カテゴリー:雑記

増やしました
雑記

18.09.25

植物を増やしました。アルミの鉢の方で、同じ種類なのか何なのか、アルビノみたいな白っぽい多肉を持ち帰りました。

へら絞りの鉢がスペースエイジ感に溢れていまして、結局銅もアルミも両方欲しくなり、それを理由に増やしました。生命感のない冷たい鉢と、植物の水々しさとの対比が気に入っています。

違う種類を鉢に入れることも考えました。ただ、そもそも植物をここまで継続して元気に育てられたことがなく、このしょうもない成功体験で調子に乗ると、両方とも枯らすかもしれないという一抹の不安があり、まずは同種で同時に植物を管理することを成功させようという算段です。数と種類、すなわち管理数の増加と水やり等々のペースが違うものを並行して育てるという2項目を同時にステップアップすると、しくじって全部が崩壊するのではないかという予感です。なのでそういう時は、どっちかを固定して片方を変動させています。

普段例えばフレームを選ぶとなって、いきなりカザールなんて相当嬉しい出来事ですが、なかなかそれは起こりにくい状況です。じゃあ2本目の眼鏡でどうか?と言われても、やっぱり難しいです。提案する私も重々承知です。黒のプラスチック買った、そしたら次はプラスチックは同じで、つぎは茶色買ってみようかなとか、そんな感じですもんね。そういえば服とか何でも、そんな感じで買うよねと、ふと思い出して今回は同品種です。

映画
雑記

18.09.24

最近みた映画。お客さんより紹介して頂いたものです。

思った以上に鈍重でした。鈍重に受け取ってしまいました。泡沫候補の方々と、自分の業界での立ち位置を比較すると、大差ないですからね。

映画のキャッチフレーズ「負ケルトワカッテ、ナゼ戦ウ。」で揺らぎ、「あなたはまだ、負けてすらいない。」で、そうそうそんな感じのことを言いたかったんだよねと、初心を思い出します。積極的に負けにいくことが、価値があるかどうかは不明です。一概に豊かだとは言えないでしょう。常勝であれば、それに越したことは無いと思います。

映画の最後、息子さんの姿に感動しました。まさに、内村鑑三の『後世への最大遺物』に書かれていることの実践と、その影響が見てとれます。

いい映画でした。

ヴィンテージメガネあるある
雑記

18.09.19

写真のメガネについて。

良さげですよね。とくに丸メガネは、みんな欲しいでしょうけど出せません。ここがあるあるネタなんですけど、フロントとテンプルが変えてありがちです。腕が他のフレームから移植した別物です。それはそれでしっかり説明して、了承取れれば良いですが、ブルバキでは基本は販売不可にします。

大体そういうケースにおいては他にも不具合を抱えている場合が多いです。丸メガネの方は致命的で、フロントの智の隙間と、テンプルのコマの厚みがあっていないので、智がガタガタです。ただの歪みかなと思っていましたが、オス側メス側の厚みが違いました…。不可。

キャットアイのテレビジョンフレーム、今回の入荷で相当期待しておりましたが、これも腕が交換されています。これはまた初めて見たケースですが、シューティングの芯が長すぎて、エンドからはみ出ています。腕の不良です。…残念です。先っぽから銀の点が見えます。はじめ、紫のラメみたいな物がこびり付いていたのでバフをかけたところ、銀の点がこんにちはしました。絶望です。なぜ紫で隠したのか。そこがじわじわ面白くなってきます。

皆様も、個人でネットであれこれ買ってみる場合は、くれぐれもお気をつけください。写真じゃ気づけないことは沢山あります。いや、気づけないんだから気をつけようが無いので、最後は賭けの部分があるでしょうね。だからといって店頭で絶対買いなさいと言う気も無いです。例えば今回のように、業者間のやり取りでも起こるわけですから、やっぱり古物は難しいですね、というしみじみした雑感を綴ってみました。

キャットアイのメガネは、フロントがかなり美しい曲線を描いておりますので、飾っておきます。それは是非、見て頂きたいですね。

カメラ
雑記

18.09.14

前々から憧れていました、お客さんをフィルムカメラで撮るということを嗜んでみようと思います。何分、フィルムカメラはほぼ初めてなので、気が向いたら撮ります。カスタマーが拡充したので、それと一緒に大事に保管しようかな思っています。

多くのお店がやっているので、スマホで撮ってインスタないしブログに掲載すべきかどうか悩んだ時期もありました。ただ、特に業界を齧っている人から「どんなひとが来るの?」みたいな質問が来る度に、“商品から想像出来ない人物像こそ面白さだな”と感じ、載せずに今までやってきています。天邪鬼か反骨なのかどっちで揶揄されてもいいですが、一応脊髄反射では無くて、ある程度の理由はあります。今後、載せ始めるかもしれませんが、今のところはその理由が無さそうですし、しばらく見つけることは無さそうです。想像にお任せします。

場所柄、自身もお店もフィルムカメラで撮ってもらう機会が何度かありましたが、何だか心地良かったのが印象的でした。準備のプロセスを見ているからか、気軽に拡散しにくいものだからなのかは分かりかねます。ただ、その実体験もありましてフィルムを始めてみます。何枚も見比べたりしたことがありませんから、デジタルの方が綺麗なのか?云々は分からないというのが正直な感想です。今わかっているのは、撮られる側の心地よさの違いだけです。撮り続けたら、他にも分かるかもしれませんね。

面白い
雑記

18.09.06

紹介していただいた店へ行ってみました。ブルバキから徒歩10分ほど。チェルプさんです。

超合金もどきです。色とか素材とか、突っ込みどころが満載です。他にも、たくさん買っております。

ヴィンテージフレームを再現する云々となったときに、最後の最後でその雰囲気が出切らないのは、国が違うからという直観がありまして、今日で一層強く感じました。例えばこの超合金もどきの気の抜ける感じは、日本人が狙って出せないでしょうね。狙って出したときのあのズレは、どこがどう違うことで生じるのか分かりかねますが、なんか違うわけです。

考えていたことの答えが見つかったような錯覚がして、ついついあれこれ手に取ってしまいました。

考えるヒント
雑記

18.09.05

『考えるヒント3 小林秀雄 文春文庫 p.208〜209(表現について)』

昨日は自宅待機、本日も暇なので久々に読書です。サボっているといえば、反論のしようもなく、そんな感じです。6月後半くらいから記憶が無く今に至っておりまして、一応、その辺くらいから貯めに貯めた、お客さんとの会話からずっと引っかかって頭の中で転がしていたことの答えを探すために、営業中のときは仕事っぽい本を読んでいます。

この写真の項の初出が「昭和25年5月」でして、西暦だと1950年です。今だに通用する、むしろより当てはまるというところに絶望感が漂っています。

音楽を例に書かれています。この構造自体は、他にも当てはまり、メガネに対しても漏れなく当てはまると思います。以下、引用です。

“…作者の表現とする意志に近付いて行く喜びなのです。どういう風に近付いて行くか。これは耳を澄ますより外はない、耳の修錬であって、頭ではどうにもならぬ事であります。現代人は、散文の氾濫のなかにあって、頭脳的錯覚にかけては、皆達人になっております。一方強い刺戟を享楽して感覚の陶酔を求めているので、耳を澄ますという事も難しい事になっている。…”

これは、最近流行った『君たちはどう生きるか』の序盤、「本当の良さ」についての箇所に非常に近いものを感じます。本当とは?良さとは?そもそも本当の良さはあるのか無いのか?考えだすとキリがありません。それを錯覚で逸らすわけです。

忙しさを理由にして、この周辺のことの呈示が疎かになっていたなと、反省しております。錯覚しやすい、惑わしやすい現状を恨むのでは無くて、錯覚それ自体へのアプローチを、ここで出来るように、今後も店作りをしないとダメですね。もうすぐ新栄で一年経ちますが、その時の考えを取り戻した気がします。

開店しました
雑記

18.08.31

オープンします。お待たせいたしました。

骨董市では、ちゃんと仕事をしてしまいました。取り敢えず、コレクション用のメガネを購入です。

日本軍らしいです。折りたたみが出来てコンパクトですが、視界が致命的に悪いです。図鑑でも紹介されているパターンのゴーグルです。

包み紙が良い感じでした。

読書
雑記

18.08.30

貸していただいた本。

今年は銀無垢の生産が無さそうですが、いざ出来るとなった時にあれこれ作りたい欲求がありました。ありましたが、こういう本に出会いますと、むしろ「そんな動機で作っていいのか」みたいな考えがムクムクと湧き出てきて、作る前から悩んでいます。

どのように考察しても、いまの一山のフレームにたどり着いてしまいます。あれこれヴィンテージフレームを眺めて、これを銀無垢で再現したい、保存したいと思ってはいます。その思いの妥当性がさして見つからない事を、この本に見抜かれている感じです。

 

ようやく平静を取り戻しました
雑記

18.08.27

6月末くらいから休んでばっかりでしたが、来月は平常運転出来そうです。ご迷惑をお掛けしました。

 

今月号が面白そうなので買ってみました。久々のニュートンです。ちょっと前は、コンビニでも見かけましたが現在はどうでしょうね。今回は本屋で買いました。

相変わらず面白いです。特集の「死とは何か」も良いですが、個人的なお目当は「空間は幻かもしれない 〜注目浴びる「ホログラフィー原理」とは?」でした。70ページより抜粋しますと、

「異なる次元をもつ二つの世界でおきた別々の現象が、“同じ”(等価)だとみなせる、という原理です…」

が、ホログラフィー原理の要約です。特に、ホログラムの性質との類似性から命名されており、「次元の低いものから、次元の高いものを再現する」ことが念頭に置かれています。

次元が高い低い、低いと良くなさそうなイメージですが、実際は“決め事の数”くらいなイメージですから、多くても少なくてもそれぞれに良さそうな気がします。決めごとが多い中で成り立っていれば、他者に影響されにくく、自分を律することが出来そうです。決めごとが少なくて成り立っていれば、自由度が高く可塑性があって良さそうです。

他人から見たらどうかは置いておきまして、私の感覚としては、派手なものが好きという感覚も、シンプルな物が好きという感覚もほとんど無いです。あんなメガネ掛けていてよく言うわ、といった感じでしょうが、シンプルだから良い派手だから悪いで判断していないのは確かです。

そんなことを頭の中で転がしていた時に、ホログラフィー原理に出会ったわけです。シンプルと派手は等価かもしれず、だからこそ同じような感情を惹き起こさせるのかもしれません。諸処の条件を無視して無理にでもそう考えてみますと、ある程度の明瞭さは得られます。

先日もお客さんと、シンプルだから無属性で何にでも合うのでは無くて、シンプルだからこそ何にも合わない物があるということを話していました。通常、この手の話は、派手な物に対してなされる事が多いですが、確かにシンプルなものにも当てはまる気がしています。シンプルなのに無難では無いという事象も、きっと何処かにあるのでしょう。

待ちに待った
雑記

18.08.21

2週間くらい待ちましたが、本日届きました。ハローモンテスキュー。ロゴかっこいいですね。羨ましいです。

夏の終わりが垣間見えますと、フジファブリックの若者のすべてを流してみたり、やはり私も人並みにしんみりしてみようと努めます。今年は、ハローモンテスキューのウララをリピートしそうです。

自分の学生時代を思い返してみますと、青春も無かったですし思春期も無かったです。制服を着崩すことも無く、従順でガリ勉な日々しか思い出せません。毎日、どれだけ遅くても19時には家に居ましたから、ウララの歌詞にも出てくる「夜を越える」とかは未経験でした。もやもやが溜まって「夏のせいにする」ことも無く、どの季節も淡々とこなしていた気がします。生活を出来るだけ機械的にする、同じ時間に同じことをする癖は、この18歳までの生活に起因していると思われます。

昨今は、そのようなおよそ共感とは遠いモノほど惹かれます。そうでありえたかもしれないとか、もっと距離があって自分にはあり得なかった人生のようなもの、その表現に、気づくと思いを馳せています。簡単に言えば妄想です。

おそらく二年半前、ブルバキを始めたタイミングではそうでは無かったと思います。一年前の名古屋で店を構えたタイミングでもそうでしょう。サラリーマンを続けていたら…とか、後悔じみた悶々が、少しありました。いまは殆ど感じていません。現在のこの心の平静は、特に店を構えた一年で皆さまから頂きました。ありがとうございます。ようやくブルバキだけの、型みたいなものが、ぼんやり見えてきています。

来月で開店一年です。特に何もしませんし、注文が溢れていない限り機械的に店を開けていきます。今後ともよろしくお願い申し上げます。CDが届いたことと、お客さんからの手紙がありましたので、何となく綴ってみました。

_170831bk

pageTopLink