カテゴリー:メガネのはなし

テレビフレームについて
メガネのはなし

19.07.31

昨日のテレビフレームについて。

おそらく、ご説明の順番としましては

・やらないとか言いつつ、結局セルフレームに手を出した経緯

・テレビフレームの狙い

・商品の詳細説明(なんでイギリスか、なんでヴィンテージアセテートか等)

だと思います。上から順番にいきます。

おいブルバキ、結局セルフレーム作ってんじゃん!

というお叱りについて、はいその通りです。もはやヴィンテージ&シルバー眼鏡のブルバキでは無いですね。ヴィンテージ&シルバー&SPM &セルのオリジナル眼鏡ほか大体全部ということで、ほぼ手を出しています。タピオカやりつつカキ氷もやって、さらに食パンもやるみたいな感じです。

経緯としましては、昨年の夏に遡ります。まだ、新栄から名駅まで歩いて帰っていたときのことです。栄のトップカメラ周辺の交差点で、ベンツが信号待ちをしていました。私は車には詳しくないので、車種は分かりません、ただベンツとだけ認識しております。セダンです。名古屋の栄ですと、特に珍しくもありません。私も、いつも通り眺めていたと思います。ただ、ちょうどその頃はデザイン云々が個人的に引っかかっていた時代でして、直近で外車のデザインの連続性とその滑らかさについて話をした後でしたから、妙に気になって眺めていました。

いつもよりじっくりと観察していますと、突然ワッと感動したことがあったんです。それは、後ろの去り姿がめちゃくちゃ美しいということでした。その後、何台も何台も名古屋駅まで歩きながら比較したので間違い無いはずです、あれこれの車よりも後ろが美しいです。どう美しいか?それは空気の動きではないかなと、何となく感じました。

実際に空気の動きを観測した訳ではありません。ただ、ボディが反射する街路灯の光が、車が移動するにつれてニュルニュルニュルーっと、滑かにボディを伝ってテールランプまで移動します。夜が粘度を増して、ベッタリと纏わりついたようでした。それで、ボディがキラキラでトロトロと水気があるように見えたんです。乗っている自分は確認できない、一切を観測者に差し出した、一つ上の美しい水々しさみたいな感じで、それがとても豊かでいいなと思いました。また、そこを配慮してるんだなと。そして、そういう眼鏡が欲しいなと強く感じた訳です。それは同時に眼鏡で実現できるのか?という問いの発生でもあります。

この、ベンツにゅるにゅる観測事件前から、作ってみたいセルフレームが実は存在していました。ただ、なぜブルバキのセルフレーム一発目がそれなのかとか、ビスポークとかなんとか、かっこいい響きが巷で耳に入るような時代に、個々人に対してオーダーメイドの楽しさを取り去った挙句に、このフレームを買っていただくことへの意味はあるのか無いのかみたいな懊悩とか、あとはセルは皆んなやってるから、うちはやらないっすねーみたいな事をカッコつけて喋った後だなぁという後悔とか、色々混ざり合って億劫になっていた訳です。

その悩みは、ベンツにゅるにゅる観測事件が全て解決してくれました。解決と言いますか、積極的な無視です。それというのも、作りたいなとキープしていたフレームと、そのにゅるにゅるの美しさが似ていたからです。まさにこれだ!となったからには、止めるわけにはいきません。

これほど前述でベンツ後ろ!とか書いといて、元ネタのバックショットがアルバムに無い…。ということで横の写真です。テレビジョンカットのフレームなんですけど、リムの外も削りを入れて、尚且つテンプルに向けて、平面では無く曲面で滑かに収束させております。そして、この元ネタの残念なところは、テンプルが元々の物では無くて、USSかなんかを無理やり駒を広げて差し込んでいます。フロントの収束を受けて、テンプルをどう処理したら気持ちの良い流れを作れるのか?元ネタに、それの答えはありません。ベンツで言えば、終端にはテールランプがあって、怪しく艶めかしく光っているわけですが、それをメガネに置き換えるにはどうしたら良いのか、これが気になって気になって仕方が無かったのです。何故私があのベンツのにゅるにゅるを美しいと感じたのか、またあのにゅるにゅるを元ネタとなるフレームに見出したのか、理由は分かりません。好きに理由は無いというのがこの世界には公理として存在していますから。であれば、このメガネを再編成しながら作ったときに、言葉では表現出来ない、だけど判った!というより何となく掴めた!くらいの感覚が得られるのか、そしてその物は、眼鏡として、まだちゃんとカッコいいのか、そこを迷いが介在する隙もなく、確かめたいと思いました。そしてそれには、しっかりと体積が稼げて曲面の表現が上手くできるセルを用いないと不可能な為、セルにも手を出した次第です。

本当は制作に関して、1回目のサンプル完成の後に色々また煩悶がありましたが、それはブログでは割愛します。因みにスペインで解決出来ました。

石像の股間の布の彫刻、アジア人が息でフーフーしがち事例というのがありまして、それに対してのスペイン人ガイドの回答のお陰で悩みから立ち直れました。それを単なる不敬と捉えず、彫刻の素晴らしさと基本観察ポイントそのものという転換をして分かりやすく解説してくださったお陰で、その後の自由行動でプラド美術館でお腹いっぱい彫刻を見てあれこれの差を学ぶことが出来、克服しました。それは店頭で時間があれば。

テレビフレームのねらい

まずは前述の感動を再現してみたいということ。あと強いて言えばですね、テレビジョンフレームがあんまりヴィンテージで出てこないから作りたいというのが挙げられます。

仕入れの値段で、例えば40年代50年代のフレームより、よっぽど高かったりします。この辺が、ヨーロッパと日本の価値観の違いでしょうね。出数が少ない中で特にしっくりくる物となると一層少なくなりますから、それも作った理由です。セルのフレームで、サーファー感の少ない、ダンディでコートとかにも合うサングラスを作りたいとかも考えていたかもです。この前の、ゴダールの勝手にしやがれでも、やっぱり男女問わずダンディ系のサングラスって良いなあって思いましたしね。そういうのが好きなんです。

詳細

長くなりすぎたので、詳細といいつつパパッと。

何でイギリスで製作したのか。それも色々あったんですけど、そもそもコレは海外で作ってみたいというのは念頭にありました。作ってみたいと言いますか、海外でしか、あの流動体のようなフレームは難しいかなと。立体の把握の仕方が、日本と他所とで大きく違うことが最大の理由です。ミクロな部分の精緻さをキープしながら全体に拡大していくのと、マクロの全体の雰囲気をキープしながら、ミクロを細かくチューニングしていくのと、そういう違いを感じております。今回のケースでは、絶対に全体の雰囲気を保持しないと崩れてしまうと感じて、外で作れないかなと思っていたらそういえば…というのでイギリスに決まりました。フランスの手があれば、フランスだったかもしれません。

サンプルを2回制作し、特に1回目のサンプルは、フレームの半分を原形の無いほど削って送り返しておりまして、こうだよこうっ!と、相当に修正の指示をしました。おそらくファ××ンジャ×プと思われたに違いありません。

ヴィンテージアセテートの使用については、独特の軽やかさが出るかなと。それが一番です。柄の入り方とか色味とか光沢とか、やっぱり違いがありまして、元ネタに近づくかなと考えて採用しました。各カラー、一本ずつしかフレームとして取れないというのも魅力なんですけどね。

また、フレームの形そのものも、個人的には変わらず好きだと言えるであろう代物でしたから、継続性にフォーカスも当てていまして、全体の半分は現行の生地で制作しております。それも予想を越えて良いです。やや柄の入り方が曖昧で、ヴィンテージに近い雰囲気はしっかり出ています。納得感はありました。言い換えるとこれも良いよね感です。

正面は、ブラウン管テレビっぽくなるように削りこみを入れる一方で、裏はテンプルにかけて収束するように、また、リムの上下は斜めに削ってテンプル終端に向けて目線の移動を促すようにしております。斜めに削り過ぎると、リムの薬研が露出しますから、そういう内と外から二方向の削りはやりたく無いんでしょうけど、ここを強く指摘しギリギリまで攻めさせました。おそらくこのときにフ×ッキ×ジ×ップと思われているかなと。でももう、作りたいが勝ってしまい、ここは譲れずワガママを一発かましました。本当に少量で大変なことをさせてしまったと萎縮しつつ、でもお陰さまでいい感じだなとほっこりです。

ちなみに、8ミリ生地です。リムに削りを入れてボリュームダウンしているので、重厚感のある迫力があるのに、軽やかさも出てます。生地が厚いことの良さとはそういう事だと思っていまして、厚い生地でレンズをくり抜いてそれで終わりというのは、なんだか流行りのステーキと同じです。厚ければ厚いほど美味いみたいな。それも美味いけど、いま私が敢えてでもやるべきは、8ミリという幅、体積を、どれほどダイナミックに手を加えたか、そのままでは重たい印象の物に、どれだけ軽やかになるような、反対の印象を付け加えることが出来たか、おそらくそういうことでして、それを大事にしてみました。

その甲斐もあり、テレビフレームは基本的に濃い色のレンズから瞳が透けて見えないようにするのが常套手段だったりしますが、真正面から捉えると大人しい四角いメガネに見えます。よって、色無しでもカッコよく着用出来ます。それは予期せぬ成果でしたね。

インスタで、湾岸戦争くらいの米兵のメガネっぽいというコメントを頂いていましたが、本当にそうだと思います。そうも見える、そうで無い見方も沢山ある、つまりお得です。

いざ出来上がってみると、まだ何かベンツのにゅるにゅるに近づくためにやれることがあると感じます。感じるだけで、具体的にはどこをどうすると、頭に浮かばないので、それは完成したということだと思います。ぜひぜひご覧下さい。

明日ちゃんとします
メガネのはなし

19.07.30

また本棚が増えて、店の配置を変えていて時間が無かったのと、iPadの充電が無いので、明日ちゃんと詳細書きます。とりあえず、興奮だけ先にお伝えしておきます。

テレビジョンカット、作ってしまいました。昨年の9月から話を進めていましたので、ほぼ一年かかってしまいました。

先に、70年〜80年代の、ヴィンテージアセテートを使用したタイプが届きました。鯖江ではなくて、イギリスから。この辺のことも、明日書きます。ヴィンテージアセテートじゃなくても良かったのかもしれませんが、仕上がりからしますと、やっぱりなんか違いますね。良かった、非常に。柄の風合いだと思いますが、軽い感じが上手く出ました。

ヴィンテージアセテートを使用したフレームは、面積が稼げなくて各一本ずつの生産です。売れたら終わりです。形はやめないつもりですけど、それは売れ行き次第でしょうね。自分は、使いたい欲求をグッと我慢して、現行品のアセテートを用いたフレームを使用する予定です。夏の本番に間に合ったと、物凄くベタな表現をここで差し込んでみます。

インスタとブログのこれは、ヴィンテージアセテートを使用しております。インスタのは、フランスっぽい赤の亀の感じです。

たまには
メガネのはなし

19.07.22

たまには、ヴィンテージの裏を取る努力も頑張っていますよアピールをします。あんまりその辺を書かないので、雰囲気で適度にやっていると思われてもあれなんで。

それというのも多分、ブルバキが頑張らなくても、他の店や、はたまた個人であれこれ調べてフレームの様々を分析してブログなり何なりを書かれていると思うので、私としてはそこに時間を割くのをやめています。もはや見て分かることは、大体検索すれば詳細も分かりますからね。情報社会と呼ばれて久しくて、つまりそれは、情報に価値があるというよりも情報は減価を免れないということなんでしょうね。そんなこと考えていますと、ブログに書くことが無いなあと思いつつ、なんだかんだで3年で85×10ページも書いています。昨日はメガネだけで3件も。自分のブログのページスクロールみて、引きました。ページスクロール85は、中々気持ち悪いですね。

(眼鏡フレーム キクチ眼鏡専門学校 戸村憲造著 出版年不明 p.53)

数学で学んだことは何だ、みたいなことをよく聞かれます。数学科卒が眼鏡屋をやっていることが不思議なんでしょうけど、それは皆んなも大体そうだと思いますよ。仕事とダイレクトに結びつくのは稀だと思われます。

そんな思いを秘めつつ、聞かれてよくお伝えするのは、立ち止まったら定義に還るということですね。これはお陰様で染み付いています。常に一本の鎖をイメージするわけです。進まないときは、その発端に戻ります。高校までの数学は、どちらかと言えば数学というよりパズルなんでしょうけど、大学はひたすらそれを言われた記憶がありまして、むしろそれしか頭に残っていないです。

ということで、暇があると我々にとっての定義的存在である、認定眼鏡士の教科書を眺めるわけなんですけど、見る度に、めっちゃ凄いことがサラサラーっと書かれていて驚きます。もちろん教科書ですから、参考文献もあげてありますし、全て裏を取っているのでしょう。

話は変わりまして、日本の古いフレームは未だ、めちゃくちゃ面白い余地が残されております。例えば40‘sフランスみたいに、年代をまるっとブランド化するということを施されていませんから、カテゴリーで検索することが難しく(例えばフレンチヴィンテージ的な)、また品名やブランド名が80年代に入るまで記載されていないことも多々で、特定のフレームを指して探すことが困難です。つまり偶然出くわす、たまたま掘り出すという楽しみがまだまだ残されています。

その時に、写真のアレが活躍してくれるわけです。

習作
メガネのはなし

19.06.11

サイズ変更49→46ミリ。元のゴルチエは、枠がつり上がっているのに対して、レンズの耳側をタレ目っぽくして、印象のバランスをとっています。怖すぎず、柔らかすぎず。フルリムでこの形を再現するのであれば、角度を起こして、やや怒り目にしても良いかもしれません。

銀無垢の玉型変更の予定です。確かに、元のボストンは、ほぼ丸に近いです。記憶が確かであれば、FUL-VUEの玉型は、この丸に近いボストン型だった気がします。

縦を潰した方が、掛けたときの抜け感は少なくなって、仕事でも何でもいけそうな雰囲気は出そうです。

かれこれ6年くらい
メガネのはなし

19.06.08

自分用です。かれこれ6年くらい使っています。サラリーマンの時から。いくら業界で内勤とはいえ、このメガネはサラリーマンとしてどうなんだ?みたいなことは裏で思われていたかもしれませんが、挫けずに掛けていました。

度数を変えたので、今までのメガネも全部使えなくなり、資金面もあるので少しづつレンズ交換です。度付きの場合は、これがネックですよね。プリズム入れたらより一層。

経年変化と使用感をお伝えしなくてはいけませんから、銀無垢2本は真っ先に変えています。ヴィンテージはようやく変えられました。どれから変えるか色々迷いましたけど、これが一番好きかもしれませんね。ということで、マロンの25%全面染色にて交換です。もちろん、シルバーミラーかけています。

そういえば、デザインが過ぎる物はすぐ飽きる説がありますが、あれはいつ頃から言われるようになったんですかね。逆に、シンプルだと飽きないというのもいつからか。チープシックが死語になっている現状を眺めますと、どっちも一緒な気がします。あんなにシンプルな概念なのに。

ちょっと前に、zozoの社長さんが「どんなモチベーションで働いたらいいの?」という質問に「それはあなた次第ですよ」みたいな返事をしていたと聞きました。そのときに、確かにそうだなと、そして今回の飽きる飽きない、派手は飽きやすくてシンプルは飽きにくい説のことを考えました。似たようなものを感じます。ただ、飽きやすさは性格の違いの話であって善悪の話ではありませんから、最終楽しければどっちでも良いかなという考えに至りました。

ハイテク
メガネのはなし

19.04.09

サングラスから、度なしの伊達メガネに変更しました。日本未発売、BOSEのサングラスです。テンプル裏、真ん中あたりにスピーカーがあります。お客さんに試させて頂きましたが、密閉式では無いのにこんなに音が良いのかと、感動します。

フロント内部に配線が通っています。お陰でクリングスの取り付けが出来ずです。テンプルエンドの添わせも日本向けではなく、耳の後ろで摩擦が得られず下がり易いです。曲げが不可なのでピタリングで対処です。

形状に無理がなく、全体としてカッコいいので驚きです。


メガネを乗せるために
メガネのはなし

19.01.09

お持ち込みのメガネ。実は、いきなりパーツを交換しています。トップの画像の先セル(耳に掛かる部分)は、純正品ではありません。汎用品です。テンプルの細さは1.0ミリφで、先セルの交換品が、一般に手に入ります。どのメガネ屋さんでも大概です。それよりも細いと難しいかも。

なぜ交換したか、それは見て一発でメガネが止まりにくいと分かるからです。

元のパーツと比較します。袋の中が正規パーツですが、金属に触れない様に、同じ太さで被せてあるタイプの先セルでした。メガネは、圧迫ではなく摩擦で頭部に保持されています。先セルが細ければ、頭部後ろで摩擦が生じず、メガネはズルズルと下がります。耳の後ろにピッタリと沿わせた場合、重みが全て耳に掛かるので、痛くなるかもしれません。

クリアブラウンで、たまたま供給品がやや細めの先セルでしたから、元のイメージを崩さずに交換出来たと思います。今のメガネですと、結構このような先セルが細いパターンも多いはずです。

鼻盛りの問い合わせをたくさん頂きますが、メガネは鼻だけで乗っているわけではありません。メガネが下がって困っている方は、耳の部分を観察してみるといいかもしれません。

模様について
メガネのはなし

18.11.26

この前の古書市にて。

この本に関しては、古かろうが新しかろうが、私にとってはあんまり関係ないかもしれません。模様について、ずっと追い続けていないので。

会場に雑多に置いてあって、たまたま目に入り、買いました。1968年の本です。本当に、日本の模様についてだけ書いてあります。

 

これに関連して、無垢のメガネに対し、彫金を入れて販売したケースは少ないです。一番のネックは価格だと思います。そもそも彫金という言葉が界隈で乱用されていますが、辞書的な意味では手彫りのみを指しています。一般に出回っているメガネは、基本、彫金風のプレス模様です。近い例ですと、鼈甲と鼈甲柄のセルが挙げられます。もし本鼈甲なら桁が一つ違います。手彫りもそんな感じです。どの分野でも、なんでもそうなんでしょうけど、日本人が頑張って一つ一つ面倒見始めたら、ああいう価格帯では難しいです。

 

カッコいい・カッコよくない、そういう観点で捉えようとしますと、おそらく彫らない方がカッコいいです。プレーンが程よいです。

好きなもの、好きな服、好きなメガネ等々を訊ねると、多くの方が「シンプルなもの」という返答をします。シンプルという言葉は素朴さと結びついており、何もない素朴が一番カッコいい時代であることは確かだと思われます。

そういう時代ですから、敢えて高いお金を払ってまで、時代にそぐわないカッコ悪さを手に入れるような行為をするということが、稀有なのは仕方がないことでしょうね。ただ、カッコいい・カッコ良くないだけでは物足りない気がするのは、何となく皆さまも同じだと思っています。

臭うメガネの最期
メガネのはなし

18.11.20

ペルソールが劣化で臭い始めたので、芳ばしさが出てからの耐久性を調べるために、折角なので自分で使ってみるとブログで書いた記憶があります。確か夏頃。

その結果が出ました。お店の床に落とした時に、リム切れしました。落としたことによる故障としては、初めて遭遇しました。かなりレンズは小さくしておりましたが、まさかの結末でした。

実際、結露が出るのはリムの眉部分でしたし、元々ペルソールのセルに不純物が多いのか、初めから気泡みたいなものはリム中に散見できたので、臭い始めた=重篤に痛んでいると、今回の検体では結論付けにくかったりします。

いずれにしましても、臭いです。そしてやはり耐久性に疑問が残ります。とりあえず今まで通り、臭うフレームは除外して提供致します。

 

amor
メガネのはなし

18.11.05

アモールの切り抜き。詳細な年代が分かるポイントが無いのが残念です。50年〜60年代と推定。

アモールといいますと、だいたい状態が悪くて使えないか、小さすぎて使えないというお決まりのパターンがありまして、誰がこんなに小さいメガネ掛けてたんだろ?と、思っていました。ようやく解決です。アモールジュニアと記載がありました。

メガネを掛けたら成績アップ的な絵がかわいいです。

男女、年齢問わずということは、メガネのスタンダードが此処の時代があったということでしょうね。スタンダードが可変ということは、メガネのスタンダードとは何なんでしょうね。

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