またまた映画の話。『帝一の國』観ました。
面白いなーという感想だけで終われるかと思いきや、いきなり本質突いてくるので焦ります。
菅田将暉と永野芽郁のシーンで、
「帝一くんは、何で生徒会長になりたいの?」
「総理大臣になりたいから」
「なんで総理大臣になりたいの?」
「自分の国を作りたいから」
「なんで自分の国を作りたいの?」
「…。」
「わたしは帝一くんのピアノが聴きたい」
たしか、こんな様なやりとりです。あれこれ忘れているので、多少「」内の言葉は違うと思いますが、トヨタ式の5whyみたいなものを行い、手段と目的がすり替わったことに気付かせるシーンがありました。
つい、手段は目的になりがちです。永野芽郁がつぶらな瞳で直球を投げ込んでくるのでビビりましたが、現実、コロナの影響でまずは店としては存続することが目的になってしまったとは雖も、でも、やっぱり店は手段であって、生き残りの模索の途中でも、つまり何のために生き残るんだっけ?みたいな目的が問われるのは予想がつきます。
そこで、ブルバキで言うところのそれら目的とは何だ?みたいなものが急に頭をもたげてきて、途中から笑って観れなくなりました。せっかくの休業なので、考え直してみます。
(営業再開まで、あと(未定)日)