カテゴリー:雑記

物を販売すること
雑記

17.02.25

小林秀雄対話集 「直観を磨くもの」新潮文庫 p.530

あとがきが、これまたとてもなじみの良い文章でした。じんわりきます。

物を販売していますと、日々葛藤が生じるわけです。特にこういう時勢ですから、美しいとか面白い物は中々見てもらえません。求められるのは、ほどほどな、力の抜けたカッコよさでしょう。

そういったときに、果たしてこの自分が美しいと感じたメガネは、一体美しいのか美しく無いのか、そもそも美しさとは?みたいな思考が頭をもたげてしまいます。

ですが、この本を読んでいて励まされました。

「美しい花があって、花の美しさはない」

では、美しさとは?となりますが、この本では常識が感ずるものということでしょう。観念的で、それ以上どうにも掘れずに堂々巡りになるものは、それ以上掘るなとも捉えられます。(p.453 「常識」人間誰にも生まれつき備わり、そのうえさらに実社会で訓練された思慮分別の意。単に外部から習得される知識よりも、万人共通の直観力、判断力、理解力に重きをおいて小林秀雄は用いる。)

長くなりましたが、物でしか伝わらない要素があるということが、励みになりました。そしてその要素は、物から切り離すことが出来ないということにも。

言われてみれば、そうかもしれませんね。私の中にある観念的なアレコレは、全て外界の物を見て培われている気がしてきました。影響されやすいタイプです。

日々の雑感
雑記

17.02.10

シンプルが好きって宣言することは、よくよく考えますと難度高めなことですね。シンプルが好きと宣言し、実行したいところですが、結局ほどほどにデコラティブでデザイナーの意図が表面に出ちゃっているものの方に、毎回落ち着きます。

なんといいますか、出ちゃっているそちらの方が、自己の感覚がそこに継ぎ足されるイメージがあります。シンプルな物を土台に、自分で0から積み上げていけるほど、自身は研ぎ澄まされていないんでしょうね。コスプレという揶揄は、まさにその通りでしょう。

ヴィンテージの他に、無垢のフレームを販売しています。無垢のフレームを眺めていまして、そんなことを考えておりました。ただ、無垢のフレームは例え彫金が施していなくても、シンプルだから良いなあ、と感じたことは今の今まで無かったです。それよりも表面の滑らかさと光沢の美しさにぐらっときていまして、それが僕にとってはデコラティブだったんかなと思います。

デコラティブじゃなくて、装飾的と書けばよかったですね。カッコつけすぎました。

ようやく落ち着きました
雑記

17.02.06

場所をお借りしている、アナログさんの春夏の服の立ち上がりがあり、なんだかんだその販売のお手伝いをしつつトランクショーのご注文の加工をしておりました。ようやく落ち着いたという感じです。あれこれお待たせしてすみませんでした。

セレクトショップに居させてもらっています。セレクトであるということは、各ブランドフルラインナップであるわけではありません。直営ではありませんからね。

そして私の店も、ヴィンテージメガネの年代や国やメジャーブランドを網羅出来ているわけではありません。無いカテゴリーは沢山です。無垢のメガネもまだまだバリエーションを増やしたいと考えております。

網羅していないということは、選択肢としては狭まっているわけですが、それは果たしてマイナスなことなのかと、たまに考えます。言い換えますと、服でもメガネでも、結局なんでも同じですが、選択肢が多いということは、基本的に良いことなのか?という考えです。

選択肢が少ない方が、決定は下しやすくなりますので、私は逆に良いことだと思いますけどね。それに、物と物を比較するのではなく、物と自分の培った経験を照らし合わせる行為になりますから、感性にダイレクトに響くと思います。

選択肢と選択(という行為)の関係を考えますと、面白くて止まらなくなります。またそのうち書くかもしれません。

託します
雑記

17.01.31

遂に、行くタイミングを逃してしまいました…。

熊谷守一展 in 岐阜

今週末までです。ほのぼのとした、いい絵ですよ。

2月3日からは、アナログさんの春夏の服のスタートです。私も同じタイミングで店頭販売を再開します。

土日どちらか1日は熊谷さんで、1日は豊橋に是非お越しくださいませ。どちらも楽しいはずです。熊谷守一さんのは、皆さまに託します。感想をお聞かせください。

お待ちしております。

 

静物画のこころ
雑記

17.01.26

「静物画のこころ展」刈谷市美術館
2階に、おそらく刈谷市の絵画教室の生徒さんの展示もありました。教室に通う小学生の絵のコーナーも設けられていました。それがまた良かったです。それについてちょっと書きます。

これもおそらくなのですが、同じ題材にて各人が絵を描いておりました。テーブルに青と白のストライプのクロスがひいてあり、バゲットとポットとバスケットとリンゴが配置された静物画です。絵画教室の授業で、生徒それぞれが描いたのでしょう。

多くの子が、朝食とかティータイムという語を、題名に用いているなか、ひとりだけ「楽しい’時間’」という題名をつけている子がいました。不意打ちの不意打ちでしたから、それはひどく驚きました。

静物画の何たるかを、その子の絵と題名で学べました。対象をそのまま描いているわけでは無くて、そのテーブルが実在したと想像したときの空気感やテーブルを囲むであろうひとが、描かずに描き出されているということなのでしょうね。それがまさに、企画の言う「静物画のこころ」ということなのでしょう。

そして、’食卓=楽しい時間’という連想を私自身に当てはめた際に、楽しいとか豊かという感覚に乏しいなという反省の感情が沸きました。逆に描いた子は、食卓が楽しいという認識があるのでしょう。今のわたしは、どの時間帯の飯も、1人だったりパパッと済ませたりすることが大半です。確かに小学生の時は、朝以外は十中八九誰かと食べていましたし、会話しながら食べていたなと記憶しています。

勘繰り過ぎなだけかもしれませんが、勉強になりました。

最近の楽しみ
雑記

17.01.23

100分de名著を見るのが、特に楽しみです。今は中原中也さん。

数学の流れから岡潔さんにハマり、その後お客さんに教えていただいて小林秀雄さんにハマり、小林秀雄さんを読んでいると、どうしても中原中也さんが避けられなくなってきたなぁ、というタイミングでのテレビでしたので、初心者としては嬉しい限りです。

詩を読むのは初めてです。読んだときの、例えば、メガネにおける光学理論の理解とは異なる、わかるという感覚の、まさにこれを共感と指すのか、じんわり感がいいですね。

この冊子を読んでいると、中原中也さんと大岡昇平さんの関係が、ゴッホさんとゴーギャンさんの関係と同様であるとあり、ちょうど愛知県美術館にてゴッホとゴーギャン展が開催されておりますので、タイミング良くてありがたいです。

振り返ってみて
雑記

17.01.19

なんだかんだ感性が等々書きましたが、言葉を用いたということは、その時点で論理的だなと反省しております。偶然を語ろうとすると、必然的な言葉ではどうしても捉えられないというのと同じような感じです。

綺麗なときは、それ以上に言えないなと思いつつ、言葉を捻り出すのですが、どうもしこりが残ります。言い表せていないといいますか、なんというか。

3日がかりくらいで思い出せた
雑記

17.01.18

ダイアログインザダークでした。すっきりしました。

お客さんとの会話の中で、ぼんやりとこの話になりました。その方は羨ましいことに、実際に参加されたことがあると仰っていたものの、そのときはお互いに名前が出ずじまいでした。

たしか私は、4・5年前に何かで知ったきりで、参加したことはありません。就職する前で、まさか自分がメガネとか見えることに従事すると思っていなかった頃に、こんの取り組みのことを知ったと思います。

今は猛烈に参加してみたいですね。仕事柄というのもありますが、前のブログのように、眼以外で見るということへの興味があります。外的な刺激によって引き起こされる感覚が、脳に映像をもたらすのであれば、それも見えていると言えそうですので。

ダイアログ・イン・ザ・ダーク

 

ある
雑記

17.01.18

お客さんからの頂き物。

「ある」(観察と編集 発行)

バックナンバーを4部くらい頂きました。東京で整体をされている方と、編集者との対談です。今年の3月で、3年間に及ぶ対談が終わり、全て製本されて販売されるそうなので、それを買ってみようかなと思いました。

一つひとつのテーマに沿った対談の内容も面白かったのですが、共通して面白かったのは、身体感覚から感情が引き起こされうるというようなニュアンスが感じられたことです。

 

検眼も、同じようなことが考えられます。ただ、視力が出るだけ、遠くの切れ目が判別出来るようにするだけでは無い、巷のとは違う検眼についてです。

過矯正の内斜位の場合などは、常に自律神経が働きっぱなしであり、無意識に緊張状態が続いたまま生活をしていることになります。

視力重視では無くて、眼位や両眼のバランスを重視した処方により、集中力が増したり過敏さが減少したりする可能性もあるのでは無いか?というのが、私の検眼での考えです。

ある程度の視力が出れば、そっから先の視力と認知との相関関係は強く無い、という報告を人づてに聞いたことがあります。元の論文にたどり着けていませんので、何とも言えませんが。

実際に仮枠で試すときも、完全矯正(ないし若干の過矯正)よりも、度数を緩めて眼位にあったプリズムの処方により、より一層見える実感があるという声をいただいております。この場合、ランドルト環での視力チェックでは、片目で0.7出ていないことは多々です。旧度数より落としても見えるという場合もあります。

見えるということ、それに対してどのようなレンズを処方していくか。そしてその処方は、見えやすくするだけでは無い効果を、良くも悪くももたらす可能性がありますので、メガネ屋としてはやはり一番気合が入ります。そして、物凄く大げさに表現すれば、その人を変える可能性があるということになります。非常にやり甲斐がありますね。

「見える」という言葉が、注目が向けられたらハッキリ見えるとかそういうニュアンスでは無くて、ぼんやりでも脳で認識されているという感じですね。

気ままにやる
雑記

17.01.17

初めて、映画フットルースを観ました。フットルースとは、気ままにという意味なんですね。

1984年の映画だそうで、車とかラジカセがカッコ良かったです。ゴツくてカクカクした感じです。

出てくるメガネのバリエーションが豊富でした。学生は80年代を象徴したセルのボストンやツーブリッジ、エキストラのお婆ちゃん達は70年代のビッグサイズフレーム。今のグッチみたいなメガネですね。主人公の親父というかちょっとよくわからないポジションの人が30〜50年代くらいのフルビュー(メタルの金,ボストン型)を掛けていて、それも渋くてカッコ良かったです。

個人的に一番メガネでぐっときたのは、開始45分位で登場するお婆ちゃんが、ローデンストックのカールトンみたいなメガネを掛けていて、それにブラウンの50パーセント全面の色のレンズを入れています。

曲もダンスも良いので是非。ついでにメガネも注目してみてはいかがでしょう。

 

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