物と心zakki

21.09.04

そう言えば、たまたま手元にあった感じです。この前ここで紹介した『日本哲学の最前線』において、J -哲学の起源を大森荘蔵の『物と心』と紹介しております。大森という個性の息吹で満たされており、それは(純粋な学術書というよりも)アートの意味の「作品」だと言える、だそうです。だそうですというのは、確か5年くらい前、豊橋のブックオフで買って読んだときには、全然よく分からないって感じで投げ出したか読んだつもりでとりあえずページと中の字だけ追ったか、そんな感想しか思い出せなかったからです。初めての印象は???でしたが、そこまで賞賛されていると、もう一度読んでみようという気概も生まれてくるものです。今のところ、6章までと最後の14章(帰納と確率)まで読んでみました。

結局、門外漢な私は一貫したほにゃらら派という芯がないので、どの本も読むごとになるほど!しか思わなかったりします。たまに、他人のレビューとかをチラ見しますと、あの観点からだとこの本の主張は突っ込みどころ満載なのかと、驚くことも多々です。

(p.216,217 第II部 物と言 6章 ことだま論より)

現象の背後に実在を想定する二元論の仮構を否定し、立ち現われという一元論を提唱します。ですから、表題に「物と心」と書きましたけど、本の題名にもなっていますし、そもそも物と心という分割がナンセンスですなあという雰囲気です。その立ち現われ一元論を据えたときに、正しさとか正しいと信じることはどうなっちゃうのか?ということが書かれた部分を引用しました。一元論を採用して信じることを分析してみると、割と辛いですね。現代ではますます成立しにくい事柄と言えそうです。ここでも、身体性が鍵になってきます。

いつもいつも、結局毎度お馴染みの葛藤になります。貴金属や手彫りといった要素を持つメガネや、ヴィンテージといったやや特殊なメガネを扱っている以上、まさにわたしとの関わりのないところで“美しい”だったり“時代を越えてカッコいい”だったり、定まっていて欲しいとつい願ってしまいます。

(p.424,425 第Ⅳ部 論理と世界 14章 帰納と確率)

さっきの6章をより理解出来るようにと、とばして14章読みましたがあまり足しにならなかったかもです。これは大学の数学科で、尚且つ確率を専攻しないと???かもしれません。まさに私は確率専攻でしたが、それでも?な箇所がありまして、学ばせてくれたお父さんお母さんごめんなさいと随所で思いました。

あとがきにも書いてある通り(ちくま学芸文庫版)、論証がほとんど無く脇道に逸れずにずっと同じことを言い続けてくれていますから、読みやすいといえばそうですし、でも分からんし、でも何となく納得もできる不思議な本でした。

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