上がアメリカの1920年ごろの。下が現行の銀無垢フレーム。手彫り済み。銀の燻が相まって、下の方がヴィンテージに見えるかもです。そうだと嬉しいです。
上がヴィンテージ、下がサンプラチナによる再現です。ツーポに関しては、強度の問題で銀無垢を諦めています。金張のアップグレードということで、金無垢を少量作りました。
ブリッジのディテールは他のモデルを参考にしておりますが、ざっくり全体の雰囲気の再現としましては、ここを目指していました。アメリカの1930年代のフルビュー、ニューモント型です。
これも上がヴィンテージで下が現行の銀無垢による再現です。上はアメリカの1960年代のアルミのサーモントです。
なんとなく、ここまでのブルバキと銀無垢のメガネの歩みを要約しておこうと思いまして。色々な意味を込めまくっていますけど、あまり書いてこなかった狙いとしましては、アメリカを一つひとつ銀無垢という素材で復刻・再現するというのが初めからありました。
なぜ「アメリカ」を「銀無垢」で、この二つが肝心ですよね。そしてアメリカと言いつつアメリカの「60年代以前」という限定つきなので、そこですね。
おそらく色々な物が60年代で分かれるように、メガネも60年代で分かれるとする見方があります。手元に64年のAOのカタログがありますが、特にメタルフレームに関してはまだフルビュー(SAMPSON)が掲載されているくらいですから、60年代までは素朴でまさにロングライフデザインで、そこから先は消費的という見方が出来るかもしれません。カタログでは天地の浅いものが新作っぽく掲載がありますけど、天地深めのフレームも載っています。サーモントでいえば、マルコムモデルも載っています。
ちなみに67年のフランスだったと思いますがプラスチックの度付きが出ます。他にもガラスのレンズの径がデカく出来たりと、レンズも70年代周辺で革新があります。フレームに対してもオプチルという素材の革新がありまして、さまざまな要因から70年代のメガネはおかげで賑やかになります。
話を戻しまして、メガネも何となくデザインの鋳型みたいなものは60年代で決まったのかなと感じています。本当に普遍的な物ほど個性的なんだ、という岡本太郎の言葉を思い出すとなんだかブログの軸がブレてきそうですけど。でもやっぱり70年代以降は、デザインも勢いも激しくて、例えばお客さんの反応としましては「そういう物は仕事にかけられないなあ…」とかあります。その方の人生のなかで普遍的に掛けられないという事態が発生しがちです。そんなわけで、ブルバキもその辺はヴィンテージの存在に頼っています。70年代以降は、どこの国の何がいまのような意味での鋳型となり得るのか判断することが難しいです。
なぜ60年代までの、特にアメリカを一つひとつ再現するのかということに対しては、服のアイビーの概念をそのまま転用しました。日本人がアメカジを作ったという話です。本も出ていますね。ロングライフデザイン且つ、日本人が日本を表現する為に適した、前例のある方法としてアメリカを用いました。自分の服がティーシャツジーパンスニーカーのアメカジであることは、もちろんですけどね。
そして、2010年ごろからメガネの流行が段々とアメリカぽくなり、そしてヴィンテージに、、、という流れの中でブルバキが出来て、銀無垢のフレームを色々な方に見てもらえているのかなと思います。もしいまが2000年代の頭だったら、もっとマニア扱いだったか、レトロですねだけで終わっていたかもしれません。
なぜ銀無垢で?と聞かれますと、もちろん一番は好きだからなんですけど、自明な理由はさておき、まあでも文章が長くなったのでまた今度にしておきます。あれこれ理由はありますが、さっきのアメリカの流れに即した理由となりますと、その辺はメタルサーモントが出来たときに、チラッと書いた記憶があります。
しょうがないことではありますが、メガネに対しての眼差しがTシャツ・ロンTとほぼ同じという現実があります。悲しいですけど。ヘイローの元に意匠を乗せることで十分なわけです。そこまで解っていても諦めきれなくて、メガネも銀も好きなので、だから作るしか無かったんですよね。