カテゴリー:雑記

今週の土曜日です
雑記

17.12.12

お隣さんのイベントです。微力ながら、ご協力いたします。

私は電車の都合で22時半前には閉めますが、それまではスペースを開放します。

次の土曜日に向けて
雑記

17.12.10

今度の土曜日、16日の営業後に、ちょっとした催しがあります。いまは出張先で手元に何もないので、忘れないうちに書き留めます。

それの準備で、御影石買いました。形から想像つく通り、ボーズのあれです。音質を高めてみようかなと思っています。16日に向けて。お客さんに教えて頂きました。

最初は分からなかったですが、低音の包み込む感じが増しました。また、特定の曲で今まで聞こえていなかった音が聞こえるようになりました。

皆さん、色んなことに詳しくて、すごいなと思います。本来はこちらが楽しませる側ではありますが、教えてもらって楽しませて頂いている感覚もあって、何だか恐れ多いときもあります。

合理性
雑記

17.12.04

合理と書くくらいですから、理に合っている、もっと分解して

・理は何を指すか

・合うとはどのような状態を意味しているのか

の二つくらいが、真っ先に気になります。

 

ちょうど、いい言葉が思いつかないなぁというタイミングで、前述の本で「合理性と能率性の混同」が指摘されていて、いい表現だなと思いました。

思うに、混同というよりはむしろ、ムダを省くことだけが合理的であるわけではなくて、それは論理で照らした合理性というだけであり、合理性の一側面でしか無いという感じの考えです。辞書的な意味の合理性は、「道理に合っていること」ですから、そもそも合理性を説明するのに際して、道理という範囲の広い言葉が使われています。よって、おそらく合理性の範疇も広そうです。

 

高校の同級生に、何年か振りに会いました。話す内容や、その結末から伺える価値判断の基準を察するに、単純さに重きを置いた合理性でした。この10年で何が異なり、そして合理性に対して姿勢の違いが生じたかは分かりませんが、自分が合理性から逸脱したという感覚は無いですね。合理性を違う側面でも見るようになったのか、はたまたこの10年で「理」の質が変化したということだと思います。それが良かったのか悪かったのかは、これからの10年くらいで測られていくような予感がしています。

潤い
雑記

17.12.01

ヤカン買いました。乾燥対策です。これで、ちょっと居心地良くなったと思います。

今日から、吹上で骨董市やっています。名古屋へお越しの際は、ぜひブルバキにもお立ち寄り下さい。私も日曜日には、店のオープン前に吹上に行くと思います。

準備
雑記

17.11.25

ぴったり。自店の胡散臭さが消えたので、やっぱり植物の美しさは良いなと思いました。年末の準備です。

言葉本来の使い方では無いですが、生命の弾みのようなみずみずしさに惹かれることが多くなりました。おそらく、銀無垢とか無機物ばかり眺めているからかもしれません。

サイズ感
雑記

17.11.22

メガネとは関係ないサイズ感について。

コミュニケーション能力とか、その周辺の話になりました。そういえばメガネ屋なのに、そこそこの頻度でその辺りの話になります。メガネとの関わり具合を探るために、仕事の内容や状況の話に行き着くことが多々だからかもしれません。

それが有るとか無いとか、有る方が望ましいのか無くても良いものなのか。それぞれの方の考えがあって面白いなと、いつも聞いております。そのときに考えているのは、その人の想定しているコミュニティの大きさは、どれくらいなのかなということです。

想定しているコミュニティの大きさで、望ましいコミュニケーションの質も変化するでしょうし、お互いの想定しているコミュニティのサイズ感のズレが、望ましいコミュニケーションについて会話している最中のズレに繋がるのでは無いかなと考えています。大きいのか小さいのか、密なのか粗なのか。

メガネの販売でも共通する部分はありまして、カッコいいメガネ、オシャレなメガネと言われた際の「カッコいい」「オシャレ」というワードが、どれくらいのことを包括しているのか。そこをいつも気にしています。加えて、例えば「美しい」メガネと、「カッコいい」メガネの概念に、重なりが有るのか無いのか。有る方が優れているとかでは無くて、有れば一石二鳥のメガネが作れるなと、無ければどっちの要素が生活に欲しいのかなと、それくらいの感覚です。

考えるヒント
雑記

17.11.14

『考えるヒント 小林秀雄著 文春文庫 新装版2004年 p.36』

電話やメールでは上手くいかなくても、会ってしまえば、面と向かって話してしまえば一瞬で解決出来てしまうことは多々です。それが分かりやすく表現されていました。

主張であれば、ディベートの形式になりますから、議論の(内容というよりは)勝ち負けに陥りやすいです。告白であれば、受け止める・止められないの選択になりそうです。受け止められないとしても、目の前で告白されたら、その場をなんとかしようと一緒になって代案を模索することも起こり得そうです。対話の形式に近いのかもしれません。何となく私のイメージですが、非対面の形式は主張になりやすく、対面の形式は告白になりやすい気がします。やはり、顔を付き合わせると、抑制が効くのかおおよそ告白に近いニュアンスになりますね。

ちょっと前に、お客さんと価値観と言いますか、物を買うときの判断基準の話になりました。いまの選別でいけば、お互いの告白だったのでしょう。大枠が一緒ならば、具体的な表現の細かい違いなど気にならないですね。気にならなさすぎて、その部分を忘れています。

もちろん、全て合致していた訳ではありません。完璧な合致は、それはそれで不気味でしょうけど。もし主張同士であれば、その些細な違いから亀裂が生じることもあったかもと考えると、一層不思議に感じます。

ああいう瞬間は、なかなか訪れることはありませんが、その瞬間の為に働いている気さえしてきました。メガネから離れすぎないように努めます。

ダダ
雑記

17.11.06

中原中也から、ダダに流れています。そもそもダダを曖昧にしか知らないこともあって、しっかりとあの詩に共感できなかったので調べることにしています。

「ダダ 芸術と反芸術 ハンス・リヒター著 針生一郎訳 美術出版社 1966年」

もっと虚無的な、諦めを伴うものかと勝手に思っていましたが、全然違いました。対立するものを融かしあうのか、昇華させるのか、まだその違いは読み取れていないです。いずれにせよ、まだ本は途中ですが、「やーめたっ」という感じは受けていません。さらにここからという思想なんですね。

P.64の「…ダダは自然と同様に無意味なのだ。」という箇所、無意味であることと無価値であることを混同せずに述べている部分、簡潔でグッときます。

そう言えばの話
雑記

17.10.27

ちゃんとオープンしてから1ヶ月過ぎていました。早いですね。

初の色メガネとか、サングラスとか、カラーレンズ初めてという方の一回目をブルバキで担当出来ることは、嬉しいですね。

意外に、フレームの形状よりもレンズの色の方が、中心から逸れることに抵抗があるかもしれません。レンズの色の選定は、時間をかけないと中々決めきれないと思います。でもそれは、時間をかける程、フレームをじっくり眺めたり、メガネを飛び越えて合わせたい服、掛けたい場所、会いたい人をイメージすることに繋がります。メガネだけに関わらず、そういうときが一番面白かったりします。なので、時間を掛けたら良いと思います。

度付きだからといって、自動的にクリアレンズを入れる訳ではありません。屈折率の選択だけでは終わりません。今まで意識をしてこなかったことに対して、逐一選択を迫られることは、煩わしいことと察します。ですが、最後はそれがメガネの楽しさに繋がると考えておりますので、ぼちぼちお付き合いください。

 

閲覧用
雑記

17.10.22

メガネの資料を久々に追加しました。

「建築写真文庫116 時計・貴金属・眼鏡店 彰国社 1960年」

2年以上、名古屋の古本屋で見つけられないかなと探しておりましたが、諦めてネットで買ってしまいました。

1960年ごろの眼鏡屋の様子が垣間見えます。また、商売の分析とその商売にあった配置や照明プランを仮説として載せていたり、図鑑のようであり、はたまたビジネス書でもあるような不思議な本です。そして、装丁がカッコいい。

今回、この本で店の内装以外に驚いたポイントは、店内の物量です。60年代も、結構在庫あるんですね。70年以降は大量生産の時代だから見劣りするとか、ヴィンテージの多くのカテゴリーで60年代以前を本物と見做す傾向が何となくある気がします。

それぞれに数だけでは無い、魅力がもっとあるはずということでしょう。

_170831bk

pageTopLink