カテゴリー:雑記

知行合一
雑記

16.12.05

高校倫理の序盤で出会います。ソクラテスで一回、王陽明で2回習うかと。

その時の記憶で、知行合一(ちこうごういつ)とは

「知っていても、やらなかったら知らないのと同じ」

と習ったはずです確か。100点の解釈では無いかもしれませんが、実践を伴うことの重要性を説いていると何となく感じております。このお題が教科書で出る前に、宿題で知識と知恵の違いを自分なりに考えるというのを課せられた記憶が残っております。

私の話があまりに長いので、

「良い話をありがとうございました」

ということで、帰る為の必殺で言われます。その度にすみませんでしたと感じるこの頃です。知行合一の考えからすれば、良くないということですもんね。その方にとって。

変な気遣いをさせてしまっているんだなと、都度反省です。

 

最近考えていたこと
雑記

16.11.25

コンセプトが大事なのか、そこから産まれる表現が大事なのか。お客さんからそういう話をして頂き、確かにどちらが大事なのか考えたことも無かったなぁ、、、と、ぐるぐる頭の中で転がしておりました。

どっちも大事という答えで一蹴せずに考えてみると、結構時間が潰れます。そもそも、コンセプトとは何だと、私は先ずそこも怪しいわけです。なので、辞書的意味から探りを入れます。

(デジタル大辞泉)

1 概念。観念。
2 創造された作品や商品の全体につらぬかれた、骨格となる発想や観点。「コンセプトのある広告」

概念や発想なんですね。そうしますと、私的に気になるのはコンセプトの前段階である動機ですね。動機の曖昧なコンセプトが多いのかもしれません。ユニークさの源泉を、そこに感じています。曖昧と言いますか、無機質な感じと表現した方が良いかもしれません。

理想としては、動機とコンセプトを理念と照らし合わせてみて、おおよそ合致させたところから表現を始めてみるという感じでしょうか。

ということで、自分のやっていることの反省を今からします。

見るのか観るのか
雑記

16.11.10

奇蹟がくれた数式を見たひとから、「めちゃつまらん」という感想が出てきたので、もとちろんそういう感想もありますよねと思いつつ、どこが食い違うポイントだったのかと振り返り、昨日は何を書こうか忘れ、今ようやく思い出せたので書きます。

直感と論理の衝突が映画のポイントでした。おそらく。インドとイギリスというお国柄も衝突ポイントではありますが、根っこの衝突のポイントはそこだと思います。

なので直感と論理を含めて理性という考え方がないとつまらないかもしれません。もしくは直感や感性は論理に対して曖昧で劣ったものという考えが初めからあると、主人公ラマヌジャンへの共感が出来ないかもしれませんね。

あとは、数学では発明という言葉を使いません。新しい法則・定理が証明されたりした場合は、発見といいます。

あらかじめ、神なり、たとえ無神論者だとしても大いなる自然・宇宙が作った法則がすでにあって、それを人間が後から認識しているという捉え方です。これも、ラマヌジャンを理解するポイントなのかと思います。

ですから、以前のブログに関連しますが、数学は「太陽は美しい」派でしょうね。あらかじめ美しさがあるという考えです。見方によって美しく見えるというのとは、ちょっと違います。

奇蹟がくれた数式
雑記

16.11.08

観ました。まさに、直観と分析(論理)のせめぎ合いの映画でした。直覚から 分析に至らそうと、イギリス人ハーディが奮闘しますが、分析よりも直覚のみでひたすら突き進みたいラマヌジャンとの衝突が描かれています。特別、数学の知識は無くていけます。友情劇として観られます。ただ、バートランドラッセルをちょっとでも知っておくと、より一層おもしろいはずです。意外にラッセルのセリフが多いです。ラッセル・アインシュタイン宣言のラッセルです。

本来は泣ける映画では無いかもしれませんが、私はボロ泣きでした。ハーディがやっぱりいいひと過ぎて泣けました。泣くまで感動しなくても、ケンブリッジ大学の荘厳さが大画面で見られるだけでも鳥肌ものです。なんといってもインドの景色が美しいです。

登場人物のメガネがカッコいいですよ。みんなレンズがノンコートで白色の反射光がバチバチしています。再現度高めです。

あとは、ハーディの左手小指についたシグネットリングがカッコいいです。服装全体の厳格さももちろんカッコいいわけですが、特に小物に目が留まりました。

古いブルータスを読む
雑記

16.11.06

ブルータスの、半年に一回のファッション特集を、時代を遡って読み返しています。明らかに、2016年は異色だったなと思います。2015年以前と明らかに本の構成が違うので、激変の年だったのかと振り返っています。

祐真さんの記事があって、

「衝動買いこそ、ファッションである」

という題名でした。そこまで言い切れるところがやはり凄いですね。2014年秋冬のブルータスです。

ラマヌジャン引き続き
雑記

16.11.05

ラマヌジャン数という数字があります。1729です。

ブルバキはURLの数字が1139です。1729にしたらよかったですね。先見があって。たまたまその時に時刻が11時39分だったので、理由はそれだけです。

この由来をお話したら、江頭的なやつ?と言われました。果たして2時50分が、江頭さんの芸名が決まった時刻かどうかは知らないですけど、なるほどなと。気づかなかったです。

江頭さんは、見えないところで相当努力をされている方なので、決め方が一緒なら嬉しいですね。

ラマヌジャン
雑記

16.11.05

おそらくどこかで、まだ公開中です。

「奇蹟がくれた数式」奇蹟がくれた数式の公式サイト

お店をやっている以上、土日に自分のお店以外に行くことを推奨するのは自分でもどうかと思いましたが、そろそろ公開が終わってしまうのではと危惧しましたのでご紹介。私もまだ見れていません…。休日のお出かけにどうぞ。

屋号がブルバキですからね。久々に数学ネタです。インドの天才数学者、ラマヌジャンの映画です。

時代としては、それこそ数学がブルバキによって構造の概念を手に入れ、整理される前です。映画は友情を主軸に描かれているようです。ゴリゴリの数学の映画では無さそうです。ラマヌジャンが直感から様々な定理を発見し、それをイギリスのハーディが厳密に証明していく様子も描かれているようす。いまの数学に慣れている私たちからは想像も出来ないくらい大変だったのでしょうね。無限とか集合とか、大荒れの時代だったと記憶しています。間違いだったらすみません。

論理だけではたどり着けない地点があります。小林秀雄さんも

「自然科学(論理)は構造の分析でしかない。直覚から分析へは至るが、分析から直覚へは至らない。」

と、講演集で仰っておりました。岡潔さんとの対談、人間の建設では、数学者の岡さんも似たようなことを仰っていました。仏教的な、非思慮による発見でしか到達出来ないという予感がするみたいです。非連続的な、歩き続けるだけではなく跳躍が必要な瞬間があるのでしょう。分析がダメということではありません。どちらも要りますが、双方向では無いということです。

話は変わりまして。衝動買いという行為があります。一般には悪とか失敗と捉えらえる行為です。ですが、果たしてそうでしょうか?衝動買いは、感性でしかない、直覚による買い物であります。自己の感性が剥き出しの買い物です。昨今の情報ドバドバの状況で、買い物に限らずここまで分析を排除した決定行為はあるのか?と、考えますと、少ないのかなと思われます。とりあえずスマホで調べちゃいますもんね。

やはり衝動買いの後の、分析の仕方がいかんでしょうね。そこが混同され、悪と認識されているのでしょう。買い物でいう分析とは、おおよそ他者・他物との比較と同意義なので。そこでしまったと思っても、その剥き出しの感性がした行為を自ら引き受けることで、予期せぬ発展があるかもしれません。使い方を追求するか、自分の感性を醸成させて、物を違ったように見えるようにするか。そこがメガネでも何でも醍醐味だと思います。

いまは買い物出来るような状況でも無いのですが、先日お客さんとお話をしていまして。つらつらとここまで偉そうに書いている自分自身、衝動買いが減ったなと、お話を聞きながら反省した記憶がありました。

最終的に映画のことがすっ飛びましたが、どうか良い休日をお過ごしください。

理性と感性について
雑記

16.11.04

NHK ヨーコさんの“言葉”

ヨーコさんの“言葉” NHKのページ

5分番組です。木曜日の22時45分から。Eテレにて。初めて観ました。たまたまです。テレビによる徹底的な受動も、たまには悪く無いと思います。

楽しい感じの、ちょっとした自虐込みのエッセイ番組です。ただ、ところどころにピリッとする表現がありました。自分では上手く言葉で表現できなくて、脳の中がむず痒くなるようなことでも、軽やかに表現されていて、感動しました。おそらく来週も観ます。

「…理性は矛盾を許さない。しかし感性は矛盾のマグマだ。…」

マグマだから、許す許さないの話では対処出来ない訳ですね。納得。

 

豊橋観光案内
雑記

16.11.02

豊橋市美術博物館は、一回の会期期間が短い代わりに、あれこれ楽しそうな企画を次からつぎへ行なっています。ぜひ豊橋へお越しください。

筆舌に尽くしがたい、良い何かがフワッと心に立ち込めました。たまたま、自分と波長があったのでしょうね。まず美しいという感情が心にきて、そのあとに意味が追ってくる感じです。素人なので、そもそもそこまで詳細に意味を汲み取れる訳ではありませんけど、そんな感じです。

撮影禁止でして久々の無音の美術館でした。視覚に集中すると、絵から音や香りや動きが湧き起こるので、たまには共感を諦めて鑑賞するというのも乙だなと改めて感じます。

延々と悶々と
雑記

16.10.28

美しさとか良さがその物に内在しているのか、はたまたそういったものは自己の判断でしかなくて、物には内在しておらず、見る際に、自ずから価値を投影して見てしまっているのか。どっちつかずで前回のブログは終わっていますし、結論は出ない問いでありますから、日々、延々と悶々と過ごしております。

ここ数日お客さんや周辺のひとに、たて続けに言われて気づいたことがあります。ヴィンテージということは、一点物である確率が高いということです。皆さん、結構その点を言ってますので、改めてやっぱりそこが最大の良さなのかと思った次第です。

自分の買い物、そしてヴィンテージのメガネに没入していく変遷を辿ってみたのですが、そこまで一点物ということを意識していなかったですね。ひょっとしたら、自分も何か物を買うかどうか迷っている時に、ひと押しで言われたことがあったかもしれません。ただ、決め手になった記憶はちょっと無いです。

悩んでいるそのものが、世界中で一個かどうかということは、それが美しいとかキレイとかカッコいいとかとは、別の要素です。ですから出来るだけ、目の前にあるものに対して、美しいかどうか等々のジャッジに専念したいという考えです。言い換えますと、美しさとかではない要素を極力除いたうえで、最大限目の前の物に惹かれたいという感じでしょうか。それが没入でしょうね。

ただ、所有した後に手元にあるものは世界に一個くらいしか存在していないかもしれないと思うと、しみじみと嬉しさを感じることはあります。

いずれにしましても、皆さんがそれぞれに楽しみを見つけて下されば嬉しいですね。解釈の多さが面白さでもあります。

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