30年前のメガネの広告。
メガネの時代感は、結局デザインよりもレンズのサイズと縦横比で醸し出されるのでしょう。それをどのように今のファッションに組みこんでいくのかが面白いところです。
16.10.23
30年前のメガネの広告。
メガネの時代感は、結局デザインよりもレンズのサイズと縦横比で醸し出されるのでしょう。それをどのように今のファッションに組みこんでいくのかが面白いところです。
16.10.22
ポパイは偉大でした。シャディ・キャラクターを紹介している記事がありました。
1984年 9/25 183号 「この秋、めいっぱいに男前」
日本にもシャディ・キャラクターはちゃんと入っているんですね。ただ、価格的には、店頭に吊り下げでまとめて展示するようなサングラスの価格帯ですので、廃棄されている可能性が高いですね。店内の平置きでしたら残る可能性がまだ高いですが…。
16.10.22
昨日の続き。ヴィンテージの物の良さはどこにあるのかというところで終わっていました。思考実験として、ヴィンテージと、そっくり同質の現行の物があったとして、それでも尚違う何かがあるのか無いのかというところまでがおさらいです。
私自身もそうですが、古いということで価値を感じる方は、価値があると投影しますので、現行の物との差異は必ずあります。ここに、ヴィンテージの良さが隠れていそうです。
古いから良いというときの「良い」とは何かと考えると、これは中々難しいです。質感と言われればそうかもしれませんが、ほぼ同質の現行品の場合はどうでしょうか?また、古いものは作りがしっかりしていると言いがちですが、現行の物もしっかり綺麗に作ってあります。金属の物の場合は、熱とか圧力で鍛えないといけませんので、今のものの方がしなやかで頑丈な事もあります。
今のところ、私なりのヴィンテージの良さとしては、イマジネーションが湧き出るからでしょうね。この年代に、このデザインは果たして受け入れられたのか?そもそも当時のファッションは?社会情勢は?ムードは?当時のメガネ周辺の状況は…そういった様々な疑問、イメージ、妄想が膨らむわけです。手仕事なんてキーワードが、そういえば飛び交う昨今です。物の背景をイメージさせるキーワードとして耳にしますね。やはり良さは、脳に拡がる豊かさでしょう。
あとは、同質の物があると仮定した上であれこれ考えましたが、ロットとか生地の問題で現行で出来ない雰囲気の物が多々です。仮定にやはり問題があるとしますと、見た目の違い、雰囲気の違いも、もちろん良さですね。
16.10.21
80年代の日本のヴィンテージです。
DCブランドブームが85年あたりから沸き始めたということと、このフレームを作っているメーカーが、95年(その前後)で倒産しているので、年代的にはどれほど新しくても90年の頭というのが判断理由です。フレームの作り、レンズのサイズ感は80年代ですね。
バブル後、良質なフレームを作るメーカーが2社倒産しており、そのうちの一つです。ヴィンテージメガネの中では(特に海外)伝説となっているMATSUDA(日本名ではnicole)も作っているメーカーでした。この前、ドーバー銀座店で復刻を初めて拝見しました。機会があれば、ぜひ見ていただきたいメガネです。攻めてます。トム・ブラウンのメガネも近いことをやっています。トラッドな格好に、メガネだけスチームパンクのちょっと危ない感じを取り入れるのが良いのではないかと思います。
話を戻しまして、クラウンパントという形のメガネです。現行のメガネもこのあたりの形が多くなり始めました。もとは40年代のフランスのフレームに起源があります。ヴィンテージの中では、一番高値で取り引きされているゾーンではないでしょうか?
メガネも、実際には顔に乗るとなりますと、そこまで形状に自由度があるわけでは無いのかもしれません。ヴィンテージのメガネを見ていますと現行のメガネを見た際に、あの年代かなとか、まさにアレだなということが多々分かるようになってきます。ついに、メガネのデザインも一周どころか二周くらいして、定番化していくのでしょうね。
つまり、ここからが重要でして、現行の物とヴィンテージの物が並列してあった際に、その違いは何か?ということに話は帰着します。長くなったので、また別にそれは書きます。
16.10.20
ビームスが40周年のスペシャル動画を作っていました。今日の昼に、PON!で流れていましたが、まだ公式配信では無いようです。YouTubeで流れています。音楽とファッションの40年が、絵巻物のように分かるカッコいい動画でした。
個人的にスーパーカーが出ていたので、かなりテンション上がりました。
連続してみれば、どのファッションもやはり理由があるのだと感じました。突発的なものなど殆ど無いのかもしれません。
16.10.20
ついに、インスタを始めて見ました。深田恭子さん、石田ゆり子さんが始めたので、もうそろそろやらないといけないなと思い至りました。よく分からんなりに、ハッシュタグも頑張ってつけました。
bourbaki1139です。
このブログですと、画像が汚いので、綺麗な方が良いなと思うときは、そっちもあげます。メインはこちらです。
引き続き、よろしくお願いいたします。
16.10.19
昨日に引き続き。いい仕事しています。
16.10.18
古いかどうか不明。高さ1.5センチ、幅2センチくらいの小粒なダルマ。かわいい。
16.10.18
小林秀雄講演第四巻 「現代思想について」”太陽は美しい”
ちょうど、昨日のようなことについて語りかけていました。
昨日の感じですと、主観だけの世界となりますね。主観次第で、美しい物が全くない世界が出来上がってしまうなと。なんかスッキリしないところに、言葉が降りてきました。
講演より
「太陽が美しいと思うのは君の主観か?太陽は美しくないのか?実際美しいものが向こうにあるんですよ。君はそれを美しいと感じるんじゃないですか?…芸術というものは、迷いの上に成り立っているのか?」
美しいかどうかと、好きかどうかを混同して考えているのが、私のダメなところですね。怒られた気分です。
共感というのは、実に不思議な体験だと、つくづく思います。その瞬間の嬉しさと言ったら、言葉にできません。
16.10.17
久々に他人から服をもらいました。他人といっても自分の親でありまして、むしろ‘親から’という限定をつけると、高校生ぶりくらいかもしれません。土日で休みを頂いたときに、24時間で100キロ歩く大会がありまして、その完走記念です。久しぶり過ぎて照れました。
今振り返ってみれば、貰った瞬間に
ということを考えていたので、シャツも自分の好みでしたが、貰うということが大きな要素だったなと思います。それにしてもファッションは良いですね。気分の高揚感から外に出たくなります。
物そのものを直接体験するということは、実は怪しげです。反論として五感を使って、直に感じていると思うかもしれませんが、自分の五感が正しいという保証はどこにもありません。むしろ、五感というパーソナルな要素が関わる以上、他者と全く同じもの(脳の中の像として)を体験することは、出来ないと考えることもできます。物そのものとは何なのか、その有無もどうなんでしょうね。
と考えますと、背景やら色々な要素を消去して、物そのものを観ろと、ひょっとしたら以前のブログで大見得を切ったかもしれません。最近は少し自分の中で変化があり、背景なしの物は存在しないという考えです。だからこそ、頂いたシャツは、頂いたシャツでしか無いのです。頂いたから良いとか、その条件を除いて良いのか悪いのかではなくて、そうでしか無いのでしょうね。必ず、見る側である自己の持っている要素がつきまとってしまいます。
自分にとっては、本当は特別な物しかあり得ないのかもしれません。意識しているかしていないかの違いだけで。だとしますと、好きなゾーンの物は全て特別と思い込みたいなと思っています。