差し入れ品
雑記

18.03.04

人生初の財宝です。差し入れで頂きました。

ラベルを眺めていて驚きました。放射性炭素同位体の年代測定やっていますね。数字に根拠が大ありでした。高校物理で、同位体の半減期の勉強の時に、コラムで教科書の端に書いてあったアレです。

メガネに関わらず、ヴィンテージ等々の分野で本気でこの手法を導入したら、ロマンみたいなものの半分以上は壊れると思います。

ただメガネでいえば、例えば40‘sフランスというカテゴリーには適用してみたいところです。確かに、各種図鑑、映像、写真でそれっぽいメガネを見かけることはありますが、いまいち確信に触れられていない気がします。そもそもフランスは、第二次世界大戦時にドイツに占領されておりますし、メガネを楽しんでいた余裕があったのかどうか、まだまだ判然としない部分があります。

 

お客さんのメガネ
ヴィンテージのメガネ

18.03.04

トレー頂きました。カッターマットより、断然良く見えます。

お客さんのメガネ。丸メガネをお探しでしたが、丸じゃない変わり種メガネとして、クラウンパントをご紹介致しました。初メガネで初ヴィンテージでして、クラウンパントの存在もご存知ではなかったので、一番良いお渡し方が出来たかなと思います。ちょっと変わっていて良いねという感想が久々で嬉しかったです。クラウンパントも、残念ながら記号化の波に浸食されています。

個人的に、この薄いタイプも好きです。この辺りの年代の、フランスなのかイギリスなのか、クラウンパント系のフレームは、形の良さ、生地の色、各種バランス、作りの良さ等々のフレームの持ち味と、そして一番大事なかけた時に顔の個性を全て奪わずに、そのひとに似合うかどうかが、検討されることが少なくなってしまいました。生地の厚さのみで良し悪しが語られることが多いです。確かに分厚いと物として存在感が増し、カッコいいとは思います。

 

変化
雑記

18.03.03

RE:SUPERCAR2 -redesigned by nakamura koji-

確か2011年ごろのアルバムです。

映画「ピンポン」のときからのファンです。おそらく、そういう入りの方も、ぼちぼちいらっしゃると思われます。

後期のスーパーカーをよく聞いていました。私よりもう少し上の世代の方ですと、前期のスーパーカーが好きな方が多いですね。その辺りの曲は、解散した後に発売されたベスト盤で初めて聞いたタイプです。スーパーカーの存在を知った時には既にHIGHVISIONが発売された後でして、映画を(DVDで)観た後に、CDを買いに近所に走ったのが懐かしいです。人生初めての、自腹を切ったCDだったと記憶しております。

ベタな入り方でしたので、好きな曲もベタです。STROBOLIGHTSとYUMEGIWA LAST BOYは、本当によく聞きました。未だに聞いています。むしろ、ますます聞くようになりました。

それは、写真のアルバムがきっかけです。しかし、買った当初はほとんど聞かずじまいでした。好きなJUSTICE BLACKの為に買ったような感じですね。もともと収録されているアルバムのANSERが、懐かしきCCCD(コピーコントロールCD)だった為、アルバムを買ったときの心持ちは、念願のmp3化が出来るなあ、くらいの感覚だったと思います。特に、先ほどあげたYUMEGIWA…とSTROBO…は、そのときは全く良く思えませんでした。すみません。

今になって聴くと、とても良く聴こえてきます。むしろ、いまはオリジナル版よりも写真のリデザイン版をメインで店内で流しています。リデザイン版も、元々クオリティが高く良い音楽だったはずですが、記憶や思い出に引っ付いてしまったオリジナルと比較してしまい、正しい判断や感じ方が出来なかったと、今になって思います。好きか嫌いか、心地良いか良くないかではなく、オリジナルに近いかどうかで聞いていたのでしょう。もちろんその場合の判断は、アレンジを加えればオリジナルは多少なりとも崩れますから、基本ダメと感じてしまうのでしょうね。ようやく、どちらも好きだなと感じることが出来ています。

無理やりメガネに繋げる感じになりますが、お店でも同様のことが起こります。以前、こちらから勧めてダメだったものが、時間を経て逆にお客さんから能動的に良いと決めてもらったことも何度かあります。それは見ていて本当に面白いです。そこに、色々な要素を排除した、純粋な好きという感情や純粋な物の良さの一端が垣間見える気がしてなりません。その現場に立ち会えるように、移転のタイミングでブルバキを今の形式に一層強く舵切りをした感覚はあります。

 

 

 

 

 

なんだかなぁ
雑記

18.02.28

メガネ業界の人間として、取り敢えずこれだけは。

テレビで、

「今まで測れなかったことが、この機械で測れるようになりました」

的なことを述べていましたが、機械ではなくても、80年代頭には理論が整っており既に測れる環境にあったはずです。それが証明出来る文献が手元に無いですが、少なくとも現在は確実に測れます。

あの番組の鍵となる検査項目は、調節ラグとAC/A比です。紙ペラの指標だけで共に測れる内容です。やるかやらないか、それぞれのお店の方針次第だと思われます。それは、お医者さんも同じです。

メガネ業界と言いますか、眼鏡小売のために、これだけは書き残しておきます。メガネ屋も、やってるところはありますよ。

お客さんのメガネ
無垢のメガネ(925silver,サンプラチナ,木)

18.02.28

セル巻き、巻きつるの長さ指定をした特注品です。あとは、SPMに手で彫金を入れてもらいました。山と智の3カ所。福井は雪が凄かったはずですが、ほぼ納期通りです。ありがたいです。

とりあえず今は伝票待ちの、販売価格決定待ちです。これだけ改造すると、いくら位になるのかボンヤリした状況です。その状況で取り敢えず作りました。それを許してくれたお客さんに感謝です。

SPMの彫金、想像を越えた美しさでした。今まで見ていたはずだったんですけどね。改めて観察しますと、切削面の鋭さだけではなく、ラインの細さが際立っています。繊細さではSPMの勝ちです。もう、自分がこれは欲しいですね。所有欲を紛らわすために、近々在庫持ちます。

現在店頭で彫金してあるフレームですと、銀が1本だけです。銀は、光の反射率の高さと、切削面の広さから生じる煌めきが凄まじいです。銀は硫化して黒ずみますから、くすませるのも味わいがあって良いですし、綺麗な煌めきが一時のものであるという儚さも良かったりします。磨いても、それはそれで銀の特性を活かしているといえます。

金属が異なるだけですが、SPMの彫金は思った以上に銀とは別物でした。

民藝展
雑記

18.02.28

行きました。高島屋に巡回で来ているやつです。5日まで。

民藝に関しては、その定義がすでに矛盾を生じやすい性質ですし、見るたびに考えさせられます。矛盾を孕んでいない物は、そもそもそんなに面白くなかったりしますから、その定義が健康的であることは、間違いないと思っています。

民藝の中でも最高クラスという表現が、そもそもの定義から逸れる表現だとは思います。何とも言いようがなくて困っています。いい表現が見つからないのでそのままにしますが、そのようなマックスな物が見られます。そっちは有料で、今作られている物の販売スペースは無料です。

最高クラス民藝ですが、確かに綺麗でした。本当に実用されていたのかなと思うくらい、精緻で美しかったです。そしてすぐさま、本当に美術と反りが合わないものなのか?とも考えました。

数学と世界との関係に似ています。人間の経験から離れ、純粋な思考の産物としての数学が、世界の美しさを否定していないところがそっくりです。理論の美しさが現実に引き戻せる場合も多々ですしね。実際目の当たりにしたことで、ようやく分かりました。

次の楽しみは、17日から行われる科学館のマーベル展です。

本日19時閉店です
営業案内

18.02.28

何だかんだ昨日もご来店ありがとうございました。そして、忘れておりましたが本日は19時には閉めます。直前のご連絡で申し訳無いです。忘れていました。

廊下のワックスがけで、業者さんが入ります。先方の仕事がしやすいように、早めに閉めようと思います。よろしくお願いいたします。

受け取りのみ
営業案内

18.02.26

明日は、受け取りのみの営業と致します。加工云々が溜まってしまいました。一旦、綺麗サッパリ片付けします。

今月もお越し頂きありがとうございました。

レスカの鼻盛り
修理とメンテ

18.02.25

さすがに、作業して帰ります。

お持ち込みで、またまたレスカのヴィンテージです。日本人にとって不完全なフレームですから、良い装用感のためには改造も致し方無いです。不完全だからこそ、日本の設計からは生まれない格好良さがあるわけです。そして、やっぱりそれを綺麗に掛けたいわけですから、それは極力叶えます。

リム内側の計測で、鼻幅28ミリです。

削り取り、内側に傾斜をつけて土台作りです。

真っ直ぐに鼻盛りのチップを接着すると、おそらく幅を寄せ切らないので頑張ってみました。

取り付け後。磨いていません。

これで大体18ミリです。掛けた姿がやや上目になるようにしました。それでも、上4下6か、ちょうどレンズの真ん中に瞳がくる感じでしょう。キーホールブリッジが眉間に掛かるくらいの方が、外人みたいでカッコいいなと思いまして、しっかり盛りました。

明日から開けます
雑記

18.02.25

本日は、店を閉めていました。来店で予定を立てて下さった方、来ちゃった方、すみませんでした。仕事せずに数学の講演会に行ってました。

おかげさまで、レンズ度数の決定において確信を得ました。引き続き頑張ります。

各人の世界の見え方を、ランドルト環(最小分離閾)のスコア1.0以上で健全と判定する在り方に、疑問を感じております。その疑問が、おそらく今の色々なものの流れ(今回は数学の潮流でした)と相違が無さそうという実感が掴めました。今の私の検眼がパーフェクトであると、誤った確信が芽生えたわけではないです。

ひとつの規定・基準から各人の見え方の良し悪しが決定されるのだろうか?という疑問から出立して、あぁでも無いこうでも無いと悩みながらも、処方度数を決めるというアウトプットを続けていくことが、どうやらそんなに間違いでは無さそうだな、という感覚が掴めたということです。

検眼と、仮枠(試しで度数を入れたメガネを掛ける段階)の関係、特に仮枠の捉え方も変わりました。

元々は仮枠の段階で、検眼で出した値からズレるのは当たり前と考えておりました。数値のズレは、初めは出て当然であるという認識でして、時間経過とともに出来ればその差を埋めていくことが望ましいのでは?という考えが強かったです。

しかしそうではなく、その人が培って来た認識というものの固有性に重きを置くのであれば、検眼では既知数を炙り出して、仮枠で実際に心地良さという未知数を求めていくという捉え方の方が正しそうです。検眼の値が基準ではなくて、未知数と先ほどの述べましたが、それは実際には誤りで数値化できない掛け心地の部分を基準にする、そこにようやく気づくことが出来ました。気づくというよりも、それが一番だと、本当に思えるようになったという表現が当てはまるかもしれません。

お時間がありましたら、また検眼しましょう。させてください。

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