豊田市民芸館に行きました。
名鉄だと、名古屋から向かう場合は知立で乗り換えです。知立駅自体も知立駅周辺もグングン綺麗になっていますけど、しばらく乗らないうちに三河線の線路沿いも綺麗な建物増えた気がしました。20年ってすごいですね。
駅を降りると、周辺案内があります。
展示ももちろんですけど、庭園、建物、什器等の目に入るどれもが美しくて良いですよ。平日昼前で、私含めて2組くらいしかいなかったので、くつろぎ放題でした。
パンフレットの常滑焼の箇所なんですけど、それであればその土管こそが民芸ということでは?と思ったりします。国民の生活水準をぐんと引き上げる手仕事なわけですから。
始まりにして至高だったり、正法像法末法に近い歴史観でどんどん悪くなっていっちゃうみたいな見方もありますよね。物理でいうところのエントロピー増大の法則とでも言いましょうか。純粋な物がどんどん混ざっちゃう、勝手には混ざるけど逆は起こらない。勝手には純粋に戻らないみたいな話に近いと思っています。
ただ、製品の場合の混ざるとは創意工夫であって、何か外からの要求や内から芽生えた問題意識に対しての改善・改良を含むわけですから、改悪があるにせよ何かしらの改良が必ず含まれていますよね。
敷地内になんとかいう建物がありまして、まさにこれなんかは日本家屋からの混ざり具合が最高だと思いました。混ざることでしか生まれない良さもありますよね。
全く話は変わりますが、私は冷やし中華原理主義だったりします。しました。
名古屋は冷やし中華にマヨネーズをかけるらしいですが、私はかけません。さっきあれほど語っといてなんですが、冷やし中華はアレが始まりにして至高だと思っていました。ゴマだれも不可です。
ブルバキの店の近くに、歴史を刻めという美味しいラーメン屋さんがあるんですよね。定休といえども木曜日に、店で加工をしたりお金のあれこれ事務仕事をすることが多々ありますが、そのときに今年度に入ってからなんですけど、大体寄ります。
昨日は民芸館に行ったあとに、周辺に飲食店もコンビニもないものですからどうしようと悩んだ挙句に店まで戻り、歴史を刻みに行きました。たまたま日替わりオンリーの日で、冷やし中華一択でした。
それこそ冷やし中華は初版初刷りしか認めんみたいな人間でしたから、注文もためらいましたし、丼が到着したタイミングもまだ腕を組んで「娘はおまえにやらん」の一点張り状態でしたけど、食べてみたら今までのどれよりも好きでした。感動しました。
ちょうど民芸館に行ったあとでしたし、あれこれ考えていたタイミングというのもあって、起源と本質の差について巡らせていました。つまり、私が意固地になっていたのは、冷やし中華の起源と本質を重ね合わせた上で、あれしか認めん!ってなっていたわけです。起源と認識しているものも、本当は起源では無いかもしれませんけど。とりあえずあのさっぱりと酸っぱい冷やし中華は起源であって、冷やし中華の本質を全て含むわけでは無いかもしれないという発見がありました。
さまざまな物に対して、実際には本質と起源が完全にズレていることは無さそうです。隙間が存在する程度なんだと思います。ですから始まりにして至高なことが確かに多いですし、自分もそうですけどそのように思いやすいですよね。隙間程度しかないことは開発側からすれば、新しい何かが生みにくいことの原因のひとつでしょうね。でもちゃんと、その隙間からヤバイものが現代でも出てきますね。