カテゴリー:雑記

ハイパー純喫茶
雑記

16.10.12

昨日、休みを利用して岡崎へ。トリエンナーレも終わりを迎えつつあります。

私の行ってきたカフェ、純喫茶史上、最高の演出でした。全面キラキラピカピカですが、予想に反しかなり落ち着きます…。

伝票とともに、店名のステッカー(カッターでの自作)がついてきました。ここで一番テンション上がりました。お客さんを楽しませることに徹する姿勢が、とても勉強になります。世界観に引きこまれまくりでした。

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(シールもキラキラ)

愛知=名古屋=尾張じゃなくて、三河もあります。三河も楽しいですよ。観光しながら、ぜひお越しください。お待ちしております。

「喫茶 丘」名鉄 東岡崎駅 徒歩10分

950シルバー
雑記

16.10.10

タバコは吸いませんが、ライターを集めることに熱中したことがあります。

950シルバーの5面彫りです。美しいですね。925シルバーのメガネを扱うにあたり、どうしても手彫りにこだわったのは、これらからの影響があります。身につけられるものに、この美しさを備えたいという願望です。

表参道
雑記

16.10.04

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表参道に来たのも一年ぶりでした。あの時の決意が蘇りました。

脳に記憶があるのではなくて、場所、物、自分の周りに散逸していると実感出来ました。あの時の記憶と感情が、いまの自分と重ね合わさりました。

メガネの展示会に行きました
雑記

16.10.04

今週の月曜日から水曜日にかけて、メガネ業界的には新年を迎えます。一番大きな展示会が東京であり、各社の新作がズラリと並びます。それにいきました。

毎年初日は、恒例のメガネベストドレッサー賞の授賞式があって芸能人がきます。その様子をあまりニュースで見かけなかったので、相変わらずメガネの地位は低いなぁと感じます。どうしたものか。悔しいですね。

お店としては、925シルバーのメガネの話が出来たのでそれが収穫でした。またお店に来ていただければ写真をご覧いただけます。あとは、普段あまりじっくり見られない現行のフレームを沢山見れました。まだまだ、アメリカ寄りのクラシックフレームが続きそうです。オールプラスチックは少なくて、やはりメタルとプラスチックのコンビが優勢でしょうね。

話を戻しまして、シルバーのメガネはキャストで滑らかな隆起をつけたテンプルが美しかったです。ツーポイントも作ろうかと考えております。

メガネの日と目の愛護の日
雑記

16.09.30

明日10月1日は、10/01の表記がレンズとテンプルの組み合わせに見えることから、メガネの日です。目出度いですね。

そして10月10日は、90度傾けた姿が眉毛と目の組み合わせに見えることから目の愛護の日だそうです。歴史は割と古くて、こちらは1931年から。

ここで、冒頭の本の登場です。1942年、対戦中に出版された貴重な本が手元にあります。発行部数は5000。石原式と書くと、業界人には通じるかもしれません。

ここには、9月18日を「眼の記念日」とすると書かれています。明治天皇のエピソードとともに、明治11年(1878年)に定まった様子が描かれています。

ただ、ウィキペディアでも載っておらず、こうやって風化していきつつ新しいものに塗り替えられて歴史の層を作っていくんだなと感じる次第です。

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タイムリープから思うこと
雑記

16.09.28

ものすごくベタに、映画「君の名は。」を見ました。確かに、綺麗な映像でした。特筆すべきはツヤ感と、光の透明感ですね。良かったです。

タイムリープ(時間跳躍)が仕掛けとしてあって、それに関してあれこれ見た人同士で議論がなされていると思います。

一つ、全てが上手く説明いかないのは、物理学的な時間解釈が完璧に時間を説明し尽くせないからでしょうね。一本の線で表現する「過去・現在・未来」のアレです。

ベルグソンという偉人がいます。1900年ごろに活躍した哲学者です。自然科学が世界を変え始めたときに、それでもなお、自然科学では解析し得ないものは何かを探求し、自然科学に抵抗しました。人間性みたいなものが、科学で全て説明出来るわけないだろうという感じです。時間もそのテーマの1つ。

ニュートン以降、時間は一本の線で表されるとされてきました。アインシュタインの誕生で、時間と空間が同一と見なされ「時空」と扱われるようになりましたが、概ね変わりはありません。私たちは、時間を左から右に流れる直線として想起します。

ベルグソンは、そういった時間の解釈を知りつつも、独自の時間論を提起します。それは、単位を持たず、互いに並列可能でない、直線ではなく融け合った時間です。つまり、一人ひとりの人生と切り離せない、融け合って後と先を区別できない時間です。純粋持続と言います。

確かに、自然科学は社会に大きな影響を及ぼしています。時計に従えば、みんなが同じタイミングで集まることが出来るので便利です。ですが、便利で有用だからと言ってそれが本質・本来の在り方とは限らないのでは無いでしょうか?

時間から飛躍させて。例えば目の前に、異なる質のメガネが2本あります。ただそれは、質の違うメガネが2本あるというだけなんです。さらに、例えば1000円と10000円だったとします。でもそれは、2本のメガネを見る、さらにそこから1本を選ぶという際に、本当は関係のないことかもしれません。もちろん、買う際には社会で決められているステップを踏まなくてはいけないので、支払額の差はあります。ブルバキも、もちろん価格の差はあります。ですが眼前には、あくまで質の違うメガネが2本あって、それは価格が10倍違うから、他方より10倍良し悪しということとは、別の話であるという考えも出来るわけです。

ものすごく長くなりました。要するに、理想論ですが、モノのあらゆる要素を数値化して、数値であるが故に比較が出来ると思い込んでいるだけなのかもしれません。そうではなく、あくまで質の違うそれぞれが眼前にただ在るという考えもありますよということです。

自分がそうでした。数値とか言語化された要素の多さで比較をしがちな人間でした。ただ、質に集中するようになって、惹かれる方を選べるようになりました。比較して良し悪しではなく、それがどう良いのか?に目が向きやすくなったという感じです。そうすると、予期せぬ良いものに出会える機会が増えて楽しいわけです。

引き続き「人間の建設」から
雑記

16.09.26

もう50年くらい、物を生かすということを忘れた時代なんですね。

今読んでいる本
雑記

16.09.25

『人間の建設  岡潔 小林秀雄 新潮文庫』

奇跡の対談ですね。

小林「好きになることがむずかしいというのは、それはむずかしいことが好きにならなきゃいかんということでしょう。」

凄すぎる。2ページ目には、もうこの内容です。

メガネにおいて、良き導き手とはどうあるべきか考えさせられます。メガネに限らず、好きなものが増えることは豊かですからね。未知から既知に、さらなる未知を求めて難解な道に次々進む過程は良いものです。

メガネとかその周辺で思うこと
雑記

16.09.17

キレイとか面白いとかスゴイという感覚からスタートしたい、そこを大事にしたいなあと考えています。オシャレとの距離感は常に葛藤になるので、難しいなと感じるときも多々あります。

頂きもの
雑記

16.09.14

幸水しか食べたこと無いかもでした。包み紙がでらシャレてます。

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