにあれこれ試して慣れている私でも、レンズが割れていなかったとしても、うまく使えなかったと思います。

作戦練り直します。

それは階段なのか
雑記

19.12.11

店をはじめて分かりました。一番多い会話の端緒は、ここ始めてどれくらい?かもしれません。例えば、ちょめちょめ原子がちょめちょめ回振動したくらいですとか。それは伸びたり縮んだりして、流れの最中では人生の全体で長く苦しく、いま岸から上がって眺めてみると、それは人生の一部であり一瞬でしたなぁはっはっはっ、みたいな仙人的な返事をするでも無く、それらを妄想に留めて普通に返事します。その私の返答に対して、さらに何かがあった試しがない、相手が腑に落ちた感じとか、納得の相槌とか、若造が所詮そんなもんかとか、それらが無いです。虚無ないし、ふぅ〜んという空気が流れるこの感じは、今日も良い天気ですね、今日も寒いですね、に近いものを感じます。そういうジャブみたいなものだろうと、いまは思っています。

でも、この問いは、個人の心の中で時間をかけて転がすにはもってこいの題材だったりします。店を始めて、そろそろ通算4年になりますが、眼鏡士になったのはいつからだったかなと。例えばこんな風に問いを変化させます。同じようなことを言っているようで、微妙に違います。要は、眼鏡屋を始めたら眼鏡士に自動的になるのかならないのか?そこは本当に不可分なのか?眼鏡士とはなんぞや?資格のことか?とかとか。

そこでウィトゲンシュタインが要るわけです。言語ゲームとか、映画の中でも「ふるまいの一致」というキーワードが出ていたはずです。いまの流れを受けると、一体いつから眼鏡士としてふるまうようになったのか?みたいな話です。そもそも眼鏡士のふるまいとは何か?も含まれます。

私個人で言えば、子どもが先日生まれ、皆からお父さんになった実感は?とめちゃくちゃ聞かれますが、子どもが産まれてすぐで父としてのふるまいをした記憶も無いですし、そもそも父としてのふるまいって何だ??みたいなところがやはり未着手ですから、基本は「無い」と即答しています。すると、こいつには人の魂が無いんだな…と思われていそうな気配がいつもするんですけど、そういう、要らん逡巡があるんですよ。嬉しいかどうかで聞いてくれたら、嬉しいで返事出来るのに、みな、なぜ。

少しのらりくらりしましたが、とても大事なことのように思えます。アパレル業界からついに、メガネ店が生まれましたよね。別にそれがどうのこうのは興味が無いんですけど、自分のポジションを確認する機会ではありますからね。

快適なパイナップル
雑記

19.12.10

タイトルで気になったら、観てみてもいいかもしれません。ブルバキもそろそろだなと思ったときは、見ない方がいいでしょうね。

久々に、インスタでカルチャーいいね!が欲しいなあと思いまして、真面目に紹介しても何だし、ややくだけた紹介で載せてみました。結果は、全然よくないね!でした。眼鏡よりもいいね!が少ないです。珍しい。賢そうなカテゴリーのものは、大体無批判的にいいね!が押される傾向にあったのですが、もしかインスタの世界も倦怠感から変化のうねりが生まれようとしているのかもしれませんね。それか、ひょっとしたら本当に洋物のavと思われたかもしれないですね…。まあ、上半身裸だし。一人で見た方が良いのは間違いないんですけど。

これ1本で70分くらいかな、大まかなウィトゲンシュタイン年表が頭に入るので、良い映画でした。

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