カテゴリー:雑記

途中、ピザの話です
雑記

20.11.25

民藝のお勉強。そろそろ、この本は前読んだあの本と似ているなとか思い始めたので、民藝が頭に入ってきたかも。全集7巻『民と美』です。色んなことが滅多打ちでして、私も無傷で読むことは出来ませんでした。

あれなんですね、やっぱり最大多数の最大幸福が念頭にあるんですね。そしたら、ブルバキの銀無垢等々は生産数一桁ばっかりなので、世界中の人々が使ってニッコリ出来ないので民藝の観点からはダメでした。ここでの分類ですと、美術工芸のカテゴリーでしょうか。いずれにしても、大半は健やかではないと一蹴されちゃうんですけど。やっぱりブルバキはカルチャー無いわー。しくしくです。

ちょっとブログで書く旬を逃しましたが、2週間くらい前に、ドミノピザをピザのプロ達が食べて合否を出すテレビ番組が放送されていました。

アレをみて思ったんですけど、それは村上隆の「アート」の分類から着想を得ていますが、pizzaとピッツァとピザが有りませんかね?ごめんなさい、突然変なことを言い出して。眼鏡屋なのに。以下、もうしばらくピザの話です。

なんとなく、ざっくりな分類で。イタリアの正統派な“pizza”、日本のお店による、pizzaの解釈によってうまれた“ピッツァ”、そして宅配ピザとかの“ピザ”です。ピザにピザ(伊)とピザ(米)の分類があるかもしれませんが、一旦省略です。さっきの、「ピザのプロ達」という部分は、この分類では「pizzaとピッツァのプロ達」となります。

これに、順序構造を組み込んでしまっていませんか?そこが引っかかったところです。無意識のうちに、“pizza>ピッツァ>ピザ”の順序が尺度として想定されていませんか。要は、ピザはpizzaとピッツァと同一の物差しで測りうるのか?測れたとして、その物差しではpizzaが最大となるのか?色々考えようと思えばキリがありませんが、

(ピザ)=k(pizza) (kは実数、0<k<1)

みたいな関係が、まさにリニアな関係が無意識に想定されている気がします。数式にしたらここまで何で一生懸命書いてるんだろうと、一層自分に呆れてきました。際立ちましたね。

ここで、もう一回ピザから民藝に話を戻します。民藝は、美を美術と美術工芸と民藝に分類するところから生まれているみたいです。そうしますと、pizzaが美術でピッツァが美術工芸で、ピザが民藝でしょうか。つまりは全部美味しいってことです。

眼鏡ですと、例えばブルバキに於いてですと、銀無垢の眼鏡に対して「チタンの眼鏡と比べてどう?」みたいな質問を頂くことが、ぼちぼちあります。

眼鏡だと分かりにくいですがピザなら分かり易いはずです。あっさりなピッツァの気分の時もあれば、マヨネーズがドバドバのピザの気分もありますよね。きっと、チタンの眼鏡と銀無垢の眼鏡の違いは、そういうことだと思います。

今年も登場
雑記

20.11.16

多分、過去2回はこのブログで紹介しているはずです。前は、表紙が違ったかも。良い本は何度も読みますし、何度もこれに書きます。他人に差し上げて一度は手放しましたが、結局自分が読み返したくなるので古本で買いました。一回は新品で買っているので許してください。

少なくとも1年以上は、前回読み終えてから期間があいております。そしていま読み終えての感想は、初めて読んだかのように面白いです。それは、内容が頭からすっ飛んでいたからというわけでも無いです。

大学の専攻は数学でしたから、今回読むまでは、実無限派として読んでいました。ですからこの本の中でのやり取りを、真剣に吟味しようとしていなかったんだなと、過去2回は読んだ気になっていただけだったなと、新たに気付けました。そしていまわたしは、やや可能無限派に属しているんでしょうね。片足は確実に突っ込んでいます。それが成長にリンクしているのかどうかは分かりません。現代科学は実無限派ですから、その観点からは退化かもしれません。

どっちにしても、この本の中でのやり取りが、自分に向けられているように(この本としては、私も3人目のゼミ生になったかのように)切実に響いたということは、自分が実無限派から可能無限派に移行しつつあることは間違いないです。カッコつけてあれこれ言ってみましたが、要はうんうんと、何度も読んでいてなりましたよと、ちゃんと染み込みましたよという話です。

例えばですね、私でしたら仕事的に眼鏡の美しさということになるんですけど、その美しさに対しての捉え方とかアプローチの仕方とか追求の仕方とか、それがまさに実無限的から可能無限的にと言いますか、そんな風に、店を続けるなかで移行をしていることに気づきました。特に読んでほほぅ!と手を打っちゃいそうな部分、移行を感じた円周率πについて書かれた箇所を引用します。

p.34「有限主義というのがあります。これは有限のところで頭打ちにしてしまって、可能性としての無限も考えないんですね。可能無限の立場は有限主義とは異なります。天井知らずの有限主義と言ってもよいかもしれませんが、あまりうまい言い方とも思えません。展開の果てしなき可能性、それこそが無限だと考えるのです」

「…πという無限小数のすべての位が実は確定しており、ただ人間がそれを有限の位までしか知らないだけだと考えるのは、まさに無限を実体としてそこにあるものとみなす態度にほかなりません」

p.229「無限は完成を拒んでいます。そこからはみ出たものを捉えようとし、捉えたと思ったときには新たなものがはみ出ていく。このたえざる歩みこそが、人間が無限を生きるということにほかなりません。そもそも完結した全体としての完全なんていうものがないのですから、『不完全』ということも無意味でしょう。例えばπの小数展開に対して人間が為した有限の展開が、完結した無限小数としてのπの不完全な認識なのではなく、際限のない未完の作業であるように、それはむしろ、永遠の未完成と言うべきなのです」

ちなみにp.229は、この本の主要テーマであるゲーデルの不完全性定理のざっくり証明が終わった後のアフタートークです。この“そもそも完結した全体としての完全なんてものがないのですから、『不完全』ということも無意味でしょう”という部分の味わい深さは格別だと思います。

そして、この引用部分の“無限”を、さっきの美しさみたいな単語に置き換えてみたり、各々で自由に理想とかザックリと、そして漠然とした長大なもの・こと等に置き換えますと、なんだかそんな気がしてしまいませんか。私は、そんな気がしてきちゃいました。

それで、そういう風に認識が変わったとしまして、明日からの提供される眼鏡がどう変わるんだと言われてしまいますと、おそらく大きくは変わらないんでしょうけどね。いつも通りのらりくらりで、ブルバキが急に明日から流行るとかも無いんでしょうけどね。ただ、そういう心持ちで店を続けるのだなと、続けるとはそういう意味がこもるのかと、ちょっと教えて頂けた気分になりました。なので、また懲りずに勧めておきます。

頂き物
雑記

20.10.21

全集頂いたのに、読めていませんでした。本棚のコク出し要因になっていました。

ようやく手が空いたので、一番気になった「物と美」から。小林秀雄の直覚と分析に近い、ほぼ同じかな、そういう話です。常に直覚から始めなさいよ、と。分析からは直覚に至りませんよ、と。

この本では「もの」と「こと」と表現していましたが、この表現がそのまんま現代にカッチリ当てはまりますし、そのおかげもあって読みやすいです。読みやすいというのは字面を追いやすいという意味でして、本当に理解し得ているのかは私も分からないです。そういう意味では難しいです。

確かに好きという言葉が指すものが外からの観察か、内に入っての戯れか、それはいつも気にしています。

シュガー&シュガー
雑記

20.10.21

先々週くらいから見始めました。サカナクションの音楽実験番組です。

どうかなーっと思っていましたが、今週はとくに面白かったです。確か、「音楽とファッションの乖離性に関する考察」とか何とかいうテーマで、要はこのファッションの見た目の人はこのアーティスト好きだろうと、スナップ写真を基に、勝手に予想しあうことを2人で対局形式で行うわけです。それを“シュガシュガ将棋”と呼んで興じており、視聴者もテレビ越しに予想しながら参加して、わかるわ〜好きそうだわ〜とか共感する流れです。ややシニカルでした。乖離という表現であれば乖離性は乏しく、むしろ親和性であれば多分に感じると言いたいところなんでしょうね。

これが強迫観念になると、具合が悪いです。そして書いている今、自分もそれに屈してしまっていたことに気づいてしまったので、具合が悪い例として、ここで正直に書いておこうと思います。

公称の、初めて買ったCDはスーパーカーのハイビジョンです。ウソです。本当は違います。カッコよく思われたくて、つい出来心で…。本当は、B’zのめっちゃ金ピカのベスト版です。当時、日本一だったかとても売れていて、そんな売れているのなら、どれどれ一つでも…というので、B’zをそれまで全く知らなかったのに、何故か買いました。何ならその次の銀ピカ版も持っています。時期としては、スーパーカーが中2か中3で、B’zのベスト盤は小学校高学年のときのはずです。そんな記憶がふんわり蘇ってきました。色々と失礼な態度でした。すみません。カッコいいに決まってます。

書けば書くほど鮮明に。“LADY NAVIGATION”からの“太陽のKomachi Angel”が最高に好きでした。おそらく、まだカセットテープの時代、MDの到来前です。車にCDが付いていなくて、カセットテープに入れて車での家族旅行のときに、よく聴いていたはずです。そういう幸せな像とくっついて離れない音楽は、自分にとって一番であることは間違いはずです。最近、店でどんな曲を流そうか迷い始めて、ラジオか無音で営業していましたが、ようやくあの空間に何を流すべきか気づけました。

店に無いとすると、家にも無いはずで実家に置き去りです。カッコつけてて本当にカッコ悪いですね。そういうことを、幸せな記憶の堆積を無碍にしてはいかんですね。次に実家に帰ったときは回収して、店で流します。

その表情に釘付け
雑記

20.09.19

色々あって、雑記欲が凄いです。無視してください。今日は銀無垢も書いたので、それは下に記事があります。

名駅のユニクロのベビーコーナーのディスプレイで、この絵本が使われていました。オシャレでした。

安西水丸の絵本があるんですね。知りませんでした。もともと、村上春樹とタッグを組んだものくらいしか、本の表紙や挿絵とか、それくらいしか拝見していませんでしたが、この絵本で好きになりました。そういえば表紙の顔が笑って無い。

そもそも絵本の主人公だからといって、いつもニコニコしている必要も無いですしね。中も基本はこの表情です。こちらが勝手に意味を与えてしまうからいけなくて、ムスッとしているのか、生真面目で使命感があって、それゆえ表情が緩めれないのか判然としませんしね。

砂浜までアレコレ運ぶ話なんですけど、無事に運び切ったそのときの機関車くんの表情やいかに。感動のクライマックスでした。

1992
雑記

20.09.19

BSのファッション通信という番組が好きで、録画してみてます。あれで山本耀司特集をちょっと前にやっていて知りました。ドキュメンタリーあったんですね。ヨージとなると、10年くらい前にY-3のジャージを買ってみたことがあるくらいで、私にとってのヨージ観みたいなものもある訳でも無いですし、ましてやドキュメンタリーをみただけのヨージ観でヨージ周辺を語ろうなんて、その材料にしようなんて考えてもいませんが、とても気になって買ってみました。

つえー
雑記

20.09.09

ユニクロの雑誌、第三弾出てました。

何でもかんでも「3」というのはキーですよね。三度目の正直、二度あることは三度ある、三日坊主とかとか…。英語も、3つ以上は最上級で一括りですし。

それで、この第三でしたが、一番強かったです。正直、面白いです。業界違えど眼鏡も同じ構造ではありますから、蹂躙されるかもという不安は常にですね。大きくて強い。

リニア
雑記

20.09.02

前に順序のことを書きまして、あともう一個好きな食べ物が云々と書いていまして、思いついたので追記です。

食べ物で無くても、せっかく眼鏡屋だから好きな眼鏡でも良いんですけど、多分食べ物の方がされる質問としては一般的だと思うので、共感しやすそうな食べ物でいきます。好きな食べ物を一列に並べて、好きオブ好きが決定出来るかどうか、という話です。食べ物を好き嫌いでまず仕分けします(好きでも嫌いでも無いの処理に困る場合は、一旦無視です)。嫌いな食べ物たちという集合よりも、好きな食べ物たちの集合の方が自分にとって上位なのは自明ですが、じゃあ好きの中で、どの好き同士でも比較出来るかどうか、これが問題になってきます。パッと順序と言われると、非常に取扱いやすく理想的などのそれぞれも比較可能な、まさに一列に並べられるような順序がまず思い付きますが、それはまあまあレアです。

よっぽど小学校や中学校の算数や数学が強力で、順序づけられるものに対しての計算などの処理で順序構造に慣れてしまうのか、逆に何でも順序がつくという感じに思っちゃいますよね。思っちゃうというのか、無いならつけたくなってしまうという感覚でしょう。

それと交換可能性も、順序と同じように思います。例えば、2×3と3×2の結果は同じ6です。それはそれで良いんですけど、現実世界は交換可能なことってまあまあ少ないですよね。風呂入ってから服脱ぐのと、服脱いでから風呂入るのでは、結果が違いますからね。それはそれで、そういう非可換な数学もあります。


雑記

20.08.30

ちょっと前に書きましたが、嫌いを克服したと言うのか、そもそも嫌いなるに至る、積極的に中身を知るプロセスを経ずに、なんとなく風潮に従って何となく嫌いっぽいくらいな感覚でしたから、克服でもなんでも無いことかもしれません。眼鏡とか、服とかの領域でよく使われる「ブランドが嫌い」という感覚に近いかもです。どの具体的なブランドにも自ら近づくこともなく、何となく大きいものを嫌ってみるみたいな、あれに近いです。

それで、アレコレあって嫌いでは無いと判明したわけですが、好きかと聞かれるとそういうわけでもなくて、いや、そういうわけでも無いわけでも無いんですけど、好きすぎてモジモジして「いや、別に、好きじゃ無いし」という感じではなく、好きな作家を尋ねられて咄嗟に名前が出るくらい好きでは無いのかもしれないという感じです。ここで、“かもしれない”という表現を選んだのは、例えば好きな食べ物は年に1回か2回尋ねられることはありますが、好きな作家を尋ねられることは年に1回あるか無いかでして、まだ村上春樹さんを読み始めてから他人に好きな作家を尋ねられたことが無いからです。咄嗟に名前が出るのか出ないのか、まだその場面に遭遇していないからです。面倒な紆余曲折を経ましたが、一般的には好きで、そういうことで良いと思います。

しばらく小説を読んでいませんでした。休業中にみたヤフーニュースに上がっていたので買いました。それで、いま読み終えました。

短編集です。はじめの『石のまくらに』なんて、始まって6行で合体(した事実)が書かれていまして、このお得意の手法を槍玉にあげたいのならば、始めからどうぞ好きなだけ叩いて下さいの精神が垣間見えます。いきなり1ページ目で差し出されます。要は、007みたいな感じでお決まりの、ということなんでしょうけど。私も、そうやって納得させて、過敏に反応しないようになるまでに時間が掛かりました。

今回の短編集に収められている『ヤクルト・スワローズ詩集』では、その手法を自虐的に持ち上げていまして、男女の関係で喩えようとするのを自制しています。その辺まで自在となりますと無意識っぽい文の部分も、隅々まで意識が及んでいそうですね。

その『ヤクルト・スワローズ詩集』の最後、149ページに多大なる共感を覚えました。あぁそうですね、ブルバキも黒ビールです。すみません、しかも黒ビールしか無いです。この自覚も、ブルバキの黎明期には無かったですね。

明日から
雑記

20.08.24

今年は、守破離でとりあえず警報出たら休んでみて、来年からどうしようかなと、次の年から自己判断のオリジナルを加えていこうと思っています。

てっきり、今年は甲子園はやらないものだと思いこんでいました。なので休み期間中、テレビをつけたときに目に飛び込んだ、甲子園ぽい甲子園では無い何かに拠って生じた動揺、つまりブルバキは休みすぎか?という迷いも実際はありましたが、なんとか無事に休みきりました。

ところで、野球でも何でも、コンビニスイーツでも良いんですけど、順序ってつけたくなりますよね。ならないですか?どうです?

この順序という考えは、「どういうときに順序がつけられるか」みたいなことを考えると面白いです。つまり、いつでも順序がつけられると思ったら、そうでも無いです。

例えば身近なところで、グーチョキパーは三つ巴で順序がつかないです。だからこそジャンケンが成立すると言われたらそれまでですが、わたしは感動した記憶があります。順序がつかないのも悪く無いなと。

それで順序がつけられる場合、それぞれを比較することが出来るようになります。これが、どの2つでも出来るようになると、全部をピンキリで一列に並べることが出来ます。詳しく立ち入りませんが、気になれば半順序・全順序で調べてみてください。とにかく順序は、なかなかつかないということです。順序がパッとつく構造とかカテゴリーとかは多くは無いです。なかなか順序がつかないからこそ、世の順序にはエイヤっという部分が大体あります。テレビのコンビニスイーツのランキングで言えば、「店員さんが選んだ」とかです。そして順序がパッと付きづらいのであれば比較も、そうは出来ないことに思い至ります。例えばヴィンテージの世界では、年代がそうです。古ければ古いほど強いというエイヤっがありまして、それを基に比較をしている場合が多々です。

8月の休業に入る前に、なぜか、創業から今までの流れをお話しする機会が多々ありました。とは言いましても、ブルバキもまだ通算で4年半ほどですから大したことも無いですが。

創業のときは、壮大な勘違いからスタートしました。そのときのブログも残してありますから、なんとなくニュアンスが判っていただけると思います。簡単に言えば、自分の尺度で順序をつけて、自分が一番正しい、世のメガネを正していくぜっ!みたいな、青臭さです。そういう精神じゃないと、一から立ち起こす気概が湧いてこないのは間違いないですが、いまとなっては恥ずかしいですね。

感覚的に、おそらく、順序がつかないことの方が多いですよね。世間は。営業する中でそれは本当に痛感しました。そして、順序がつかないということは、ずっと整理がつかずにフワフワしているということです。どうしても人間、どっちかに決着をつけたい、つまりはスッキリしたいわけですが、世間はそれをさせてくれないです。大体、(自分の尺度では)みたいな但し書きが、成立する為の条件としてくっ付いてきてしまいます。

そうしますと、困ったことに自分や自分の店やらが尖っていない、何かしらに特化していない感覚に陥りまして、何となく行き詰まった気分になります。実際なりました。むしろいまも残っています。そうかと言って、単純に戻る、何かをダシにして突いてみることも何だかなぁと気付いてしまった以上、出来ないわけです。

それで、始めの写真の本に戻ります。今回の休業中に何とか読みきりました。10年ほど前に買って、殆ど理解できず終わった記憶があります。このシリーズにしては珍しく?全然入門になってない気がします。

この本に出てくる「いわゆる独我論」を創業のときの自分に、「いわゆる実在論」を世間に豊かさがあるなぁと思い始めた自分に重ねると、ぼちぼち理解しながら読めたかなと感じました。もちろん、心の整理の手段までは教えてくれない、そんなものは自分で編み出すしか無いのですが、相当手がかりになった気がします。

休業中に唯一読んだ本は確かこれです。人にアレコレお話ししながら、自分も店のことはまだまだ迷走中ですから、ヒントになればと時間のあるうちに読んでみました。ということで、何か始める方にはオススメです。

明日から再開します。

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