カテゴリー:雑記

通過儀礼
雑記

17.04.26

昨日の休みは、春日井にいました。熊谷守一さんの展示を見に行きました。年始の岐阜のやつは見られなかったのでリベンジです。愛知県美術館の収蔵品ですし、見たことがあるやつもあったかもしれませんが、一挙に30枚くらいでしょうか、まとめて見られたのは良かったです。見ると心が空っぽになり、次第にポカポカ満たされるような、そんな絵です。ぜひ。

dav

ところで、この写真ですが、熊谷守一さんの絵とは関係ないです。文化センターの道中にて。名古屋のシネマテーク的なものを期待したら、完全にピンクでした。隣には渋い喫茶店があり、佇まいが良かったです。自分の実家周辺は、もう10年以上前に無くなっています。まだ営業しているところがあるのですね。

映画館でピンクを見るということをしたことが無いです。むしろ、今の時代は私と同じ20代だと、見たことがある人の方が少数派でしょうね。あと10年したら出来ないかもしれない大人の経験として、劇場で見ておこうと思って目の前まで行ったのですが、思いの外駐車場も満杯で、独特のオーラにビビってしまい、入らずに引き返してしまいました。チキンハートです。おそらく、今みたいにデジタルが発達していない時代は、連れ立って映画を見て、喫茶店でワイワイ感想を言い合いながら興奮を冷ますという青春があったのだろうなと妄想しつつ、断念しました。

 

通過儀礼という言葉があります。大人になる為のステップです。今回のケースに限らずそういうことに疎く、乏しくなってしまったなと思うわけです。そういう風になってしまった世代の私が感じるわけですから、その通りだと思います。ステップを超えた喜びを、誰とも共感しないまま何となく大人になった感じを、何となくイメージとして保持しているのでしょうね。

私は、メガネ屋として物を販売していますから、同じ20代までの方に感じるのは「ブランド品を買わない、一回も買ったことが無い」ということですね。買わないというステータスが産まれています。ここで指すブランド品とは、LVとか誰もが知っている感じの、名古屋的に表現すればミッドランドスクエアの1階に入っているブランドとかです。

その周辺のブランドを買いますと、遂に買ったったぞ的な、妙な達成感がありませんでしたか?買ったことがある方なら、ぼんやりでも分かるはずです。やはりあれも、通過儀礼のようなイベントとして大事だったんだと思います。

ひょっとしたら、そのような行為・物は、現代的にはカッコ良く無いのかもしれません。けれども、他者に委ねられ数値化されたカッコいい悪いに晒す前に、自分の達成感の有無みたいな心の問題があると思うんです。それを大事にしてみても良いかと思うんです。例え同世代にバカにされても、年長者には認めてもらえるのでは無いでしょうか。世代を越えて話をすることのきっかけにもなります。それから波及して色々教えてもらいました。私はそうだった、というだけの話かもしれません。

ブランド品もそう、男だと高級時計もそうかもしれません。あとはスポーツカーもそんな感じでしょう。スポーツカーという言葉は、まだ死語にはなっていないですよね??遂に買ったったぞ的な物も侮れないと、そんなことを、この看板から思い出させてくれました。

久々のよそで買い物
雑記

17.04.19

熱田のルカさんで花を買いました。花自体、買うのは一年ぶりくらいですね。東京にちょっとだけ居たときは、仕事の関係で毎週買うこともありました。未だ詳しく無いですが、花を買うことに抵抗を感じない男になれました。

花屋さんの、おまかせシステムというのは非常に面白いです。メインの花、好み、渡す相手などの情報をある程度投げると、綺麗に仕上がってきます。その仕上がりを待つワクワクさと、それぞれの花を個別に見たときにはなかった、包む人に依って造られた美しさの体験は良いものです。

メガネで言えば、レンズの提供に似ています。そう思いました。馴染みの定食屋とか、寿司屋とかもそうかもしれません。構造は同じっぽいですね。

三河観光案内
雑記

17.04.14

4月22日から。豊田市にて。ゴールデンウィークだと、人が多いかもしれません。

朝は豊田、昼は豊橋という流れが良いと思います。お待ちしております。

幻想的で良さそうです。個性が消去されている個性と言いますか、パッと見てスッと入る感じの絵というのが、最近は好きかもしれません。流行りのVR的な、没入感でしょうかね。VRは未体験ですが、恐らくそんな感じでしょうね。

 

 

偶然の一致
雑記

17.04.12

2ヶ月に一回くらい来てくださるお客さんの話。推定50代の方です。お客さんといっても、1年間で未だ買って頂いたことは無いのですが…。話が面白いので、若干楽しみにしています。

たまたま本の話になりました。自分はまだ読んでいない本の話です。その方が、

「これは本物だよ。」

と言いました。おそらくそうなんだろうな、と思いましたが、その方は何をもって本物と判定しているのか気になりました。それを質問してみました。ひょっとしたら、嫌味な質問と捉えられる場合もありますが、純粋な興味ということを汲んでいただいただき、即答をしてくれました。

「20年経っても読まれていたらじゃない?」

この回答というのは、自分自身に尺度のない回答にも思われますが、きっとそうでは無いのだろうなと感じました。

私のメガネの師匠も、

「今、この自分だけで、良いか悪いか判断するなんて恐れ多い」

みたいなことを仰っていました。だから古い物が好きなんだよねとも。年齢を重ねていくごとに、謙虚さを積み重ねていく姿勢が似ていまして、そのお客さんの回答にも深く感動をした訳です。

そんなこと言い始めますと、いま目の前にある物を良いとも悪いとも言えないし、古い物しか評価出来ないのでは?ということになります。

なので、そこまで厳密に判断基準として当てはめなくとも、今目の前にあるもので、何が20年後に残っているのか?ということは、常に考えるようにしております。

100分で名著
雑記

17.04.03

NHKの番組「100分de名著」ですが、今日から三木清さんの人生論ノートが題材になります。ちょうど、読みたいなと考えていたところでしたので入門として、文庫本を買う前にテレビとNHKテキストを見ようと思っております。

テキストをちょっと読んでみましたが、20ページくらい読み進めた段階で、すでに実感を持って頷いてしまった箇所があります。以下に綴ります。

 

メガネでも服でもそうですが、オシャレになりたいとかカッコよくなりたいとか可愛くなりたいと思って買うと思います。メガネは、視力矯正の側面は一旦無視して、ファッションの面だけに注目します。

では、それらを買い、身につけることによってオシャレさ、カッコよさ、可愛さを手に入れたとします。それは自身にとって成功なのでしょうか?または幸福なのでしょうか?この問いは、必ずしも成功=幸福とはならない、ズレから生じています。

「あれなら自分にも出来る」と思えるのが成功であり、「各人においてオリジナルなもの」が幸福であると、テキストでは書かれています。色々な文脈をすっ飛ばして引用していますので、納得感が少ないかもしれませんね。テキストを本屋で見てみて下さい。

オリジナルということを自己満足と捉えるのか自己肯定感と捉えるのか、どちらでもいいことですが、特にオシャレという言葉の意味するところが、様々なお客さんとお話しする中で分かれている気はしていました。幸福を目指してオシャレするのか、成功を目指してオシャレするのか、という差異だった訳ですね。だとしますと、ブルバキは、、、お店で聞かれたらお答えします。

個人的には
雑記

17.03.29

値札の話の続き。骨董的な言い値は不安を煽るので、ブルバキでは、そういう感じは排除しております。ちゃんと値は固定されています。

とは言いつつも、その世界はその世界なりに、面白かったりもしますけどね。昨日の骨董市での収穫品。相手の提示する値段が良いとこ突いてきますと急激に欲しくなります。あのドキドキ感がたまらんです。

ただし、私もメガネ以外の骨董は素人なので、上限金額を設けて楽しんでおります。ということはいずれにしましても、金額の呪縛から逃れて価値の判断をすることは不可能なのかもしれません。明らかにその上限を越えそうな物は、始めから排除して見ている可能性が高いですからね。

新入荷
雑記

17.03.23

ブルータスの古いのが入りました。店内閲覧用です。83年のアフリカ特集です。ネットのある今の時代よりも、情報が詰まっています。文字から熱量が伝わるいい雑誌です。是非ご覧ください。

 

最近自問しておりますのは、このような先進国以外の文化とか道具とか織物を鑑賞するときに、日本の尺度を用いて眺めていないかということです。

それもこれも、小林秀雄さんの影響でしょうね。歴史について、正確ではないですが、こんな感じで仰っていた記憶があります。歴史を学ぶということは、現代からその歴史上の出来事を眺めるのではなく、あなた自身の意識もその年代に向かわせて、そのときに何が見えるのか云々…というニュアンスでした。批判と批評の違いについて説明される時も、同じようなことを仰っていました。意識ごとタイムスリップしろ、という感じだったと思います。

つまり、アフリカとかの道具の話題に戻りますと、日本のものに比べて下手ウマな感じが良いとか、欧米のものに比べて粗野な感じが良いとかよりも、もっと他に、その土地に根ざした尺度やら何やらがあって、その測り方による良さがあるはずです。今迄わたしは、それこそ下手ウマとか粗野だから良いと判断しておりました。それも良さなんでしょうが、現代のプロダクトと比較して行われた価値判断でした。それを反省している最中です。

私の扱うメガネもそうです。いまと比べて面白いというのもそうですが、その時代はそれがイケてるわけなので、その時代なりのイケてる理由をそれぞれに発見して、皆さまにお伝えしなくてはいけないですね。

日本人のメガネ
雑記

17.03.19

70年代の市井の人のメガネを調べていたら、たまたま見つけました。大阪万博の図鑑より。大阪万博中に、世界中の民芸を集めて骨董市が開かれていたみたいです。面白そうで羨ましい。

やはりこの時代は、セル枠が圧倒的ですね。ちょっとお金ありそうな年配の方が、ローデンストック系の質実剛健なブロータイプのメガネをかけています。セルが多数派です。

私にメガネの加工を教えてくれた現在66歳の方も、業界入りたてのときのメガネの様子を聞いてみたところ、「セル枠ばっかりだった」みたいなことを仰っていたので、やっぱりそんな感じだったんだなと、改めて納得しております。

日本のフレームは今よりも全然仕上がりが綺麗ではないです。特にメタルフレームは、今でもデッドストックで出ますが、さすがに…という仕上がりの物もあります。同時代のローデンストックやマルヴィッツやツァイスのメタルフレームや、フランスのモレルに比べると、やや劣ります。

だからこそおそらく70年代までは、良いメガネ=ドイツみたいな認識が、日本にあったわけです。古いメガネ屋さんの看板には、大体「ローデンストック」の文字が入っています。

そして、81年に日本が世界初のチタンフレームの開発し、じわじわ盛り返していくのでしょうね。

物を販売すること
雑記

17.02.25

小林秀雄対話集 「直観を磨くもの」新潮文庫 p.530

あとがきが、これまたとてもなじみの良い文章でした。じんわりきます。

物を販売していますと、日々葛藤が生じるわけです。特にこういう時勢ですから、美しいとか面白い物は中々見てもらえません。求められるのは、ほどほどな、力の抜けたカッコよさでしょう。

そういったときに、果たしてこの自分が美しいと感じたメガネは、一体美しいのか美しく無いのか、そもそも美しさとは?みたいな思考が頭をもたげてしまいます。

ですが、この本を読んでいて励まされました。

「美しい花があって、花の美しさはない」

では、美しさとは?となりますが、この本では常識が感ずるものということでしょう。観念的で、それ以上どうにも掘れずに堂々巡りになるものは、それ以上掘るなとも捉えられます。(p.453 「常識」人間誰にも生まれつき備わり、そのうえさらに実社会で訓練された思慮分別の意。単に外部から習得される知識よりも、万人共通の直観力、判断力、理解力に重きをおいて小林秀雄は用いる。)

長くなりましたが、物でしか伝わらない要素があるということが、励みになりました。そしてその要素は、物から切り離すことが出来ないということにも。

言われてみれば、そうかもしれませんね。私の中にある観念的なアレコレは、全て外界の物を見て培われている気がしてきました。影響されやすいタイプです。

日々の雑感
雑記

17.02.10

シンプルが好きって宣言することは、よくよく考えますと難度高めなことですね。シンプルが好きと宣言し、実行したいところですが、結局ほどほどにデコラティブでデザイナーの意図が表面に出ちゃっているものの方に、毎回落ち着きます。

なんといいますか、出ちゃっているそちらの方が、自己の感覚がそこに継ぎ足されるイメージがあります。シンプルな物を土台に、自分で0から積み上げていけるほど、自身は研ぎ澄まされていないんでしょうね。コスプレという揶揄は、まさにその通りでしょう。

ヴィンテージの他に、無垢のフレームを販売しています。無垢のフレームを眺めていまして、そんなことを考えておりました。ただ、無垢のフレームは例え彫金が施していなくても、シンプルだから良いなあ、と感じたことは今の今まで無かったです。それよりも表面の滑らかさと光沢の美しさにぐらっときていまして、それが僕にとってはデコラティブだったんかなと思います。

デコラティブじゃなくて、装飾的と書けばよかったですね。カッコつけすぎました。

_170831bk

pageTopLink