カテゴリー:雑記

差し入れ品
雑記

18.03.04

人生初の財宝です。差し入れで頂きました。

ラベルを眺めていて驚きました。放射性炭素同位体の年代測定やっていますね。数字に根拠が大ありでした。高校物理で、同位体の半減期の勉強の時に、コラムで教科書の端に書いてあったアレです。

メガネに関わらず、ヴィンテージ等々の分野で本気でこの手法を導入したら、ロマンみたいなものの半分以上は壊れると思います。

ただメガネでいえば、例えば40‘sフランスというカテゴリーには適用してみたいところです。確かに、各種図鑑、映像、写真でそれっぽいメガネを見かけることはありますが、いまいち確信に触れられていない気がします。そもそもフランスは、第二次世界大戦時にドイツに占領されておりますし、メガネを楽しんでいた余裕があったのかどうか、まだまだ判然としない部分があります。

 

変化
雑記

18.03.03

RE:SUPERCAR2 -redesigned by nakamura koji-

確か2011年ごろのアルバムです。

映画「ピンポン」のときからのファンです。おそらく、そういう入りの方も、ぼちぼちいらっしゃると思われます。

後期のスーパーカーをよく聞いていました。私よりもう少し上の世代の方ですと、前期のスーパーカーが好きな方が多いですね。その辺りの曲は、解散した後に発売されたベスト盤で初めて聞いたタイプです。スーパーカーの存在を知った時には既にHIGHVISIONが発売された後でして、映画を(DVDで)観た後に、CDを買いに近所に走ったのが懐かしいです。人生初めての、自腹を切ったCDだったと記憶しております。

ベタな入り方でしたので、好きな曲もベタです。STROBOLIGHTSとYUMEGIWA LAST BOYは、本当によく聞きました。未だに聞いています。むしろ、ますます聞くようになりました。

それは、写真のアルバムがきっかけです。しかし、買った当初はほとんど聞かずじまいでした。好きなJUSTICE BLACKの為に買ったような感じですね。もともと収録されているアルバムのANSERが、懐かしきCCCD(コピーコントロールCD)だった為、アルバムを買ったときの心持ちは、念願のmp3化が出来るなあ、くらいの感覚だったと思います。特に、先ほどあげたYUMEGIWA…とSTROBO…は、そのときは全く良く思えませんでした。すみません。

今になって聴くと、とても良く聴こえてきます。むしろ、いまはオリジナル版よりも写真のリデザイン版をメインで店内で流しています。リデザイン版も、元々クオリティが高く良い音楽だったはずですが、記憶や思い出に引っ付いてしまったオリジナルと比較してしまい、正しい判断や感じ方が出来なかったと、今になって思います。好きか嫌いか、心地良いか良くないかではなく、オリジナルに近いかどうかで聞いていたのでしょう。もちろんその場合の判断は、アレンジを加えればオリジナルは多少なりとも崩れますから、基本ダメと感じてしまうのでしょうね。ようやく、どちらも好きだなと感じることが出来ています。

無理やりメガネに繋げる感じになりますが、お店でも同様のことが起こります。以前、こちらから勧めてダメだったものが、時間を経て逆にお客さんから能動的に良いと決めてもらったことも何度かあります。それは見ていて本当に面白いです。そこに、色々な要素を排除した、純粋な好きという感情や純粋な物の良さの一端が垣間見える気がしてなりません。その現場に立ち会えるように、移転のタイミングでブルバキを今の形式に一層強く舵切りをした感覚はあります。

 

 

 

 

 

なんだかなぁ
雑記

18.02.28

メガネ業界の人間として、取り敢えずこれだけは。

テレビで、

「今まで測れなかったことが、この機械で測れるようになりました」

的なことを述べていましたが、機械ではなくても、80年代頭には理論が整っており既に測れる環境にあったはずです。それが証明出来る文献が手元に無いですが、少なくとも現在は確実に測れます。

あの番組の鍵となる検査項目は、調節ラグとAC/A比です。紙ペラの指標だけで共に測れる内容です。やるかやらないか、それぞれのお店の方針次第だと思われます。それは、お医者さんも同じです。

メガネ業界と言いますか、眼鏡小売のために、これだけは書き残しておきます。メガネ屋も、やってるところはありますよ。

民藝展
雑記

18.02.28

行きました。高島屋に巡回で来ているやつです。5日まで。

民藝に関しては、その定義がすでに矛盾を生じやすい性質ですし、見るたびに考えさせられます。矛盾を孕んでいない物は、そもそもそんなに面白くなかったりしますから、その定義が健康的であることは、間違いないと思っています。

民藝の中でも最高クラスという表現が、そもそもの定義から逸れる表現だとは思います。何とも言いようがなくて困っています。いい表現が見つからないのでそのままにしますが、そのようなマックスな物が見られます。そっちは有料で、今作られている物の販売スペースは無料です。

最高クラス民藝ですが、確かに綺麗でした。本当に実用されていたのかなと思うくらい、精緻で美しかったです。そしてすぐさま、本当に美術と反りが合わないものなのか?とも考えました。

数学と世界との関係に似ています。人間の経験から離れ、純粋な思考の産物としての数学が、世界の美しさを否定していないところがそっくりです。理論の美しさが現実に引き戻せる場合も多々ですしね。実際目の当たりにしたことで、ようやく分かりました。

次の楽しみは、17日から行われる科学館のマーベル展です。

明日から開けます
雑記

18.02.25

本日は、店を閉めていました。来店で予定を立てて下さった方、来ちゃった方、すみませんでした。仕事せずに数学の講演会に行ってました。

おかげさまで、レンズ度数の決定において確信を得ました。引き続き頑張ります。

各人の世界の見え方を、ランドルト環(最小分離閾)のスコア1.0以上で健全と判定する在り方に、疑問を感じております。その疑問が、おそらく今の色々なものの流れ(今回は数学の潮流でした)と相違が無さそうという実感が掴めました。今の私の検眼がパーフェクトであると、誤った確信が芽生えたわけではないです。

ひとつの規定・基準から各人の見え方の良し悪しが決定されるのだろうか?という疑問から出立して、あぁでも無いこうでも無いと悩みながらも、処方度数を決めるというアウトプットを続けていくことが、どうやらそんなに間違いでは無さそうだな、という感覚が掴めたということです。

検眼と、仮枠(試しで度数を入れたメガネを掛ける段階)の関係、特に仮枠の捉え方も変わりました。

元々は仮枠の段階で、検眼で出した値からズレるのは当たり前と考えておりました。数値のズレは、初めは出て当然であるという認識でして、時間経過とともに出来ればその差を埋めていくことが望ましいのでは?という考えが強かったです。

しかしそうではなく、その人が培って来た認識というものの固有性に重きを置くのであれば、検眼では既知数を炙り出して、仮枠で実際に心地良さという未知数を求めていくという捉え方の方が正しそうです。検眼の値が基準ではなくて、未知数と先ほどの述べましたが、それは実際には誤りで数値化できない掛け心地の部分を基準にする、そこにようやく気づくことが出来ました。気づくというよりも、それが一番だと、本当に思えるようになったという表現が当てはまるかもしれません。

お時間がありましたら、また検眼しましょう。させてください。

費用対効果
雑記

18.02.20

ようやく、サングラスにすることが出来ました。G15カラー、グレーがかった緑色です。一番濃いめのカラーです。掛けると、ほぼ目が見えなくなるのがこれくらいの濃さでして、それは濃度85パーセントです。

昨日と一昨日、掛けて歩いていますが、今のところ連続2日で他人からメガネをイジられています。私のメガネ人生の中でも、初めてなくらい、費用対効果の高いフレームでした。

 

一昨日のハンバーガーショップでは、外国人の店員さんに、

「メガネかわいいね。いつも丸でしょ。」

みたいな感じで、注文後に言われまして、普段も何となく覚えられているし、今日の変化球もバレててダブルで恥ずかしいなと、そんな心持ちになりました。ただ、いまはそれで億劫になって行かなくなるとかはないでしょうね。そこまでの過敏さは、さすがに無くなりました。むしろ、もう一度これで行ったる、くらいな感じです。

顔に何か載せるという行為は、フレームが顔に対して占める面積が小さい割には、まあまあのインパクトを他人に与えます。だからこそ、メガネで遊ぶということが、やや難しいのでしょう。でもその難しさが、メガネの楽しさの根っこなのだと、ひさびさに体感して思い出しました。

ゴドー
雑記

18.02.13

お客さんから借りました。たまたま、この本の中の「ゴドーを待ちながら」の話になり、それを持っているという事で、店に置いてくれました。

鷲田清一さんの本の中で名前が上がることが何度かあり、気になっていました。そこでの引用のされ方、解釈が唯一だと思っていましたが、それだけでも無いようです。個々人の生業についての話にも読めました。劇中の脱げない靴を眼鏡に変えたら、ただの眼鏡屋の日常の話に変わってしまうと、私にはそう感じられました。そもそもの解釈も、やはり多々あるようです。

あとがきにもあるように、「おそらく、おそらく、こういうことだろう。」と頭の中で自問自答せざるを得ないです。それは自分で意味や価値をつけられる余地が残されているという風に考えれば、とても面白く、且つ有難いことのように感じます。調べても分からないことが、まだまだ残されています。

暖かくなる前の準備
雑記

18.02.11

ようやく、自分のサングラスに着手出来ています。レンズは、ありがちな組み合わせですが、レイバンカラーのG-15にします。到着待ちです。いまのところ、ただのオモシロメガネです。

G-15カラーは、目が透けない位の濃い緑です。あと茶色に対しては、めっちゃ濃い青もカッコいいはずです。ただレンズメーカーの標準カラーに無い為、それはカラーも特注なのでやめました。自分の物に注力し過ぎるのでやめました。

鼻幅が狭く、ゴツゴツ当たる感じがするので鼻盛りを取っています。いつも盛ってばかりですが、逆パターンもあります。あとは、フレームが若干怒り気味(目が吊り上っている)だったのも修正しております。

これ装着して、あの自転車乗って花見したいですね。

 

念願の
雑記

18.02.09

スーパーカー自転車を手に入れました。念願です。レバーの変速機を触るのに憧れていました。ギリギリ、小学校低学年の時に、乗られていないスーパーカー自転車が軒先に放置されているのを実際に眺めていた世代です。ドンピシャ世代では無いです。おそらく、マウンテンバイクが私の時は流行っていました。

何だかんだ、昨日の休みも店に来て、メガネの加工と自転車弄りしていました。

22インチの子供用です。おかげで値段は相当抑えめです。初めは、車体の小ささを気にしていましたが、乗ってみれば、さほど気にならないです。名古屋市内をチョロチョロ動き回るには、これくらいの大きさがちょうどいいです。それに、26インチでデコると相当な迫力となりますので、その点からも22インチで良かったです。

グリップ、ペダル、サドル、フォグライト、スピードメーター、、、あれこれ変更・改造しました。最後はウィンカーを、つけるかどうかですが、ハンドル周りの配線がゴチャつくので、悩み中です。

インスタに載せたらフォロワー減るかなと思いまして載せてみたところ、意外に減らずでした。そうなりますと、何でニコルのゴーグルを載せて、フォロワーが速攻で減ったのか更に不可解だったりもします。

フォグライトは単二乾電池×3本です。本数も微妙ですし、単二乾電池を久し振りに買いました。フォグライトというだけあって、大体どのメーカーも黄色かオレンジです。レイバンで言う、カリクロームイエローか、アンバーマチックが対応します。視認性を高めるには黄色系です。

ようやく着手
雑記

18.01.30

頂きもの。

『眼の哲学 利休伝ノート 青山二郎 講談社文芸文庫 1994』

まだ100ページ満たないくらいでこれを書いています。左の本は、柳宗悦の本です。この二人が仲違いした理由みたいなものを掴みたくて引っ張り出しました。そこをクリアにすることで、美術と工藝の争点が見えそうですし、今の民藝を讃える風潮の何が良くて何が弊害か見える気がして、調べていました。そもそもの出発点が違う感じも受けますし、美への接し方も違っておりますね。そうです、今日こそ本当に暇です。

それよりも面白く感じたのは、青山二郎の「眼」に関するこんな箇所です。

「(p.14)…思想から芸事に至るまで、結局銘々の流儀の源泉から産まれないで、何処から本物が生まれるでしょう。ところが…銘々の眼玉が銘々の流儀に従属して物ごとを見ている事は、いい意味にしろ悪い意味にしろ、余り気付かれていません。殊に現今に於いて然りです。誰でも銘々の眼玉で確と物ごとを見ている筈です。それなら眼玉で見た物を、何故眼玉で受止められないのでしょう。…」

この文章だけですと、「…???」という感じでした。難解です。ですが、違う作者の違う本での主張と、そこそこ同一視できるのではないかと感じております。それは、

『君たちはどう生きるか 吉野源三郎 岩波文庫 1982」

です。これも長いですが、一節を引用します。

「(p.53)…だから、こういう事についてまず肝心なことは、いつでも自分が本当に感じたことや、真実心を動かされたことから出発して、その意味を考えてゆくことだと思う。君が何かしみじみと感じたり、心の底から思ったりしたことを、少しもゴマ化してはいけない。そして、どういう場合に、どういう事について、どんな感じを受けたか、それをよく考えて見るのだ。そうすると、ある時、ある所で、君が感銘を受けたという、繰りかえすことのない、ただ一度の経験の中に、その時だけにとどまらない意味のあることがわかって来る。それが、本当の君の思想というものだ。…」

マンガ化されて、有名みたいですね。マンガの方は読んでおらず、何処を一番大事にして描かれているのか知りません。それを無視して私が好きな箇所であり、真髄だと勝手に思っているのは先の引用した部分です。人生の要所要所で必ず読んでいます。かれこれ6年位の付き合いです。

本当に良いと感じたときの‘本当さ’と言いますか、自分だけしか介在していない純粋さみたいなものは存在するのでしょうか?青山二郎の言葉を借りれば、「眼玉で受け止める」でしょうか。おそらく、そこまで純化したものは無いと思います。だとすれば、どこまで自分以外の要素を排除して感じることが出来るのでしょう。

眼鏡でそれを突き詰めようとすると、ヴィンテージの方が探求しやすいと思います。私が初めに感じた、ヴィンテージ眼鏡の良さはそこでした。とにかくデザインは驚きの連発でした。オシャレに見られる為には、この雰囲気のこの形状の眼鏡でなくてはならない、という無意識の作用から解放されて、メガネが一層楽しく感じるようになったのも、ヴィンテージに出会ってからだと思います。

メガネの良さは、それぞれにあって私個人が決めることでは無いですし、そもそもお金が発生しているので、私の考えとは切り離されて最後は渡っていくべきです。とは言いつつ、たまにあの時の私と同じような感覚で、驚きと楽しさを混在させながら眼鏡を買っていただけると、物凄く達成感を得ます。

ヴィンテージのメガネの取り扱い範囲に関して、ニッチ過ぎたり同業他社と交わらない範囲の物が多々なのは、私が天邪鬼であることもそうです。経営の観点から、ブルーオーシャンの様相だからというのもそうだと思います。でもやっぱり一番は、出会ったことのない物を見たときの感動から出発して、それを身につけることの楽しさを体験して欲しいからですね。

良い本です。読み終えていませんが良い本です。おかげさまで久々に、初めのときの考えを、明確に思い出せました。

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