『事物起源辞典 和田健次著 京文社書店 1936年』
先日、一年を締めくくる吹上の骨董市がありまして、例のごとく行ってきました。メガネ以外の古い物を見ないといけないな、という仕事の感覚です。特に骨董市は、年末は気合が入っていますから、私が拾えるようなものが少なかったりします。ただ、清濁合わさった中で、ギラついた目線を掻い潜りながらアレコレ見るのは楽しいです。
凄いものしかないとは言いつつ、基本的には出かければ何かを手にして帰ることを心がけています。あの吹上ホールに、山盛り物があるわけです。そこにまみれて、帰るときに手ぶらだとすれば、見つけれなかった自分の目を疑うようにしています。とりあえず何かあるはず。
その何かというものが2,3年前は、ちまこました民藝品だったり、どっかのお土産だったりしたものですが、いまは買わないことが増えました。昨今は、それらを骨董市にて手にすることが、好手として定石化されつつあります。そうなればもはや、オシャレな雑貨屋さんでかわいらしい物を買うのと、精神の構造は同じです。せっかくの骨董市ですし、そうなっちゃうと途端につまらないと感じる性格ですから、もう少し他の物を見つける努力をしています。何の為か、見失いつつはありますが。
ということで、初めて骨董市にて本を買ってみました。タイトルが良いです。創造主として、世界を掌握した気分になれます。時代的に、やや本気で、それに準ずるような意図があったかもしれません。
インスタにも載せた、眼鏡や眼鏡にまつわるエピソードも載っています。特に、蜻蛉メガネの流行に関しては、ブルバキ所蔵の組合の資料等々にも記載があり、どうやらホントにホントっぽいです。伊達メガネの歴史も中々古いというのは、眼鏡の本質を考える上で大変興味深いことです。
あれからじっくり読んでみて、「日曜日の始」の項目が、かなり衝撃的でした。