カテゴリー:雑記

読書以外にも当てはまり過ぎる
雑記

20.01.26

『読書について ショウペンハウエル著 斎藤忍随訳 岩波文庫 p.36,37あたり』

何気なく読んでみたら、止まらなくて読み終えてしまいました。チクチクと、ところどころ刺されて、出血無しでは終われない感じです。

150年前の人間と、なんも変わらないですね。

悔しくて
雑記

20.01.20

オフホワイトの、ワッフル欲しかったんですけど抽選当たらず。

ということで、商品管理棚のカーテンをあれっぽくしました。やる前から分かっていましたが、これでは全然、気が晴れないですね。

雑記中の雑記
雑記

20.01.17

たまたま構造主義を齧る前に、現象学をペロッとしたので、両者が仲が悪いと言いますか、なかなかお互いを認められにくい説同士というのは飲み込めました。

個人的には、なるほど困ったなという箇所もありまして。散々メガネを味わう主体の純粋性だなんだ、そういうことをつらつらと書いてきたわけです。店というのが、私にとってもお客さんにとっても、その実践となれば良いなと。

ちょっと前も、君たちはどう生きるかを持ち出して、そんなことを書いたはずです。そこで困ったことに、構造主義からすれば、主体とか何とかそういった類は普遍的では無いわけですから、普遍的で無い純粋性って何だ?みたいな感じで路頭に迷っています。

哲学を学んだ訳でも、専門家でもなく、ましてやベルグソンくらいしか原本の日本語訳を読んだことが無い人間ですから、悶々としたところで解決出来る訳ではありません。ただ、個人的には、特に無垢物を販売する意気込みに影響を及ぼしそうな気配がしておりまして、銀無垢が入荷するまでには、何とか自分なりに消化させたい気分です。

追いつきました
雑記

20.01.14

もう加工やら何やら、追いつきました。平穏を取り戻しております。明けて早々、怒涛でした。

あまりにもメガネウェーブが怒涛過ぎて、今日はメガネノータッチデイにしました。眼鏡屋ですけど、今日だけは眼鏡が気分じゃ無かったですね。明日は回復すると思います。

尚且つ近頃、平穏な時空は、ますますこの店にいる時だけになってきていますから、仕事で必要なら早めに読んでしまわないと、という焦りも募っておりましたので、今日はこの本を読み切りました。

ヴィンテージ眼鏡の世界も、まだ黎明期なのか昇り切らずに沈み始めるのか分かりませんが、いずれにしても何かを一強に仕立て上げて、それとそれ以外みたいな区分が手を替え品を替え続いている気がします。まあでも、ヴィンテージ眼鏡の世界以外では、よく店頭でもお話しするように、1900年くらいから徐々に一強じゃない、あれもこれも良くなっちゃう時代が来ているわけで、ヴィンテージ眼鏡もそうなる、と言いますか、それは免れないのではないかなぁと思ってはいます。どの年代のどれもそれぞれに良いよね的な風になるのかなと、なれば良いなと。結局、願望込みです。

店頭で、それを実感出来る売買というのは、まだまだ少数派ですけど、3年前に比べると多くなっていますね。今回の、久々の服屋さんでの外商は、販売内容を振り返りましても、そろそろ変わりそうだなぁと感じることが出来ました。

構造主義は曖昧な理解のまま読み終えました。その構造を説明する際に、数学の構造を用いて説明していくんですけど、それがとても動的で良いです。歴史が動く瞬間に立ち会ったんじゃないか俺は、的な感動を覚えます。第三章です。いま、私が何かを考える、何かを感じるという土台が、こうやって築き上げられてきたんだなと、しみじみします。

ぼくのしょうがつやすみ
雑記

20.01.03

元日の時点で、親戚付き合いに限界を感じ、2日と3日はサササッと距離をとって、ひたすらに積ん読の解消に努めておりました。あとは録画したアドベンチャーレースを観たりとか。集まるのが嫌とかじゃなくてですね、これはもう、言葉に出来ないですね。

積ん読の中に、年末にお客さんに教えてもらった本も入っています。

めちゃくちゃ非現実的かというとそうでもなくて、並行宇宙論とか世界5分前創造仮説に近い内容とか、現実から離れすぎていないです。

とくに、ふるまいによる心の有る無しの描写は、現実社会でもその有無が怪しくなるくらいに強烈です。心なんて無くて、ふるまいが一致しているだけではないのか?そんな風に疑い始めますと、生を問うのと同じくらい、足場がガラガラと崩れるような不安を覚えます。

精巧なアンドロイドであるジェミノイドは、そういうことを研究する為に生まれているはずですし、そこまで人間に似せなくてもR2-D2やBB-8に心や感情を感じるのは私だけでは無いはずです。

メガネを通してやれ純粋持続だ、やれ本当の感動だ、とか言ってましたけど、そもそもの感情の源泉であるような心が有るのか無いのかどうなんだ?みたいな地平に戻されてしまって、打ちのめされました。そんな良い本です。しかも小説なので、哲学書周辺と違って、サラサラしてます。

面白い
雑記

19.12.28

今回は音楽特集でした。もっと、今の音楽を聴こうと思い改めました。新しい服もそろそろ欲しいなと思いましたね。

あれから僕たちはどう生きたのか
雑記

19.12.28

ちょっと前に流行って、そのあとどうしてます?何だかんだ、これ買って10年くらい経ちますし、年一回くらいは読んでいますので、今年も読んでみました。

来年どうしようとか、こんなブルバキでもちゃんと考えるんですけど、そういうのはこの本か内村鑑三の後世への最大遺物か、久々に読んで発見のあった部分を、おそらくそこが未達成であるとし、それをどうメガネの問題に変換し、形にするのかという脳内会議があって、それが来年の目標になります。

たぶん、3年くらい前のブログで紹介した時に、第二章の純粋経験の柔らかい版みたいなところが、ブルバキ的この本の至高ということを書いたと思います。相変わらずそれはそうなんですけど、初めて第一章が則天去私の考えを、かなり柔らかく解きほぐしているなと分かりました。一章と二章が大前提を、第三章以降は実践編という感じなので、むしろ二章まで読んで腑に落ちないと、三章以降はただの道徳の教科書みたいに心に映るでしょうね。

たぶん明日
雑記

19.12.23

いつも録画を観ているので、詳細覚えていないんですけど、たぶん明日です。テレビ番組の365日の献立日記という5分番組が、めちゃくちゃ面白いです。献立にフォーカスを当てているので、レシピが殆ど流れないという、今までの料理番組にはない革新性が、そこには在ります。

自炊って、めちゃくちゃ難しくないですか?どうですか?そう感じるのは私だけですかね?食材の切り方、調理の仕方、味付け等々の技術的な不慣れもあるんですけど、そこが慣れても難しい。なんでこんなに難しいんだと相当考えた末に、ようやく分かりました。自炊は、かなり経営とか操業に近いです。食べてきた物を振り返って次のスパンはそれぞれ何を作るかという戦略、冷蔵庫の食材のあまり具合と食費の資本管理、賞味期限によるロス管理、スーパーに行けるタイミングがあったりなかったりの不安定な入荷。特売云々による不意打ちの入荷等々…。この混沌を上手く引き受けて、サイクルを止めることなく回し続けるのは、もはや経営そのものだなと。まず回す、つぎに安定して回す、最後は回し続ける。とにかく難しいです。サイクルを止めたとき・止まったあと、もう一回起動する労力といったらもう嫌になりますね。でも、回し続けるのもしんどい。どっちも崖です。

ブルバキを始める前に、お店の経営の練習として、もっと料理をやっとくべきだなと痛感しました。なのでたまに、「わたしもいつか何か始めたい」的な相談を受けることがありますけど、自炊すると良いと思います。私は未だにどっちも苦労しています。

なぜ美しくないといかんのか
雑記

19.12.22

おそらく、その質問を頂いた時点で、もうそれが答えなので、そのときは、そうですよねぇ美しい物やとりあえず良いものが売れる時代は終わりましたね、いつまで意地はってやってるんでしょうね、みたいに濁します。ブルバキはどうしようもないですね、やっぱカルチャー無いわ。

美しいと、遺る予感がしませんか?それだけですね。凄い芸術家とか、そういう人だけではなくて、何か遺したいじゃないですか?一般的には家とか土地なんでしょうけど、メガネも良くないですか?持ち運べてコンパクトですよ。

クリエイターというと、なんだか厳かな感じもしますけど、職業じゃなくてもクリエイト出来るんです。そういうことが言いたかったので、銀無垢とか手彫りとか言い続けています。買っていただいたことで、遺る美しさを一つ、皆様が生み出してくれた訳です。そういうことなんです。

1959年
雑記

19.12.21

いまのいままで、トニー・谷を存じ上げなかったので、衝撃でした。私は、カッコいいと思いました。お笑い狙いでフォックスアイを掛けているんですね。いや、でも、それ込みでカッコいいと思います。

ヴィンテージ眼鏡の観点から。たまには。ダブルダイヤのリベットですね。激レアです。ジェームズ・ディーンがダブルダイヤのリベットのメガネを掛けていたというので、ダブルダイヤのリベットというだけでもそれなりに高値になったりします。界隈では。

これからはダブルダイヤのリベットを見かけた際は、トニー・谷と同じリベットですねと、言いましょう。そして、あなたは、まだジェームズ・ディーン基準なのかと問いかけましょう。海外にわざわざ目を向けなくても、日本にレジェンドがいるじゃないかと。

演劇のパンフレットから載せました。学校が舞台となっていまして、他の演者もメガネをかけています。この時代のメガネの掛け方の裏が取れるという点においても、大変参考になる冊子でした。確かに、眼はレンズの真ん中、左右の余白は少なめで合わせています。

_170831bk

pageTopLink