オークリー風
ヴィンテージのメガネ

24.05.10

60年代のフレームと推測。生地の柄とか透明感とか、その年代のフランスフレームによくあるあの感じです。透明度の高い、赤っぽい茶色です。

芯なしでバチのテンプルでこんな感じのヴィンテージフレームを見たことが無かったので面白いなあと思ったのと、ブリッジ広めのオーバルのフレームがオークリーのトレンチコートみたいな雰囲気で、それがとても良くて載せてみました。試しに入れてみたレンズは、グレーの30%くらいでシルバーミラーのレンズです。ふりかけ程度に、90年代感をレンズで足してみました。

ギークシック
修理とメンテ

24.05.10

前回載せたのが初回の組み上げたときで、たしか2021年の1月あたりかと。あれから3年で、まだまだ3年しか経っていませんが、評価がガラッと変わったフレームタイプでは無いでしょうか。もともと男性向けのカッコいいフレームという認識ですし、いまも私はそうなんですけど。この前、高校生の女の子がこれに似たフレームをカワイイと評価してくれました。歴史の転換点を目の当たりにし、衝撃を受けました。

ちょうど2・3日前に、ギークシックという言葉を聞きました。その時は知らなくて、調べたらまあそういうことらしいです。メガネに限ってですが、ギークが仮想的な古のイメージとしてあるのではなく、現実から要素を得ているのが面白いです。

テレビ露出の多い政治家さんはオシャレに気をつかっています。気がつけば細長いメガネからウェリントンやボストン型のセルのコンビフレームの方が増えました。このタイミングで、若い人が逆に天地浅めで細長いメガネになっていくという。いまも細長いのは、パッと思いつくのは岸田総理ですね。

ただ戻るだけなんでしょうけど、別に戻ったっていいわけで。3歩進んで2歩下がるくらいがちょうどいいかもしれないわけで。それに単純に戻っただけということでも無さそうなのは、細長くてカクカクのメガネがシャープでカッコいい評価と共存するかたちで、カワイイと評価されるようになったことに表れています。

ちなみに今回は、バーベキューの翌日に視界が曇るということで、割と典型的な熱クラックによる視界不良でした。それでレンズ交換をする際についでに載せました。

フレームがチタンで硬いので、踏んだりするとネジが曲がります。本来はネジ頭が正方形で、パーツにすっぽり収まる特殊なネジでした。泣く泣く交換しました。

ラッキーなことに(メーカーさんが交換を見越して、店でメンテしやすくする為にネジ頭の幅を合わせているのかもしれません)汎用品の六角ネジの横幅とぴったり一致したので、あまり美観を損なうことなく交換できています。

後半の土日月は休みます
営業案内

24.05.01

決定が遅れました。すみません。

4(土)・5(日)・6日(月)と休みます。明日は定休で、5月3日(金)は営業します。

これは普通の改造
無垢のメガネ(925silver,サンプラチナ,木)

24.05.01

銀無垢のカットリムフレームの改造でした。はじめての試みなので、何だかんだ切断するのは緊張しますね。

フロントの重みにくらべてテンプル先が細くて、やや滑りやすいです。今回は先セルがさせるように改造しました。先端を切り落とし、先を丸めて棒状に整えて先セルをさしています。

切った分を補うべく、テンプル全長を伸ばすタイプの先セルが存在します。その先セルだと、足されすぎで全長150ミリになりました。それは長過ぎるのでカットします。一番下の写真は先セル部分を5ミリ切断し、形を整えて磨いていた状態です。

せっかくの銀無垢ですしクリアの先セルで、中が全体にならって黒ずんでいくのも良いかなと思いまして。軽快でカッコいいです。

鼻パッドもテンプルエンドも銀無垢でゴツくていかつくてカッコいいということをずっとやってきました。先ほど軽快と書きましたが、逆に鼻パッドも先セルもクリアにするだけで、軽やかで爽やかに見えます。

雑記2
雑記

24.04.28

正義と悪のシンプルな対立の時代は終わりました。正義とされる側には対話派と武力行使派で対立があり、悪とされる側も破壊を好むものとそれに無理やり付き合わされる者の隔たりがあり、他にもあれこれあって、そもそも正義と悪の各々の構造が複雑です。そうすると正義と悪の対立がシンプルではなくなり、正義が悪をやっつけることも、それって善だっけ?みたいに思えてきます。そして正義とは?悪とは?と考えてしまいます。

わんだふるぷりきゅあ!の話です。私の時代は、正義は紛れもなく正義、悪は紛うことなき悪で、正義が勝つ!ドカーン!!みたいな感じだったんですけど。

特にわんだふるは、主人公ペアが白魔道士タイプなのが驚きでした。時代が変わっていることをとても感じます。

雑記
雑記

24.04.28

推すという言い回しが定着した気がしますが、その代わり例えばファンという言い方が減少気味になってきたなぁと、撮り貯めた番組を観ながら思いました。

とくべつ「日本語の乱れが〜」とか言うタイプでも無いので、そういう表現もあるのか面白いなあと思っていたくらいの感じだったんですけどね。ファンとか表現することが減ったなぁということで、とりあえず推しの増加ファンの減少と仮定したときに、推しとファンで何が違うんだろうなと。言い回しだけなんですかね。

とりあえず、“ファン”を検索しようとしたら、いきなり予測検索で《ファン 好き 違い》が出てきました。恋愛系の甘酸っぱい回答がたくさんあって、なかなか良いです。てっきり好き=ファンと思っていましたが、そこにも微妙なズレがあるようです。確かにそうだ。

ファンの語源は、どうやらfanatic(熱狂的な)らしく、語源からすれば好きの延長上にファンがあるような気もします。でも好きになった人がいて、付き合ってファンになった結果としての結婚ということでも無いので、好きの領域内にファンはありそうですが、直線上では無さそうですね。ここでは好き≒ファンくらいの認識にしておきます。

好き過ぎると狂ってしまうわけで、まさに熱狂するわけなんですけど、好きというのは主体が取り込まれちゃう感覚があります。主体の変容ということで、自分も変わって相手も変わってハッピーなら最高なんですけど、パクッとまるごと相手に取り込まれて骨抜きのメロメロということもありえますよね。好きはそんなイメージがあります。

推すという言い回しを自分がしないものですからあれなんですけど、これもまず検索です。

これも面白くて《推し 好き 違い》がすぐに予測で出ます。しかも、私は検索トップにタウンワークの2023年9月18日の記事が出てきました。題名は『推しと好きの違いは?恋愛感情はあるの?恋愛カウンセラーに相談してみた。』で、これも甘酸っぱい系です。

そこでの推しは『見返りを求めず、応援したい感情』で、好きは『相手と特別な関係になりたい感情』とあります。詳しくはそこを読んで頂くとして、推しを使わない人間なりに予測していた推しのイメージにぼちぼちあっていました。なのでとりあえずこれを採用します。

そうなりますと推すというのは、けっこう断絶していますね。繋がっていないため、こちら側が取り込まれることも無いですし、自分が変わることで相手も変わって欲しいみたいな期待も生まれないですし。そんなにドライに皆さん推しているんですかね。自分は全く不変、そういうことでも無さそうに見えます。言葉はドライな要素を含むのですが、推し活と言われるほどに活況ということを鑑みますと、なにか推しを理解するのに足りていないことに気づきます。

本当は見返りが欲しい、それはふつうのことだと思うんですけど、そうだとしてその見返りとは何なのか。何なんでしょうね。自分の店に当てはめると、けっこう考えちゃいますね。

 

ご案内
営業案内

24.04.26

ゴールデンウィーク前半は通常通り営業です。

後半は今のところ5月5日(日)が休み確定です。ひょっとするともう少し休む日が増えるかもです。

 

ちょうど本日お問い合わせ頂いたので。銀無垢のサーモントですが、ちょっと魔改造中なのでいまは店頭にないです。また戻ってきたらここに載せます。他の銀無垢等はあります。

良いんじゃないでしょうか
ヴィンテージのメガネ

24.04.26

ローリフレクション系のコーティングの仕上がりを見たことがないので、実験も兼ねて。

どの方向からもレンズの色が緑と分かるように、反射で色が飛ばないようにという狙いもありました。レイバンカラーのG15でこんな感じです。

4月24日(水)も休みます
営業案内

24.04.23

子どもの熱が下がらなかったので、明日4月24日(水)も休みます。

明日4月23日(火)は休みます
営業案内

24.04.22

4月23日(火)は休みます。

_170831bk

pageTopLink