ディオールのサングラス。ムッシュとあるので男向けですが、どなたでもいけるデザインだと思います。むしろ、テンプル長135ミリなので、女の子のほうがジャストでしょうね。
この手のオプチル素材のサングラスは、もっと激しく宇宙的なデザインのサングラスが多く、コレクションにはいいけど、実際掛けるのはどうかな、、というものがそこそこあります。これは、これでも?割と控えめです。濃い緑のレンズとか入れたら、面白メガネ感が消えて、カッコいいモードな感じに化けると思います。
旧ロゴ、カッコいいです。
17.09.10
ディオールのサングラス。ムッシュとあるので男向けですが、どなたでもいけるデザインだと思います。むしろ、テンプル長135ミリなので、女の子のほうがジャストでしょうね。
この手のオプチル素材のサングラスは、もっと激しく宇宙的なデザインのサングラスが多く、コレクションにはいいけど、実際掛けるのはどうかな、、というものがそこそこあります。これは、これでも?割と控えめです。濃い緑のレンズとか入れたら、面白メガネ感が消えて、カッコいいモードな感じに化けると思います。
旧ロゴ、カッコいいです。
17.09.09
オープン2日目にして、すみません。今日は13時から開けます。お昼ご飯食べてから来て下さい。
寝坊とかではなくて、以前から続いているあれの所為で、ちょっと遅れます。それか、12時ごろは、掃除しているかもしれません。昨日に告知できず申し訳ございませんでした。何卒、よろしくお願いいたします。
17.09.08
おかげさまで、無事にオープンすることが出来ました。みなさまのおかげです。ありがとうございます。
40日間くらい、自分の本業から離れますとさすがに不安になりますね。毎日まいにち、実質は掃除屋でした。これから徐々にメガネ屋として感覚を戻します。
休業中に思ったのは、ブルバキという名前で良かったということですね。そのようなニュアンスを含む近い名前でも、それはそれで良いですが。結局、私は掃除をしていただけで、後の全ては協力して下さる皆様、もちろんお客さんも含む方々のおかげで形を成すことが出来ました。ブルバキの人格は、私一人の人格と同一視出来る訳では無いということです。
一般的には、そのような場合は責任というものが分散していくのでしょう。逆に、それぞれにそれぞれの想いが込められて、ブルバキという一つの人格が形成されていると考えますと、重みを感じます。ここまで皆さんにして貰ったら、途中で止めるなんて選択肢はあり得ないですからね。
メガネの為の場として、長く続くかどうかはもちろん分かりませんが、長く続かせる為に日々精進します。その為に色々捨てたり諦めてきました。“良いメガネ”の為の場を作ることに専念します。良さの曖昧さが、そのままブルバキの多様性に繋がるのでしょうね。
17.09.07
以前にご連絡致しました通り、明日の9月8日に店を開けます。お待たせいたしました。
検眼と加工に、まだまだ問題が残っているので、プレオープンとします。こちらも以前にお伝えしたことですが、完全に整ってオープンする際は、またこちらでもご報告いたします。
とりあえず、メンテナンスはばっちり出来ます。なので、何かメガネで困っていることがありましたら、相談にお越しください。。お待ちしております。
17.09.04
今週の金曜日に開けます。お待たせしております。ただ、プレオープンです。検眼等々が十分に出来ない状況ですので、完全に整ったときには、整いましたの宣言を致します。豊橋のときにお越し下さった方には、ハガキを送る予定です。9月真ん中〜下旬には整うはずです。
店の様子です。この前買った、ローテーブルです。コロコロ付きです。
ジョー・コロンボを意識したのか、謎のスナップ開閉の棚が3つあります。それでも遠いなあ、本家のカッコ良さから。カラーがダメなのか、白・ベージュ・グレーの配色はイマイチ垢抜けないですし、何を載せてもカッコよくならないですね。そして、この微妙な高さ。使いづらい…。用途が見えない…。
ということで、連れて帰りました。お店の中でもやっぱり浮いています。なんとなく、雑誌を置いていますが、どうなんでしょうね。なんちゃって感も強すぎると、それはそれで個性ですね。
17.08.29
当初の予定ですと、9月1日から開ける予定でしたが。すみません、1週間遅らせます。
せっかく移転するのであれば、検眼等々も含めてバージョンアップして開きたかったのですが、何がいつ届くかも読めない状況ですので、届かなくとも出来る限りの準備をして開けます。しばらくはご不便をおかけすると思います。
週明けには、ホームページの住所表記も変わっていると思います。名古屋の新栄です。大きい交差点のファミリーマートの上です。
17.08.26
ごめんなさい。当初予定の、9月1日からの再始動が難しそうです。9月の1週目か遅くても2週目のどこかになりそうです。
いま、テレビをつけて、24時間テレビのプレイベントを何気なく見て、
「8月も終わるなあ…」
と、しみじみとしていました。…終わったらいかんですね。9月が来ちゃうので。最後の土日でした。ということで、これを書きました。必要な物が届くのを待っている状態です。
17.08.16
ある程度、あれこれ手配はしておりますが、工事待ちだったりと、待機中が積み重なっている状況です。本当に間に合うんかなー。
あとは、エアコンで悩んでいます。まさか、エアコンのことをこんなにも悩むとは思っていなかったです。8月の頭からずっとです。
大手量販店に行き、繁忙期なので待ってようやく見積もりに漕ぎ着けましたが、壁に穴が開けられないとのこと。あとは、アンカーボルトを用意してくださいと。自分で工務店探してくださいとのことで、半分セルフな取り付け工事とは思いませんでした。なので、一旦キャンセルで振り出しです。さすがに、工務店探して別に見積もりして日にち確保して…面倒ですね。もう、無しで店を開けてしまおうか、という気分です。
見積もりのメニューには、穴あけもアンカー打ちもリストにありましたが、名古屋の提携の業者は、電気店であって電気工務店では無かったということなのでしょうか。色々、確かめようかなと思いましたが、やめました。向こうとこっちが、実現するために、さてどうするか?というような会話の形式ではなく、ディベートみたいになりそうなので。メガネで言えば、スリープライスショップの量販店に、眼位測定やらなんやら、両眼視機能検査を求めるのに近いのかなと。妙に自分の中で納得してしまいました。
はじめから、地域のそのビル御用達の電気屋に頼まないといかんですね。他の部屋は丸投げで付いてますからね。什器がさらに買えなくなりますが、しょうがない。それか、エアコン無しで棚買うか。
17.08.12
移転準備中です。どっちにしろ資本も無いので、そんなにやる事ないかなくらいに思っておりましたが、気にし始めると、あれやこれやと様々なやるべきことが出てきております。家具のメンテとか、入るビルが古いので、部屋のメンテとかとか。
高を括って、本をたくさん読めるなと考えておりましたが、全然読めず。1週間動き続け、さすがに疲れたので、この前の古書フェアの本を読んでいます。
「私の念願 柳宗悦著 1942年 不二書房 p.10」
まだ、私の念願の章だけしか読んでいない状態で書いています。その段階で面白いと思ったのは、写真の箇所です。
正にこれは、かなり前のブログでも書きましたが、小林秀雄さんの講演か何かで出てきた言葉に近いです。私は門外漢なので、よく知りませんが、二人に何か接点があるのでしょうか。
“…それで美しさを解する上に、私がとりたいと思うのは、概念から直観へ行く道ではなく、直感から概念に進む道、即ち分析を後にして綜合を先にする道をとりたい。之は現代に最も欠けている点だと言えよう。…”
直観から分析か、分析から直観か。小林秀雄さんの場合は、分析から直観の道を閉ざしていたように思います。柳さんの場合は、読む限りですと、方向に優劣をそこまでつけていない気がします。ただし、どちらが足りないかと言われれば、直観から分析への道ではないか?という感じを受けます。
少なくとも70年前には、このようなことが考えられていたようですね。こういった文章に出会いますと、人間の本質といいますか、そんなような何かは、この100年くらいでは大きく変わっていないのでは無いか?と感じます。
おそらく「最近の若者は…」と、いつの時代も言われます。そして思われます。それは、若者云々というよりも、別のところに問題があるのかもしれません。
ちょっと前まで私は、「理性より感性だ」的な衒いがありました。それを反省しております。そんなに簡単なことでは無いですね。それは、少なくとも70年以上悩ましい問題として考えられているという事が、今回の本で分かったということと、理性より感性を大事に‘すべき’と推すこと自体が、もはや理性的であると気づいたところから感じました。
あんまり考えますと、自爆的にメガネの接客のときに言えることが無くなってしまうので、これ以上はやめておきます。
17.08.02
『モオツァルト・無常という事 小林秀雄著 新潮文庫 p.210』
偶像崇拝の項です。
移転するに当たって、読んでおきたい本が何冊かありまして、取り敢えず小林秀雄さんから。連日の雑巾掛けで身体が痛いので、小休止がてら読書です。
この本もそうですし、最近お客さんと話していてボンヤリと考えていたことと似ているなと、思いましたので書きとめます。
ミクロとか、量子力学の世界になりますと、重ね合わせで存在しているとしか言えない状況に出くわします。例えば光です。粒でもあり、波でもあります。どうもこれが、勉強としては分かりますが、生きた実感としては掴めずにいます。岡潔さん的には、「理解はできるが納得はできない」という状況が正にです。
ですが、写真の部分を読んで、むしろその量子力学的な、片方を読み取ると片方の情報が崩れてしまうようなことの方が、実はスタンダードなのかもしれないなと、思うようになりました。客観というものが、どうも怪しくなってきています。