合理と書くくらいですから、理に合っている、もっと分解して
・理は何を指すか
・合うとはどのような状態を意味しているのか
の二つくらいが、真っ先に気になります。
ちょうど、いい言葉が思いつかないなぁというタイミングで、前述の本で「合理性と能率性の混同」が指摘されていて、いい表現だなと思いました。
思うに、混同というよりはむしろ、ムダを省くことだけが合理的であるわけではなくて、それは論理で照らした合理性というだけであり、合理性の一側面でしか無いという感じの考えです。辞書的な意味の合理性は、「道理に合っていること」ですから、そもそも合理性を説明するのに際して、道理という範囲の広い言葉が使われています。よって、おそらく合理性の範疇も広そうです。
高校の同級生に、何年か振りに会いました。話す内容や、その結末から伺える価値判断の基準を察するに、単純さに重きを置いた合理性でした。この10年で何が異なり、そして合理性に対して姿勢の違いが生じたかは分かりませんが、自分が合理性から逸脱したという感覚は無いですね。合理性を違う側面でも見るようになったのか、はたまたこの10年で「理」の質が変化したということだと思います。それが良かったのか悪かったのかは、これからの10年くらいで測られていくような予感がしています。