おそらくどこかで、まだ公開中です。
「奇蹟がくれた数式」奇蹟がくれた数式の公式サイト
お店をやっている以上、土日に自分のお店以外に行くことを推奨するのは自分でもどうかと思いましたが、そろそろ公開が終わってしまうのではと危惧しましたのでご紹介。私もまだ見れていません…。休日のお出かけにどうぞ。
屋号がブルバキですからね。久々に数学ネタです。インドの天才数学者、ラマヌジャンの映画です。
時代としては、それこそ数学がブルバキによって構造の概念を手に入れ、整理される前です。映画は友情を主軸に描かれているようです。ゴリゴリの数学の映画では無さそうです。ラマヌジャンが直感から様々な定理を発見し、それをイギリスのハーディが厳密に証明していく様子も描かれているようす。いまの数学に慣れている私たちからは想像も出来ないくらい大変だったのでしょうね。無限とか集合とか、大荒れの時代だったと記憶しています。間違いだったらすみません。
論理だけではたどり着けない地点があります。小林秀雄さんも
「自然科学(論理)は構造の分析でしかない。直覚から分析へは至るが、分析から直覚へは至らない。」
と、講演集で仰っておりました。岡潔さんとの対談、人間の建設では、数学者の岡さんも似たようなことを仰っていました。仏教的な、非思慮による発見でしか到達出来ないという予感がするみたいです。非連続的な、歩き続けるだけではなく跳躍が必要な瞬間があるのでしょう。分析がダメということではありません。どちらも要りますが、双方向では無いということです。
話は変わりまして。衝動買いという行為があります。一般には悪とか失敗と捉えらえる行為です。ですが、果たしてそうでしょうか?衝動買いは、感性でしかない、直覚による買い物であります。自己の感性が剥き出しの買い物です。昨今の情報ドバドバの状況で、買い物に限らずここまで分析を排除した決定行為はあるのか?と、考えますと、少ないのかなと思われます。とりあえずスマホで調べちゃいますもんね。
やはり衝動買いの後の、分析の仕方がいかんでしょうね。そこが混同され、悪と認識されているのでしょう。買い物でいう分析とは、おおよそ他者・他物との比較と同意義なので。そこでしまったと思っても、その剥き出しの感性がした行為を自ら引き受けることで、予期せぬ発展があるかもしれません。使い方を追求するか、自分の感性を醸成させて、物を違ったように見えるようにするか。そこがメガネでも何でも醍醐味だと思います。
いまは買い物出来るような状況でも無いのですが、先日お客さんとお話をしていまして。つらつらとここまで偉そうに書いている自分自身、衝動買いが減ったなと、お話を聞きながら反省した記憶がありました。
最終的に映画のことがすっ飛びましたが、どうか良い休日をお過ごしください。