カテゴリー:雑記

最近は木曜日も休みだそうです
雑記

18.04.12

念願の、幸のカレーを食べることに成功しました。池下です。住宅街ですが、周辺にコインパーキングがちらほらありますので車でも行こうと思えば行けます。駅からも少し距離がありますから、ベストは自転車でしょうね。ブルバキから、自転車で30分くらいです。

今週は、たまたま昨日が休みだったため、本日の木曜日も開けた見たいです。2連敗するところでした。ラッキーです。

カツカレーのカツダブルが基本と噂を聞いていましたが、そうでも無いみたいです。次は大盛りに挑戦したいです。多分、盛り盛りは無理です。

暇です
雑記

18.04.03

久々に暇です。

年明けくらいからずっと考えていたことに対して、ここ最近の会話からある程度の終着点が見つかりました。時間あるのでメモして反芻しようと思います。

昨今、8割くらいの方は「シンプルな物が好き」では無いでしょうか?もちろん、統計をとったわけでは無いですが、店頭で服やメガネが好きそうだなという方に声をかけるときに、どんな物・どんな感じのものが好きかと訊ねると、割と高い確率で「シンプルなものが好き」と返ってきます。ブランド名で返ってくることが少ない感覚です。店頭にはシンプルな物は、ほとんどありません。銀のメガネも、シンプルで良いという感情は個人的には湧いてこないですね。シンプルが欠乏した状態で2年以上、何だかんだ続けられたのは皆さまのおかげです。おかげさまで、ようやくたじろがずに提案ができるメンタルを育むことが出来ました。

ちょっと前までは、デコラティブを通らずにシンプルさに至る道はあるのか?と、シンプルという言葉のもつ、削ぎ落としていくイメージに添いながら懐疑していました。そのイメージは私だけかもしれません。在るところから無くしていって、残りを頂戴する感じこそシンプルさの本質である、みたいな考え方です。

ですが、特にこの1週間は、それすらもどうでもよくなってしまっています。むしろ、それに固執していた自分が間違っていたと思っています。それよりも、シンプルが好きになった、その経緯に興味があります。自分も他人もそれぞれ。現代のシンプルさ、みたいなものが一つ存在していて、それが良い悪い考えることよりも、そんなものは無いという前提で、それぞれの好きという気持ちの強度を把握したい感じです。口語で簡単に表現すれば、「そもそもなんでシンプルが好きなんだっけ?いつからだっけ?」と、自問自答することに近いと思います。

これは、私の店のメガネ以外の骨董・古物を買うのが、ほぼ初めての方と一緒に買い物をするときに思い付きました。

欲しいものがあったときに、何年代か?品質はどうか?相場と比べて価格は妥当か?等々、あれこれ私に尋ねてこられました。確かに、得体の知れないものを買うのは、何回目だろうが不安がつきまといます。もちろん気持ちは分かります。そりゃ不安です。

そのときに、先のクエスチョンマークの要素のように、自分の外に頼らない方がいい訳です。いつまでも手が空を切る可能性があります。それよりも、自分が見てきた物、例え違うジャンルでも買ってきた物、それらの値段、作り等々、自分の内側にあるもので判断した方が、答えは見つかりやすいです。内在していて逃げない自己の経験と照らし合わせる作業をするということです。

例として店でよく耳にする、シンプルが好きという感覚を取り上げてみましたが、それ以外の感情や感覚も同様かもしれません。なぜそう感じるのか疑い、自分の外から得た要素を出来るだけ排除して、内側から滲み出るものを多くすることで、自分の感性の主導権を握ることが出来るのかなと、ぼんやり考えています。思っているということは、実際には背後のものに思わされているということも多々でしょうから、主導権を奪還することで、あれこれが一層楽しく感じられるのかなと思うわけです。

サントラ
雑記

18.03.30

ワンダーウォールに影響されて、サントラ買いました。どの曲聴いても、ビックリするくらい映画のシーンと結びつかないです。もう、映画は寝ていたのかもしれません。全部起きて見たという自信が揺らぎました。

曲はインドっぽいといいますか、そんな感じです。集中して物事に没頭するか、何もしないでグデっとするか、頭が空っぽにしやすくなる曲調だと思います。映画の狙いも、ひょっとしてそういう部分を孕んでいるかもしれないですね。

4月はこれを流しっぱなしにします。

さっきの表現について
雑記

18.03.12

先ほどの、カザールがスーパーカブに似ているという表現は、そう言えばけっこう真面目だったりします。

好きな感じが、物の種別を超えて共通しているところに、感性の端っこが見えてくる気もしています。むしろ、それぞれ好きな基準等々が違うようで、根っこは共通なのかもしれません。ひとりの人間が決定を下すことですからね。

差し入れ品
雑記

18.03.04

人生初の財宝です。差し入れで頂きました。

ラベルを眺めていて驚きました。放射性炭素同位体の年代測定やっていますね。数字に根拠が大ありでした。高校物理で、同位体の半減期の勉強の時に、コラムで教科書の端に書いてあったアレです。

メガネに関わらず、ヴィンテージ等々の分野で本気でこの手法を導入したら、ロマンみたいなものの半分以上は壊れると思います。

ただメガネでいえば、例えば40‘sフランスというカテゴリーには適用してみたいところです。確かに、各種図鑑、映像、写真でそれっぽいメガネを見かけることはありますが、いまいち確信に触れられていない気がします。そもそもフランスは、第二次世界大戦時にドイツに占領されておりますし、メガネを楽しんでいた余裕があったのかどうか、まだまだ判然としない部分があります。

 

変化
雑記

18.03.03

RE:SUPERCAR2 -redesigned by nakamura koji-

確か2011年ごろのアルバムです。

映画「ピンポン」のときからのファンです。おそらく、そういう入りの方も、ぼちぼちいらっしゃると思われます。

後期のスーパーカーをよく聞いていました。私よりもう少し上の世代の方ですと、前期のスーパーカーが好きな方が多いですね。その辺りの曲は、解散した後に発売されたベスト盤で初めて聞いたタイプです。スーパーカーの存在を知った時には既にHIGHVISIONが発売された後でして、映画を(DVDで)観た後に、CDを買いに近所に走ったのが懐かしいです。人生初めての、自腹を切ったCDだったと記憶しております。

ベタな入り方でしたので、好きな曲もベタです。STROBOLIGHTSとYUMEGIWA LAST BOYは、本当によく聞きました。未だに聞いています。むしろ、ますます聞くようになりました。

それは、写真のアルバムがきっかけです。しかし、買った当初はほとんど聞かずじまいでした。好きなJUSTICE BLACKの為に買ったような感じですね。もともと収録されているアルバムのANSERが、懐かしきCCCD(コピーコントロールCD)だった為、アルバムを買ったときの心持ちは、念願のmp3化が出来るなあ、くらいの感覚だったと思います。特に、先ほどあげたYUMEGIWA…とSTROBO…は、そのときは全く良く思えませんでした。すみません。

今になって聴くと、とても良く聴こえてきます。むしろ、いまはオリジナル版よりも写真のリデザイン版をメインで店内で流しています。リデザイン版も、元々クオリティが高く良い音楽だったはずですが、記憶や思い出に引っ付いてしまったオリジナルと比較してしまい、正しい判断や感じ方が出来なかったと、今になって思います。好きか嫌いか、心地良いか良くないかではなく、オリジナルに近いかどうかで聞いていたのでしょう。もちろんその場合の判断は、アレンジを加えればオリジナルは多少なりとも崩れますから、基本ダメと感じてしまうのでしょうね。ようやく、どちらも好きだなと感じることが出来ています。

無理やりメガネに繋げる感じになりますが、お店でも同様のことが起こります。以前、こちらから勧めてダメだったものが、時間を経て逆にお客さんから能動的に良いと決めてもらったことも何度かあります。それは見ていて本当に面白いです。そこに、色々な要素を排除した、純粋な好きという感情や純粋な物の良さの一端が垣間見える気がしてなりません。その現場に立ち会えるように、移転のタイミングでブルバキを今の形式に一層強く舵切りをした感覚はあります。

 

 

 

 

 

なんだかなぁ
雑記

18.02.28

メガネ業界の人間として、取り敢えずこれだけは。

テレビで、

「今まで測れなかったことが、この機械で測れるようになりました」

的なことを述べていましたが、機械ではなくても、80年代頭には理論が整っており既に測れる環境にあったはずです。それが証明出来る文献が手元に無いですが、少なくとも現在は確実に測れます。

あの番組の鍵となる検査項目は、調節ラグとAC/A比です。紙ペラの指標だけで共に測れる内容です。やるかやらないか、それぞれのお店の方針次第だと思われます。それは、お医者さんも同じです。

メガネ業界と言いますか、眼鏡小売のために、これだけは書き残しておきます。メガネ屋も、やってるところはありますよ。

民藝展
雑記

18.02.28

行きました。高島屋に巡回で来ているやつです。5日まで。

民藝に関しては、その定義がすでに矛盾を生じやすい性質ですし、見るたびに考えさせられます。矛盾を孕んでいない物は、そもそもそんなに面白くなかったりしますから、その定義が健康的であることは、間違いないと思っています。

民藝の中でも最高クラスという表現が、そもそもの定義から逸れる表現だとは思います。何とも言いようがなくて困っています。いい表現が見つからないのでそのままにしますが、そのようなマックスな物が見られます。そっちは有料で、今作られている物の販売スペースは無料です。

最高クラス民藝ですが、確かに綺麗でした。本当に実用されていたのかなと思うくらい、精緻で美しかったです。そしてすぐさま、本当に美術と反りが合わないものなのか?とも考えました。

数学と世界との関係に似ています。人間の経験から離れ、純粋な思考の産物としての数学が、世界の美しさを否定していないところがそっくりです。理論の美しさが現実に引き戻せる場合も多々ですしね。実際目の当たりにしたことで、ようやく分かりました。

次の楽しみは、17日から行われる科学館のマーベル展です。

明日から開けます
雑記

18.02.25

本日は、店を閉めていました。来店で予定を立てて下さった方、来ちゃった方、すみませんでした。仕事せずに数学の講演会に行ってました。

おかげさまで、レンズ度数の決定において確信を得ました。引き続き頑張ります。

各人の世界の見え方を、ランドルト環(最小分離閾)のスコア1.0以上で健全と判定する在り方に、疑問を感じております。その疑問が、おそらく今の色々なものの流れ(今回は数学の潮流でした)と相違が無さそうという実感が掴めました。今の私の検眼がパーフェクトであると、誤った確信が芽生えたわけではないです。

ひとつの規定・基準から各人の見え方の良し悪しが決定されるのだろうか?という疑問から出立して、あぁでも無いこうでも無いと悩みながらも、処方度数を決めるというアウトプットを続けていくことが、どうやらそんなに間違いでは無さそうだな、という感覚が掴めたということです。

検眼と、仮枠(試しで度数を入れたメガネを掛ける段階)の関係、特に仮枠の捉え方も変わりました。

元々は仮枠の段階で、検眼で出した値からズレるのは当たり前と考えておりました。数値のズレは、初めは出て当然であるという認識でして、時間経過とともに出来ればその差を埋めていくことが望ましいのでは?という考えが強かったです。

しかしそうではなく、その人が培って来た認識というものの固有性に重きを置くのであれば、検眼では既知数を炙り出して、仮枠で実際に心地良さという未知数を求めていくという捉え方の方が正しそうです。検眼の値が基準ではなくて、未知数と先ほどの述べましたが、それは実際には誤りで数値化できない掛け心地の部分を基準にする、そこにようやく気づくことが出来ました。気づくというよりも、それが一番だと、本当に思えるようになったという表現が当てはまるかもしれません。

お時間がありましたら、また検眼しましょう。させてください。

費用対効果
雑記

18.02.20

ようやく、サングラスにすることが出来ました。G15カラー、グレーがかった緑色です。一番濃いめのカラーです。掛けると、ほぼ目が見えなくなるのがこれくらいの濃さでして、それは濃度85パーセントです。

昨日と一昨日、掛けて歩いていますが、今のところ連続2日で他人からメガネをイジられています。私のメガネ人生の中でも、初めてなくらい、費用対効果の高いフレームでした。

 

一昨日のハンバーガーショップでは、外国人の店員さんに、

「メガネかわいいね。いつも丸でしょ。」

みたいな感じで、注文後に言われまして、普段も何となく覚えられているし、今日の変化球もバレててダブルで恥ずかしいなと、そんな心持ちになりました。ただ、いまはそれで億劫になって行かなくなるとかはないでしょうね。そこまでの過敏さは、さすがに無くなりました。むしろ、もう一度これで行ったる、くらいな感じです。

顔に何か載せるという行為は、フレームが顔に対して占める面積が小さい割には、まあまあのインパクトを他人に与えます。だからこそ、メガネで遊ぶということが、やや難しいのでしょう。でもその難しさが、メガネの楽しさの根っこなのだと、ひさびさに体感して思い出しました。

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