昨日のテレビフレームについて。
おそらく、ご説明の順番としましては
・やらないとか言いつつ、結局セルフレームに手を出した経緯
・テレビフレームの狙い
・商品の詳細説明(なんでイギリスか、なんでヴィンテージアセテートか等)
だと思います。上から順番にいきます。
おいブルバキ、結局セルフレーム作ってんじゃん!
というお叱りについて、はいその通りです。もはやヴィンテージ&シルバー眼鏡のブルバキでは無いですね。ヴィンテージ&シルバー&SPM &セルのオリジナル眼鏡ほか大体全部ということで、ほぼ手を出しています。タピオカやりつつカキ氷もやって、さらに食パンもやるみたいな感じです。
経緯としましては、昨年の夏に遡ります。まだ、新栄から名駅まで歩いて帰っていたときのことです。栄のトップカメラ周辺の交差点で、ベンツが信号待ちをしていました。私は車には詳しくないので、車種は分かりません、ただベンツとだけ認識しております。セダンです。名古屋の栄ですと、特に珍しくもありません。私も、いつも通り眺めていたと思います。ただ、ちょうどその頃はデザイン云々が個人的に引っかかっていた時代でして、直近で外車のデザインの連続性とその滑らかさについて話をした後でしたから、妙に気になって眺めていました。
いつもよりじっくりと観察していますと、突然ワッと感動したことがあったんです。それは、後ろの去り姿がめちゃくちゃ美しいということでした。その後、何台も何台も名古屋駅まで歩きながら比較したので間違い無いはずです、あれこれの車よりも後ろが美しいです。どう美しいか?それは空気の動きではないかなと、何となく感じました。
実際に空気の動きを観測した訳ではありません。ただ、ボディが反射する街路灯の光が、車が移動するにつれてニュルニュルニュルーっと、滑かにボディを伝ってテールランプまで移動します。夜が粘度を増して、ベッタリと纏わりついたようでした。それで、ボディがキラキラでトロトロと水気があるように見えたんです。乗っている自分は確認できない、一切を観測者に差し出した、一つ上の美しい水々しさみたいな感じで、それがとても豊かでいいなと思いました。また、そこを配慮してるんだなと。そして、そういう眼鏡が欲しいなと強く感じた訳です。それは同時に眼鏡で実現できるのか?という問いの発生でもあります。
この、ベンツにゅるにゅる観測事件前から、作ってみたいセルフレームが実は存在していました。ただ、なぜブルバキのセルフレーム一発目がそれなのかとか、ビスポークとかなんとか、かっこいい響きが巷で耳に入るような時代に、個々人に対してオーダーメイドの楽しさを取り去った挙句に、このフレームを買っていただくことへの意味はあるのか無いのかみたいな懊悩とか、あとはセルは皆んなやってるから、うちはやらないっすねーみたいな事をカッコつけて喋った後だなぁという後悔とか、色々混ざり合って億劫になっていた訳です。
その悩みは、ベンツにゅるにゅる観測事件が全て解決してくれました。解決と言いますか、積極的な無視です。それというのも、作りたいなとキープしていたフレームと、そのにゅるにゅるの美しさが似ていたからです。まさにこれだ!となったからには、止めるわけにはいきません。
これほど前述でベンツ後ろ!とか書いといて、元ネタのバックショットがアルバムに無い…。ということで横の写真です。テレビジョンカットのフレームなんですけど、リムの外も削りを入れて、尚且つテンプルに向けて、平面では無く曲面で滑かに収束させております。そして、この元ネタの残念なところは、テンプルが元々の物では無くて、USSかなんかを無理やり駒を広げて差し込んでいます。フロントの収束を受けて、テンプルをどう処理したら気持ちの良い流れを作れるのか?元ネタに、それの答えはありません。ベンツで言えば、終端にはテールランプがあって、怪しく艶めかしく光っているわけですが、それをメガネに置き換えるにはどうしたら良いのか、これが気になって気になって仕方が無かったのです。何故私があのベンツのにゅるにゅるを美しいと感じたのか、またあのにゅるにゅるを元ネタとなるフレームに見出したのか、理由は分かりません。好きに理由は無いというのがこの世界には公理として存在していますから。であれば、このメガネを再編成しながら作ったときに、言葉では表現出来ない、だけど判った!というより何となく掴めた!くらいの感覚が得られるのか、そしてその物は、眼鏡として、まだちゃんとカッコいいのか、そこを迷いが介在する隙もなく、確かめたいと思いました。そしてそれには、しっかりと体積が稼げて曲面の表現が上手くできるセルを用いないと不可能な為、セルにも手を出した次第です。
本当は制作に関して、1回目のサンプル完成の後に色々また煩悶がありましたが、それはブログでは割愛します。因みにスペインで解決出来ました。
石像の股間の布の彫刻、アジア人が息でフーフーしがち事例というのがありまして、それに対してのスペイン人ガイドの回答のお陰で悩みから立ち直れました。それを単なる不敬と捉えず、彫刻の素晴らしさと基本観察ポイントそのものという転換をして分かりやすく解説してくださったお陰で、その後の自由行動でプラド美術館でお腹いっぱい彫刻を見てあれこれの差を学ぶことが出来、克服しました。それは店頭で時間があれば。
テレビフレームのねらい
まずは前述の感動を再現してみたいということ。あと強いて言えばですね、テレビジョンフレームがあんまりヴィンテージで出てこないから作りたいというのが挙げられます。
仕入れの値段で、例えば40年代50年代のフレームより、よっぽど高かったりします。この辺が、ヨーロッパと日本の価値観の違いでしょうね。出数が少ない中で特にしっくりくる物となると一層少なくなりますから、それも作った理由です。セルのフレームで、サーファー感の少ない、ダンディでコートとかにも合うサングラスを作りたいとかも考えていたかもです。この前の、ゴダールの勝手にしやがれでも、やっぱり男女問わずダンディ系のサングラスって良いなあって思いましたしね。そういうのが好きなんです。
詳細
長くなりすぎたので、詳細といいつつパパッと。
何でイギリスで製作したのか。それも色々あったんですけど、そもそもコレは海外で作ってみたいというのは念頭にありました。作ってみたいと言いますか、海外でしか、あの流動体のようなフレームは難しいかなと。立体の把握の仕方が、日本と他所とで大きく違うことが最大の理由です。ミクロな部分の精緻さをキープしながら全体に拡大していくのと、マクロの全体の雰囲気をキープしながら、ミクロを細かくチューニングしていくのと、そういう違いを感じております。今回のケースでは、絶対に全体の雰囲気を保持しないと崩れてしまうと感じて、外で作れないかなと思っていたらそういえば…というのでイギリスに決まりました。フランスの手があれば、フランスだったかもしれません。
サンプルを2回制作し、特に1回目のサンプルは、フレームの半分を原形の無いほど削って送り返しておりまして、こうだよこうっ!と、相当に修正の指示をしました。おそらくファ××ンジャ×プと思われたに違いありません。
ヴィンテージアセテートの使用については、独特の軽やかさが出るかなと。それが一番です。柄の入り方とか色味とか光沢とか、やっぱり違いがありまして、元ネタに近づくかなと考えて採用しました。各カラー、一本ずつしかフレームとして取れないというのも魅力なんですけどね。
また、フレームの形そのものも、個人的には変わらず好きだと言えるであろう代物でしたから、継続性にフォーカスも当てていまして、全体の半分は現行の生地で制作しております。それも予想を越えて良いです。やや柄の入り方が曖昧で、ヴィンテージに近い雰囲気はしっかり出ています。納得感はありました。言い換えるとこれも良いよね感です。
正面は、ブラウン管テレビっぽくなるように削りこみを入れる一方で、裏はテンプルにかけて収束するように、また、リムの上下は斜めに削ってテンプル終端に向けて目線の移動を促すようにしております。斜めに削り過ぎると、リムの薬研が露出しますから、そういう内と外から二方向の削りはやりたく無いんでしょうけど、ここを強く指摘しギリギリまで攻めさせました。おそらくこのときにフ×ッキ×ジ×ップと思われているかなと。でももう、作りたいが勝ってしまい、ここは譲れずワガママを一発かましました。本当に少量で大変なことをさせてしまったと萎縮しつつ、でもお陰さまでいい感じだなとほっこりです。
ちなみに、8ミリ生地です。リムに削りを入れてボリュームダウンしているので、重厚感のある迫力があるのに、軽やかさも出てます。生地が厚いことの良さとはそういう事だと思っていまして、厚い生地でレンズをくり抜いてそれで終わりというのは、なんだか流行りのステーキと同じです。厚ければ厚いほど美味いみたいな。それも美味いけど、いま私が敢えてでもやるべきは、8ミリという幅、体積を、どれほどダイナミックに手を加えたか、そのままでは重たい印象の物に、どれだけ軽やかになるような、反対の印象を付け加えることが出来たか、おそらくそういうことでして、それを大事にしてみました。
その甲斐もあり、テレビフレームは基本的に濃い色のレンズから瞳が透けて見えないようにするのが常套手段だったりしますが、真正面から捉えると大人しい四角いメガネに見えます。よって、色無しでもカッコよく着用出来ます。それは予期せぬ成果でしたね。
インスタで、湾岸戦争くらいの米兵のメガネっぽいというコメントを頂いていましたが、本当にそうだと思います。そうも見える、そうで無い見方も沢山ある、つまりお得です。
いざ出来上がってみると、まだ何かベンツのにゅるにゅるに近づくためにやれることがあると感じます。感じるだけで、具体的にはどこをどうすると、頭に浮かばないので、それは完成したということだと思います。ぜひぜひご覧下さい。