カテゴリー:雑記

ラマヌジャン
雑記

16.11.05

おそらくどこかで、まだ公開中です。

「奇蹟がくれた数式」奇蹟がくれた数式の公式サイト

お店をやっている以上、土日に自分のお店以外に行くことを推奨するのは自分でもどうかと思いましたが、そろそろ公開が終わってしまうのではと危惧しましたのでご紹介。私もまだ見れていません…。休日のお出かけにどうぞ。

屋号がブルバキですからね。久々に数学ネタです。インドの天才数学者、ラマヌジャンの映画です。

時代としては、それこそ数学がブルバキによって構造の概念を手に入れ、整理される前です。映画は友情を主軸に描かれているようです。ゴリゴリの数学の映画では無さそうです。ラマヌジャンが直感から様々な定理を発見し、それをイギリスのハーディが厳密に証明していく様子も描かれているようす。いまの数学に慣れている私たちからは想像も出来ないくらい大変だったのでしょうね。無限とか集合とか、大荒れの時代だったと記憶しています。間違いだったらすみません。

論理だけではたどり着けない地点があります。小林秀雄さんも

「自然科学(論理)は構造の分析でしかない。直覚から分析へは至るが、分析から直覚へは至らない。」

と、講演集で仰っておりました。岡潔さんとの対談、人間の建設では、数学者の岡さんも似たようなことを仰っていました。仏教的な、非思慮による発見でしか到達出来ないという予感がするみたいです。非連続的な、歩き続けるだけではなく跳躍が必要な瞬間があるのでしょう。分析がダメということではありません。どちらも要りますが、双方向では無いということです。

話は変わりまして。衝動買いという行為があります。一般には悪とか失敗と捉えらえる行為です。ですが、果たしてそうでしょうか?衝動買いは、感性でしかない、直覚による買い物であります。自己の感性が剥き出しの買い物です。昨今の情報ドバドバの状況で、買い物に限らずここまで分析を排除した決定行為はあるのか?と、考えますと、少ないのかなと思われます。とりあえずスマホで調べちゃいますもんね。

やはり衝動買いの後の、分析の仕方がいかんでしょうね。そこが混同され、悪と認識されているのでしょう。買い物でいう分析とは、おおよそ他者・他物との比較と同意義なので。そこでしまったと思っても、その剥き出しの感性がした行為を自ら引き受けることで、予期せぬ発展があるかもしれません。使い方を追求するか、自分の感性を醸成させて、物を違ったように見えるようにするか。そこがメガネでも何でも醍醐味だと思います。

いまは買い物出来るような状況でも無いのですが、先日お客さんとお話をしていまして。つらつらとここまで偉そうに書いている自分自身、衝動買いが減ったなと、お話を聞きながら反省した記憶がありました。

最終的に映画のことがすっ飛びましたが、どうか良い休日をお過ごしください。

理性と感性について
雑記

16.11.04

NHK ヨーコさんの“言葉”

ヨーコさんの“言葉” NHKのページ

5分番組です。木曜日の22時45分から。Eテレにて。初めて観ました。たまたまです。テレビによる徹底的な受動も、たまには悪く無いと思います。

楽しい感じの、ちょっとした自虐込みのエッセイ番組です。ただ、ところどころにピリッとする表現がありました。自分では上手く言葉で表現できなくて、脳の中がむず痒くなるようなことでも、軽やかに表現されていて、感動しました。おそらく来週も観ます。

「…理性は矛盾を許さない。しかし感性は矛盾のマグマだ。…」

マグマだから、許す許さないの話では対処出来ない訳ですね。納得。

 

豊橋観光案内
雑記

16.11.02

豊橋市美術博物館は、一回の会期期間が短い代わりに、あれこれ楽しそうな企画を次からつぎへ行なっています。ぜひ豊橋へお越しください。

筆舌に尽くしがたい、良い何かがフワッと心に立ち込めました。たまたま、自分と波長があったのでしょうね。まず美しいという感情が心にきて、そのあとに意味が追ってくる感じです。素人なので、そもそもそこまで詳細に意味を汲み取れる訳ではありませんけど、そんな感じです。

撮影禁止でして久々の無音の美術館でした。視覚に集中すると、絵から音や香りや動きが湧き起こるので、たまには共感を諦めて鑑賞するというのも乙だなと改めて感じます。

延々と悶々と
雑記

16.10.28

美しさとか良さがその物に内在しているのか、はたまたそういったものは自己の判断でしかなくて、物には内在しておらず、見る際に、自ずから価値を投影して見てしまっているのか。どっちつかずで前回のブログは終わっていますし、結論は出ない問いでありますから、日々、延々と悶々と過ごしております。

ここ数日お客さんや周辺のひとに、たて続けに言われて気づいたことがあります。ヴィンテージということは、一点物である確率が高いということです。皆さん、結構その点を言ってますので、改めてやっぱりそこが最大の良さなのかと思った次第です。

自分の買い物、そしてヴィンテージのメガネに没入していく変遷を辿ってみたのですが、そこまで一点物ということを意識していなかったですね。ひょっとしたら、自分も何か物を買うかどうか迷っている時に、ひと押しで言われたことがあったかもしれません。ただ、決め手になった記憶はちょっと無いです。

悩んでいるそのものが、世界中で一個かどうかということは、それが美しいとかキレイとかカッコいいとかとは、別の要素です。ですから出来るだけ、目の前にあるものに対して、美しいかどうか等々のジャッジに専念したいという考えです。言い換えますと、美しさとかではない要素を極力除いたうえで、最大限目の前の物に惹かれたいという感じでしょうか。それが没入でしょうね。

ただ、所有した後に手元にあるものは世界に一個くらいしか存在していないかもしれないと思うと、しみじみと嬉しさを感じることはあります。

いずれにしましても、皆さんがそれぞれに楽しみを見つけて下されば嬉しいですね。解釈の多さが面白さでもあります。

曖昧な差
雑記

16.10.24

私の言葉の感覚でしかないのですが。

均整と調和は若干感覚が違うんですよね。どちらも、辞書的な意味では

「ものごとの間に釣り合いがとれていること。」

等々だと思います。

均整の場合は、どの要素も大人しい場合でも成立するイメージでして、調和はそれぞれが激しいか、大人しいと激しいの混ぜこぜじゃないと成立しないイメージです。

となりますと、今は均整を求める時代でしょうね。均整は綺麗で調和は美しい感じ。そうなりますと調和は均整の上位というニュアンスが出ますが、そういう実感もないので、私の考えは矛盾なりご都合主義的なものだなと感じます。

ビームスの動画
雑記

16.10.20

ビームスが40周年のスペシャル動画を作っていました。今日の昼に、PON!で流れていましたが、まだ公式配信では無いようです。YouTubeで流れています。音楽とファッションの40年が、絵巻物のように分かるカッコいい動画でした。

個人的にスーパーカーが出ていたので、かなりテンション上がりました。

連続してみれば、どのファッションもやはり理由があるのだと感じました。突発的なものなど殆ど無いのかもしれません。

重い腰を上げて
雑記

16.10.20

ついに、インスタを始めて見ました。深田恭子さん、石田ゆり子さんが始めたので、もうそろそろやらないといけないなと思い至りました。よく分からんなりに、ハッシュタグも頑張ってつけました。

bourbaki1139です。

このブログですと、画像が汚いので、綺麗な方が良いなと思うときは、そっちもあげます。メインはこちらです。

引き続き、よろしくお願いいたします。

 

追加コレクション
雑記

16.10.19

昨日に引き続き。いい仕事しています。

新しいなかま
雑記

16.10.18

古いかどうか不明。高さ1.5センチ、幅2センチくらいの小粒なダルマ。かわいい。

物について引き続き
雑記

16.10.18

小林秀雄講演第四巻 「現代思想について」”太陽は美しい”

ちょうど、昨日のようなことについて語りかけていました。

昨日の感じですと、主観だけの世界となりますね。主観次第で、美しい物が全くない世界が出来上がってしまうなと。なんかスッキリしないところに、言葉が降りてきました。

講演より

「太陽が美しいと思うのは君の主観か?太陽は美しくないのか?実際美しいものが向こうにあるんですよ。君はそれを美しいと感じるんじゃないですか?…芸術というものは、迷いの上に成り立っているのか?」

美しいかどうかと、好きかどうかを混同して考えているのが、私のダメなところですね。怒られた気分です。

共感というのは、実に不思議な体験だと、つくづく思います。その瞬間の嬉しさと言ったら、言葉にできません。

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