明日は休みです
営業案内

24.01.15

今月はイレギュラーで、明日1月16日(火)に眼科さん出張があります。店は休みます。

蝶番の修理
修理とメンテ

24.01.12

この前みたいに、蝶番の真ん中が無い云々でしたら店でアレなんですけど、このレベルは無理なので工場送りになります。右蝶番は一番上のコマが無いです。ネジの頭ごとコンビで無くなっており、ネジ抜きしないとテンプルが外せません。ただ、蝶番の上という大事な部分が吹っ飛んで無くなっており、工場へ送る前の時点で、おそらく蝶番ごと交換だろうなということでテンプルはプラプラの状態で送りました。左蝶番は一番下のコマが無くなっており、ネジの締め上げが出来ません。

フランスとその周辺のヴィンテージフレームは、けっこう生地が硬くてリム切れも多いイメージです。カシメの再打ち込みに際しては、一回り太いピンを打ち込むことになります。工場の技術があることは前提に、こればかりは亀裂が入らないようにお祈りしかありません。最後は生地のポテンシャル頼みです。

工場から上がってきたのがこちら。無事に蝶番を替えて頂けました。毎晩の祈りが通じて、亀裂もありません。めちゃ綺麗です。

全体の磨きと、テンプル側の真ん中のコマの磨きは当店で。修理がめっちゃ綺麗な仕上がりだったので、最後の一押しでほとんど修理した痕跡が無くなりました。

以下は、あくまで予想なんですけど。

裏面のピンの再打ち込みの形跡は1本です。磨く前にテンプルを外したところ、コマとコマの間にカシメてはいないピンの頭が垣間見えます。

パーツの返却を見ても、左右同じ仕上がりで外したピンが2本です。次はフロントを正面から観察します。

向かって右、耳側が新しいピンです。そして、かなり分かりにくいのですが、向かって左の鼻側のピンは一回り細いため、多分これは修理前の元のピンです。

 

おそらく、元の蝶番を外す際に鼻側のピンはそのまま残して再利用しています。これは、新しい蝶番が横並びで2本ピンを打ち込むにはスペースが足りない為でしょう。そのままでは、元の間隔で2本のピンを打ち込むことが出来ません。そこで、コマとコマの間に穴を開けて、残してあった鼻側のピンをその穴に通しています。空きスペースには、ピンを抜き去った耳側の穴と位置合わせをした新しい径の太いピンを打ち込み、蝶番をしっかりと保持することが出来ています。蝶番側の穴が片方は余白側で、もう一方こんな感じでコマとコマの間にある物は見かけたことが無いので、おそらくこういうことだと思いますけど、標準でそういう蝶番が鯖江に存在していたら、褒めすぎですみません。

ただでさえ、生地が痩せたりピンが緩んだり何だかんだで、蝶番金具はガタつきをおこします。ピンが1本だと、さらに回転の動きが生まれてしまいます。よりガタつき易く、緩みが進むとくるくる回ります。古い鼈甲のフレームでピンが1本のものを見かけますが、基本はモーメントが生じないように、2点以上で蝶番は保持するのが良いでしょう。特に今回の修理品は、蝶番を取り付ける際にあらかじめ生地側に蝶番金具が収まる窪みをつくる“座ボリ”の工程が飛ばされているフレームです。ピンを打つ前の金具が、生地の上で安定していない訳です。座ボリがあり、それで仮固定されてモーメントが生じなければ、ピン1本の打ち込みでも良かったのかもしれません。

緩みにくくする配慮として、足りないスペースで2本留めを実現させていまして、さらにそこでは修理の際のフレームの負担も同時に減らす配慮がなされております。それが先ほどの鼻側のピンをそのまま再利用しているということです。それによってピンを打ち込む回数を減らしており、最小タッチ回数で直っています。

仕上がりを観察しての、工場での修理内容のあくまでの予想ということになりますが、大きく外していないんじゃ無いかなと思います。それにしても、さすがにあの状態からここまで戻るとは私も予想出来ていませんでした。この修復内容には大変感動しました。

日曜日は休みます
営業案内

24.01.12

明日1月13日(土)は営業して、明後日1月14日(日)は休みます。

お気にの時計
雑記

24.01.10

昨日、年末に出した修理から戻ってきました。リューズ周りの故障だけでも2回目。もうあちこち古い部分は壊れ切ったと信じたいところです。昨年の余暇資源は、時計に取られ過ぎました。

オリエントのグランプリ100です。一番好きな時計なんですけど、あれこれあって通年で使えたことが未だに無いので、今年こそ。中身はオーバーホールしてもらってから、ずっと快調です。

時計のことならこの本ということで。グランプリ100は曜日が漢字で「*曜日」表記なのも乙です。

時計の駆動に関係ないところに石を埋め込みまくっています。天邪鬼の究極ですね。この感覚の商品開発が出来たことが羨ましいですね。洗練というよりも本気のおふざけ的な。時計のケースもシースルーバックでは無いため、ルビーとサファイアの石は使用上は一切見えないです。ユーザーは、石がちゃんと100個あるどころか1個すら確認出来ないです。すごいぞグランプリ100。おそるべしグランプリ100。

メガネでいえば、ちょっと前に蝶番の枚数だけでメガネの良し悪しを量るみたいなムーブがありまして、7枚蝶番が至高とされていました。現実では7枚が最大だと思いますが(9枚を見たことが無いだけかもしれません)、ついに二桁到達、12枚蝶番!みたいなものが仮に存在したとして、そういう感じでしょうか。昨今のセルでいえば生地が厚ければ厚いほどカッコいいというルールがありますから、その極致として15ミリ生地みたいな。そういうの面白いですね。

ブルバキもそれで言いますと、銀無垢において重量**グラム突破みたいな追求をしていたこともあるので、軽ければ良いとされるメガネフレームのルールに対して、貴金属の文化を持ち出し、やっぱり大事なのはグラムでしょ!ということをしていました。単純にそれだけだと理論として弱いため、ただひっくり返すだけでは戻るのと同じですから、重量バランスという概念で免罪符を添えたというのがブルバキの銀無垢の流れでした。

ちなみに本を見ると防水のタイプがあったみたいです。褒めてるのかちょっとバカにしているのか分からない感じの、

“…一連の競争はいつのまにか、本来の目的から徐々に逸脱する方向へと進む。”

というのが良かったりします。逸脱し切ったおかげでヤバい個性として残った訳ですから、いま考えられる本来であったり本質みたいなことだけでは尽くしきれない何かはちゃんといつでも存在しているということでしょう。それが励みになります。

明日は営業します
営業案内

24.01.08

月例の眼科さん出張が来週にズレたため、明日は第2火曜日ですが営業します。

次は1月5日(金)の営業です
営業案内

23.12.27

本日で、2023年の営業は終わりました。ありがとうございました。

次は1月5日(金)の営業です。

多分どうでもいいこと
雑記

23.12.24

この前、『現代思想入門』をまた読んだと書きました。そこで有限性云々書いたのですが、書きつつ微妙に納得出来ない部分がありましたので、今度はこれをまた読みました。やはりイブは暇なので。そろそろこの本も10回目くらい。

 

『現代思想入門』において有限性の説明が、行動や身体の有限性からされていたのですが、『現代思想入門』を読むと、そういう個々の人間の有限性とか人類の有限性ではない、“もっとどうしようもない有限性”を感じました。

『現代思想入門』から再度引用です。

それってアレだよなということで、無限といえばの冒頭で紹介した『無限論の教室』です。これは本当にいい本で、著者のあとがきにもあるように、読むといつでも大学に戻った気分にさせてくれます。ディベートでは無い、平和な応酬に溢れたあの場所です。

上2つは、『無限論の教室』の引用です。

引用した通り無限と有限の隔たりは「必要に応じていくらでも概念を増やしていける」自由が存在することを保証します。そこは『現代思想入門』と共通しております。無限と有限の隔たりに深い絶望を感じるのではなく、いつまでも続けられるポジティブさをそこに見出すわけです。物でいえばいくらでも新しいものが、例え微小な変化だとしても作ることが可能ということになります。

さらに引用に「定義上ということは、人間が有限時間で死んでしまうから数えてきれないということではありません」とあります。ここが、はじめに書いた“もっとどうしようもない有限性”の肝です。どうしてもたどり着けないわけです。一個人では当たり前のようにたどり着けないわけです。それなら人類でということになるのですが、人類もいつかは滅亡するという自明な有限性を孕みますし、個人から人類と拡げたところで、やはり定義上たどり着けないということですから、どうしようもなくたどり着けないわけです。

その事実を受けてどうするかということなんですけど、虚しさを滲ませず、分かっていても自分の範囲のことをやるということが大事なんじゃないかという結論に至ります。それこそが、これもこのブログで何度も何度も書いたあの本なんですけど、内村鑑三の『後世への最大遺物』のあの倫理観に接続していくのではないかと、そんなことを考えたところで今日は帰ります。

12月24日(日)は17時に閉めます
営業案内

23.12.23

明日12月24日(日)は17時に閉めます。

金曜日は休みます
営業案内

23.12.20

さっそくですみません、12/22(金)は休みます。

今年もありがとうございました。まだありますけど早めに
雑記

23.12.19

今年は家族の生活スタイルが変わってなんやかんやとありました。それもあって店を超休みました。すみませんでした。こればっかりは直しようもなくて、むしろますます私が待機する番が増える予想で、来年はもっと休むと思います。

定休日といえば加工が溢れれば加工をし、大体の経理もそこで行うことが多いので、わりと貧乏暇なしでした。特にそれでストレスも無いんですけど、どこに行くでもなく、何をみるでもなく、あっという間に一年が終わろうとしております。テレビは外せない『探偵ナイトスクープ』と『オドぜひ』に加えて、辛うじて『笑わない数学』の録画を消化出来ました。そして『セクシー田中さん』と『ブギウギ』は何週か見逃して諦めました。

今年は、1時間程度で出来るメンタルコントロールとして夏は市民プールで泳ぐ、それ以外の季節はバーガーキングで何かしらのオールヘビーを食べるか歴史を刻めを食べるということを覚えました。それでほとんどのことは整いますし、お陰さまで一年穏やかに過ごせました。

しばらくこのブログに読んだ本の感想を書いていないですね。もちろん本もそこまで読んでいないです。ハイデカー関連を3冊ほどと、トップ画像の千葉雅也さんの『現代思想入門』くらいです。ハイデカーの存在論と現代思想は対立関係にあるので、丁度よいバランスだったのかもしれません。

ただ、この『現代思想入門』は今年だけでも3回くらい読みました。なんとしてでも、このタイミングでもう一回読んでおきたいみたいな感覚が起こることがあり、いま3度目を読み終えたタイミングで書いております。

『現代思想入門』から引用です。前振りに関係しますが、この箇所に救われたんですよね。おそらく来年も、なんとか生活をこなしながら店を開けることのみに行動が絞られるのでしょう。ちょっと前は、何かを摂取したり吸収してメガネに還元しなくてはと、特別なことをしなくてはと思うときもありましたが、今はまだ余裕が無いならやらなくていいかなという感じです。またそれが出来るような時間が出来たり、自然にその気になればそうしたくなるかもなぁくらいな心持ちです。

前も引用して書いたかもですが、ここでいう否定神学的な心のあり方とか近代的な有限性と呼ばれているものは、本当の物「X」とか「対象a」を使って説明がされております。

ブルバキを例にすると分かりやすいです。究極に美しいメガネ(=X)を作りたいと願って、例えば銀無垢のサーモント(=対象a)を作りました。あの銀無垢のサーモントは、あれはあれで一つの到達点であり大変満足できるものではあるのですが、Xであるかどうかと言われると、想像の段階ではそうであったのに現実に出来てしまった瞬間からXで無くなってしまいます。出来上がった対象aとしての銀無垢のサーモントを目の当たりにして、あれをこう出来るなぁ、あれもこれも出来るなぁと、いくらでも改善改良が次々に思いつきます。出来上がった物からXへ、まだまだ漸近できます。そもそも銀無垢のサーモントがXへ通ずる唯一の道ではないわけですから、漸近のイメージは数Ⅲ的な点とか線ではなく領域とか空間以上であり、取り上げた本でもXの周辺を対象aがグルグルしているというような表現なのは、そういうことです。Xの周りにガスのように対象aたちが渦巻いているイメージです。

つまり、Xに対してa(1),a(2),a(3),…と捉えようとする行為や作品が思考上は無限に可能であるのにも関わらず、現実の人間は寿命があって有限回のステップしか踏むことが出来ません。有限性というと難しいですね。要は少なくとも一個人だけでは本物には到達出来ないということです。本物とは?ということはここでは議論を避けます。

(再掲、銀無垢のサーモント)

出来ないと分かったところで、ではどうするかということになりますが、本にもあるように粛々と行動するのみです。つまりはXにはたどり着けないと分かったうえで、悲観せずただ作るのみです。

ということで今年は銀無垢の新規の製作はありませんでしたが、来年は新型があります。実は11月に脱稿しておりまして、あとは何も決まっておりません。

これも前振りに関連しますが、いまの状況で考えて物を作った方が、案外良い物が出てくる気がしております。ますます自分以外に時間を割こうとしているのは、もちろんそうしたいというのが第一ですけど、それによって漸近の仕方がまさに点とか線では無くなる感覚を覚えたからです。そう言いつつも、次の型においては、歴史的な意義とかアメリカを要素に入れるとかエビデンスとかよりも、自分が欲しいみたいなところを優先させてみました。いつも自分が欲しい物ばっかり作っていますよね?と突っ込まれると何も言えなくなってしまうのですけど。

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