ちなみに
目のことレンズのこと

16.11.03

医学的な視力のマックス値は、視力2.5です。これは、視力の定義と、網膜上の視細胞の太さ(隣合う間隔)から算出されます。それ故、おおよそ視力表は2.0までです。いま店の壁にあるのは、視力2.5の欄は無いです。

アフリカの方ですと、視力5.0とかいます。どの定義を用いるか?とかあれこれあります。手が右左向いているとかではなくて、切れ目の認知が、現代の視力の大まかな定義なので、測定差異のようなものはあります。ただ、心理的な何か、現代人が眠ってしまっている野性の何かがあるのかもしれません。視力2.5付近かそれ以上あるのは間違い無さそうです。

獲物を探しに遠くに視線を持っていくことが多いと思いますので、それが彼らにとっての快適な視力なのでしょう。そう考えますと、現代日本人のある程度の近視は、あらゆるものが手元で完結出来てしまう環境への適応とも捉えられます。

視力についての話
目のことレンズのこと

16.11.03

ちょうど、ヤフーニュースで視力についての話が出ていました。

「視力1.5で体調不良!?疲れ目の原因は“見えすぎ”にあった〈週刊朝日〉」

ヤフーの記事のページ

難しくあれこれ書いてあります。絶対的な正しさが無い世界なので断定は出来ませんが、メガネ屋として回答は無いといけませんね。以下に記します。

記事のはじめの方は、考え方が一致しています。視力1.5というのは、あくまで遠く(外の木々とか)がくっきり見やすいのであって、近くは見づらいです。歳をとるほど見づらいです。

例えば、20歳のときの目の瞬発的なパワーは、単位は言いませんが10くらいです。40センチの距離にある物を見ようとすると、2.5のパワーを使います。全体の25%です。へっちゃらですよね。

40歳のときのパワーは、平均4.5です。同じ40センチ前方にあるものを見るときには、全体の56%の力を使います。力んでいる実感はあるかもしれませんが、まだ余裕です。

50歳のときの目のパワーの平均は2.5です。つまり100%の力が必要です。毎回、手元40センチを見るのに、全力応戦な訳です。そりゃ疲れます。パワーが回復しきらない、パワーゲージの少ない夕方以降は、パワー不足で手元が見えなくなる訳です。

特に日本は室内等々、40センチ近方とは言わないまでも1メートル〜2メートルくらいの距離で物を見ることが多いと思います。視力1.5からすると、最低でもパワー1以上は入りっぱなしです。先の例で、20歳としても、四六時中10%位の力が入りっぱなしというのは、じわじわ疲れることもあるでしょうね。無意識に身体に支障が出るかも“しれない”というのは、考えられます。自律神経云々と記事に書いてありますが、簡単にはこんな感じで思って頂いて、大きく間違っていないです。筋肉の使いっぱなし。生活の中で、常に力んでいる目が視力1.5です。

ただそこで、遠近両用に直ぐ移行するというのは、100%賛同しかねるところもあります。視力1.5は、よっぽど要らない数値なのかな、というのは一致しています。全体の視力を落とせばいいのかなという考えです。もちろん年齢よりけりです。

困ったことに視力を落とすと、眼位という視力ではない要素が関連してきますので、単純に視力を落として筋肉を弛緩させれば良いということでもありません。この辺りは検眼になった際にお話します。

小学生で勉強に集中出来ない理由が、視力1.5くらいだから(つまり遠視)というのは、業界の中ではよく聞く事例です。机に向かって字を見続けるのがしんどいのでしょうね。

視力の“数値”が高いということが、必ずしも目の良さとは限らないということのみ覚えて下されば幸いです。

豊橋観光案内
雑記

16.11.02

豊橋市美術博物館は、一回の会期期間が短い代わりに、あれこれ楽しそうな企画を次からつぎへ行なっています。ぜひ豊橋へお越しください。

筆舌に尽くしがたい、良い何かがフワッと心に立ち込めました。たまたま、自分と波長があったのでしょうね。まず美しいという感情が心にきて、そのあとに意味が追ってくる感じです。素人なので、そもそもそこまで詳細に意味を汲み取れる訳ではありませんけど、そんな感じです。

撮影禁止でして久々の無音の美術館でした。視覚に集中すると、絵から音や香りや動きが湧き起こるので、たまには共感を諦めて鑑賞するというのも乙だなと改めて感じます。

お客さんのメガネ
メガネのはなし

16.10.31

コレクションに近い物でしたので、お客さんの元へ行くというのは、とても嬉しい反面、ちょっと切ないです。

度付きのサングラスの予定です。女性のお客さんに買って頂きました。センスに脱帽です。シュッとした格好に、メガネだけスチームパンク、最高です。

ファッションに於いて、ハズすという行為が、昨今ではリラックスという解釈な気がしています。カットソー、スウェットパンツ、ジョガーパンツ等々が主流になっていますので。それも好きですが、ちょっとした違和感で遊ぶというハズし方が個人的にさらに好きです。

1960年の様子
メガネのはなし

16.10.30

雑誌 男子専科 “近代人の背広読本” 38 特別増大号(昭和34年発行)

昭和34年ということは、西暦で1959年ということですね。大卒サラリーマンの平均初任給が(男)¥16,115の時代です。60年代は一括りに出来ない時代です。1965年で¥24,102,、1970年で¥40,961なので、恐ろしい上昇を遂げております。大卒は現代よりは少ないはずなので、初任給としてはちょっと高い数値なのでしょう。(参考:WEB金融新聞>お金の雑学>大卒初任給の推移)

写真に話を戻します。メガネのページが見開きでありました。すでに、ファッションとしての捉え方もあったということです。まだまだ視力矯正器具としての認知が高いとは思われますけどね。

一番上のフレームは、AOのブローです。アメリカンヴィンテージ好きにはたまらない、マルコムXモデルです。今は、BJクラシックで復刻しています。¥3,200。

そして、興味深いのは一番下、おそらくタートのF.D.R.が載っています。¥1,350。リバティですとか、様々なメーカーも似たような形を作っているとは思いますが、スモーキーグレーという表記と、3ドットに見えるので、恐らくという感じです。

エンパイアのオリジナル、日本製のセルフレームが¥1,350です。各ヴィンテージの当時の位置付け、特に日本から見た位置付けというのを初めて知ることが出来ました。

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実際には、単純に平均初任給の値を利用して当時の物の値段を、現代のその物が属するカテゴリーの平均価格帯に当てはめて考察することは出来ないです。例えば、エンパイアのオリジナルが¥1,350で、平均初任給が¥14,000くらいなら、今で言うところの¥20,000くらいかという考察は、物価指数等々の関係で正確ではありません。

ですが、正確な把握は必要としていないので、大体そんな感じという認識でも良いのかなと私は思っています。としますと、写真中央のドイツ製は相当高いですね。

延々と悶々と
雑記

16.10.28

美しさとか良さがその物に内在しているのか、はたまたそういったものは自己の判断でしかなくて、物には内在しておらず、見る際に、自ずから価値を投影して見てしまっているのか。どっちつかずで前回のブログは終わっていますし、結論は出ない問いでありますから、日々、延々と悶々と過ごしております。

ここ数日お客さんや周辺のひとに、たて続けに言われて気づいたことがあります。ヴィンテージということは、一点物である確率が高いということです。皆さん、結構その点を言ってますので、改めてやっぱりそこが最大の良さなのかと思った次第です。

自分の買い物、そしてヴィンテージのメガネに没入していく変遷を辿ってみたのですが、そこまで一点物ということを意識していなかったですね。ひょっとしたら、自分も何か物を買うかどうか迷っている時に、ひと押しで言われたことがあったかもしれません。ただ、決め手になった記憶はちょっと無いです。

悩んでいるそのものが、世界中で一個かどうかということは、それが美しいとかキレイとかカッコいいとかとは、別の要素です。ですから出来るだけ、目の前にあるものに対して、美しいかどうか等々のジャッジに専念したいという考えです。言い換えますと、美しさとかではない要素を極力除いたうえで、最大限目の前の物に惹かれたいという感じでしょうか。それが没入でしょうね。

ただ、所有した後に手元にあるものは世界に一個くらいしか存在していないかもしれないと思うと、しみじみと嬉しさを感じることはあります。

いずれにしましても、皆さんがそれぞれに楽しみを見つけて下されば嬉しいですね。解釈の多さが面白さでもあります。

触発されました
ヴィンテージのメガネ

16.10.27

ブルータスのファッション特集より。2011/2012年秋冬は服のアーカイブあれこれでした。モードとトラッドが融合していた、個人的には大好きな時代です。

黒ぶちメガネのアーカイブという記事があり、読み返してみるととても面白いです。確かに2016年の現在でも、デザイナーさんやファッションの巨匠さんは、メガネの流行が細いフレーム、メタル、メタルとプラのコンビネーション等々のボリュームダウン傾向であるのにも関わらず、変わらず黒ぶちメガネとか、セルフレームというイメージがあります。

フランク・リーダーさんのチョイスが面白いですね。雑誌の12番のメガネです。服はジャーマンレザー等のゴツくて男臭い印象ですが、 メガネは80’sのデカセルとは意外です。確かに、フランク・リーダーの服に如何にもクラシックなメガネですと、今の時代感なら良しとしていますが、冷静に俯瞰しますとコスプレ感が出ていることは否定出来ませんので、メガネの抜け感でバランス取っているんでしょう。

マネしたくなりましたが、手元に同じ物がありません。いつも通り、自作でレンズシェイプを変えます。

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始めの状態。ボストン型でした。ちょっとかわいい感じです。

熱で、欲しい形を先ずは作ります。

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右レンズ(向かって左)を変えました。角が出るように引っ張った感じです。

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型板にトレース。ニッパーで大雑把に切って、後はひたすらヤスリで合わせていきます。

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左右を比べると、結構違いがわかります。あとは、右の型板を用いて左レンズも形を整えれば完了です。

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完成です。

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結構、近い感じに仕上がりました。フランク氏カッコよすぎます。

話は変わり、トム・フォードのメガネも、セルフレームは、黒色でなんだかんだボリュームがあったり、細くて大きかったり、70年〜80年デザインに近いものを感じます。顔になるようなメガネがいいということでしょうね。

カッコいいケース
メガネのはなし

16.10.27

村井がライセンスでゴルチエをやっていた時の付属ケースです。スチームパンク感バチバチの時です。付属ケース史上、一番カッコいいと思っています。

金型作るのにいくらかかるのでしょうか…。こういうの作れたらいいなと思います。

社長繁盛記
メガネのはなし

16.10.24

森繁久彌さんの映画。10年以上続いた人気シリーズです。通称社長シリーズ。

1968年の社長繁盛記は、明治村が出てきます。名古屋駅とバスターミナルの様子も出ますので、そういうところもご覧頂きたいところです。50年の重みを感じます。

加えて、森繁久彌さんのメガネがカッコいいんですね。昨今は、メガネのボリュームが落ち始め、洒落ているのはプラスチックとのコンビネーションか?メタルか?という風潮ですが、やはりプラスチックオンリーもメガネのパワーがあって洒落ています。

メガネの細かいところで言いますと、フロントにリベットが無いです(鋲のこと)。70年代から大量生産時代に入り、メガネの作りとしては、写真のような埋め込みに式になると言われていますが、この映画を見て覆りました。68年の段階で埋め込みの蝶番です。

その後、社長行状記(1966)も見ています。もちろん同じメガネでした。ちなみに、こちらはオフィスがめちゃめちゃ宇宙感の漂う感じでカッコいいです。

映画自体、コメディなので面白いですよ。

曖昧な差
雑記

16.10.24

私の言葉の感覚でしかないのですが。

均整と調和は若干感覚が違うんですよね。どちらも、辞書的な意味では

「ものごとの間に釣り合いがとれていること。」

等々だと思います。

均整の場合は、どの要素も大人しい場合でも成立するイメージでして、調和はそれぞれが激しいか、大人しいと激しいの混ぜこぜじゃないと成立しないイメージです。

となりますと、今は均整を求める時代でしょうね。均整は綺麗で調和は美しい感じ。そうなりますと調和は均整の上位というニュアンスが出ますが、そういう実感もないので、私の考えは矛盾なりご都合主義的なものだなと感じます。

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