気がつけば、金の価格が1グラム9,000円を超えていまして、ついに1グラム10,000円を突破しちゃうんでしょうか。凄い時代です。
ファッションの良いところでもあり、権威なき権威ということで、権威に靡かないでちょっとスカしているんじゃないの?というところでもあるんですけど、ゴールドを使えば使うほど物がカッコよくなる訳では無いので、より一層金を使ったメガネの製作から遠ざかるだろうなあという心持ちです。やや残念。何を作りたいか、それが念頭にあって、金の素材の持つイメージとか特性とか見た目がそれに合致する場合は、この値段でも避けずに挑まないといけない素材ではありますけど。確か2年前?に一度金無垢でブリッジパーツを金無垢で作成しました。あの時ですら、めっちゃ高いなあと思い、製作後に金価格が暴落したらどうしようとビクビクしていましたけど、今となってはあの時でも作り時でしたね。
銀無垢のサーモントです。使用8ヶ月ほど。
ブルバキを始めたときから、ヴィンテージのメガネと銀無垢のメガネという二本立てでした。意味の割り振りがありまして、銀無垢には普遍性(普遍だから不変なのか、不変だから普遍なのか。鶏と卵的な問題がここにもあります)という担当を与えていました。それだけだと先程紹介の金も含めた他の貴金属も、不変な輝きを帯びているという性質から、その目的に適う素材ということになるんですけどね。いろいろあって、創業時から銀無垢を推す店になっています。
銀の経年変化となりますと、深みとか重厚感とか渋みとか、色々な表現があると思います。まずそれは煌びやかな雰囲気だけでは無いよというメッセージが、そこから読み取れると考えています。それは他の貴金属には無い良さですよね。
それで、その燻しの変化が銀無垢のメガネに起こったときに、全体としてどんな印象をもたらすのか?しかもそれが、かつて存在していたメガネからデザインを興したフレームだった場合にどうか?そこが肝です。例としては上の写真です。使用した痕跡が堆積する事で、ヴィンテージメガネよりも年数は浅いのにも関わらず、それに匹敵する重み(雰囲気の)がプンプンしていると思っています。
ブルバキは初めから、完全再現を諦めています。初めから諦めていることは、怠慢ではなくヴィンテージへの敬意からです。例えばヴィンテージの物自体がもつ雰囲気は、細部の検証と追及から逃れます。部分最適の総合は必ずしも全体の最適を形成しません。そうは言ってもいつでも部分から着手せざるを得ない人間の小ささに挟まれて、毎度毎度のことですけど苦しかったりします。
そこで、無垢とか手彫りとかの素材に良さを付加したり、眼鏡士としてフィッティング上の問題を取り除くことで、メガネそもそもの良さを足してみたり、覚えたての言葉を使えば新品とヴィンテージの脱構築をそこで図っています。でもまずは、細部の追求が全体の雰囲気の再現に対して思ったよりも近くない行為であるということから、そしてヴィンテージへの敬意から、銀無垢で何か作るときは始めから完全再現は避けています。