カテゴリー:雑記

行ってきました
雑記

19.02.25

昨日は、予告通り京都に行きました。ありがとうございます?で表現は適切なんでしょうか、お世話になっている方々のおかげで行けました。

にょろにょろで、どこに行ったのか分かる方もいらっしゃるかと思います。とりあえず、古いエアコンの設置跡が残っていましたから、その穴を利用してまずは基本に忠実?に、にょろにょろにょろさせております。

自分に出来ることを粛々と、みたいなありきたりな結論になってしまいますが、外に出てより強く感じました。やはり自分は、物は買って置く、並べるしか出来ないですね。部分最適しか出来ていないです。そうなりますと昨日見たものというのは、目標にしてはいけない憧れでして、あれにはなれない自覚から、そこから積み上げるしか無いなと痛感しました。そういえば小学生のときは「うちはうち、他所はよそ」みたいな、諦めを促すなだめられ方をよく親からされていたのをフワッと思い出しました。本当にその通りですね。

今度の日曜日は休みます
雑記

19.02.22

先週お越しいただいたお客さんには、直接お伝えしておりましたが、次の日曜日は本当に休みます。日帰りで京都に行きます。ついに暇なので、行ってみたかった店に行こうと決心がつきました。自分も外に出てみようかなと。ちなみに眼鏡屋では無いです。後述に関連しますが、【良いメガネ】という大きすぎる概念を元に、大体争いが起こりますので。

暇なので、途中になっていた本も3冊ほどまとめて片付けました。その中から一冊。半年くらい読む手が止まっていましたが、なんとか読み終えることができました。

『考えるヒント3 小林秀雄著 文春文庫 2013年 p.275』

このページが掲載されている章は〈私の人生観〉でして、他の文庫で掲載もあります。その、写真とは別の文庫にて既に読んだことがありましたから、何となく気が乗らず、かと言って章ごと飛ばす気にもなれず。そうとは雖も、以前に「私の人生観」に遭遇したときには、まとめ以外は上手く納得出来ず、ただただ冗長に感じたという記憶だけ残っていて。億劫ながら、でも今度こそちゃんと真意を汲み取るぞ!みたいな気概はあって…。最終的には半年以上、今の今まで放置でした。

ときに億劫ではありますが、同じ本を読むことは割とオススメだったりします。記憶が定かではありませんがおそらく10年くらい前です。NHKの番組『視点・論点』で安藤忠雄さんが出ていた時に、番組中ひたすら「本は3回読みなさい」と仰っていて、建物の話をしないという衝撃的な回がありました。それ以来、ぼちぼち本を読み返す様になりました。

やっとのことで今回、〈私の人生観〉の章を再度読みましたが、おそらく納得出来た箇所が増えていた気がします。時間に任せる、何かしらの経験が理解に際して何とかしてくれることはあるみたいです。同じ本を時間を置いて読み返しますと、それをもろに実感出来ます。

写真は、このような文章になっています。以下、抜粋します。

“思想は抽象的な図式と変じ、大地に立つ足を失った。図式は、理解力という人間の一能力にしか応じる力を持たぬから、賛成と反対以外に何事も起こらぬ。これは一見まことに気楽な光景であるが、実は恐ろしい事が起っている。例えば、平和だとか、人道だとか、自由だとかという観念は、万人の望む普遍的な観念である。併し、それが単なる観念である限り、人々を沈黙させ共感させる力はない。だから、人々はそこから喋り始める。誰も彼もが合理的に喋っている積もりなのだが、もともと厳密に出来上がってはおらぬ定義から出発したのだから、曖昧な系が幾つも幾つも生ずる。つまり平和という観念は、遂に論戦を生まざるを得ない。そんな道を辿るという事が、一体、人間が思索をするという事なのか。例えば、ベエトオヴェンのシンフォニイは、彼の思索が実った思想とも言えましょうか。彼の思索とは、音という「物」の新しい秩序をどうして創り出そうかと苦心する具体的な技術である。彼のシンフォニイは、彼の技術と一体となった、音という実在の世界に関する彼の vision、彼の観を現す。聞くものはこれに共感し、共感はその人に平和を齎す。論争の出発点となる様な平和の観念など現してはいません。人々は彼のシンフォニイから、空論に向って出発する事は出来ない。それは、もうその先きのない、行き着く処に行き着いているのである。”

物に全部込めて、本当にそれで全てということと、読み取りました。ちょうど年末くらいからそんな事を考えておりまして、そして、そんな事を考えておりますと、あれこれブログに書くポテンシャルが無くなり、結果としてメガネだけひたすらアップしておりました。それこそが正しいのだろうなと、その実践をしておりました。今までの物を読み返すと、きっと恥ずかしいのだろうなと思いますので、それは読み返さず、ただブルバキの為に残しておいています。都合よく無かったことには出来ないですからね。

あれと同じフロアで買えます
雑記

19.01.22

水飲み鳥を買いました。名駅のハンズの10階で買えます。同じ階で、あのチョコのイベントが開催されております。あの列の長さを目の当たりにして、ただただ羨ましくなりました。あれと比較したら、ブルバキは暇の極みです。

現在も、これが新品で買えるということに驚き、衝動買いしました。昔から営業しているお店のディスプレイで、たまに干からびていたりします。それで何となく見たような記憶があったのかもしれません。

まじまじと店で観察しますと、シンプルなデザインの極みであることに感動します。まさにこれがシンプルということか!と、一人で納得していました。さまざまな物理法則・現象が、この一体で無駄なく可視化されています。そしてそれは、柳宗理が要にしていた「親しみやすさ」に溢れています。完璧です。確かにかわいいなと、無限に見続けられますからね。

何より電池が要らず、水だけで反復運動し続けるというのも驚異的です。ウィキペディアで調べますと、原理等々詳しく解説されております。面白いです。

話が飛びますが、「過不足ない」みたいなことがシンプルさに通じているのかもしれません。以前にご紹介したような、例えば耳にかける部分が細いフレームを見たときに、一般的にはシンプルなデザインと称されると思います。それで良いんですけど、なんかこう、その表現ではしっくりこないところもありまして、そんなことを考えていた時に、この鳥がハンズで水を飲んでいる光景が目に飛び込んできました。

この鳥が水を飲むのを眺めて感じたのが、その過不足なくということでした。変な表現ですが、多くの物は削ぎ落とすという装飾が施されているという感じがするわけでして、鳥のおかげで、自分の実感に自分なりに説明がつきました。

ようやく買いました
雑記

19.01.11

店舗のハンコをようやく作りました。今までは、伝票も領収書も全部手で書いていましたが、場所が確定しましたし、その場所で一年以上続きましたし、新年早々思い立ちましてハンコでも作りました。店の名前、住所、電話番号が一緒に記載されて、尚且つ変更不可能な物があるという事が、妙に嬉しかったりします。普通の店の場合は、オープン前に準備しているものでしょうね。ということで、普通以下のことでも、ブログに書くくらい喜んでしまいます。毎日楽しいです。

もともと新栄で開店する際に、シャチハタの古いタイプのスタンプ台を頂いていました。写真のそれです。おそらく、オールドシャチハタはメタルの蓋で、現行はエコのスタンスから樹脂らしいです。

折角ならオールドシャチハタを活用しようという事で、スタンプとインクが一体化してない物を頼んでみました。他の色もあったのか、指定しなくとも、まさかのクリアブルーでした。透明で、生成りっぽく変色させたかったけど仕方なしです。むしろ、まだこのプラスチックの台座の物も作れるんですね。それだけで良しです。

「正しい印章 明るい日本」

と、紙袋に印刷がありました。そういえば当店で飾っています、古い眼鏡屋の看板も

「正しいメガネで 明るい世界」

という文言です。やや壮大で胡散臭くて個人的にはかなり好きなフレーズだったりします。こういうフレーズにも、やはり流行り廃りがあるっぽいですね。

ほとんど何も出来なかった正月
雑記

19.01.07

大体正月といえば本を読み漁るか、眼鏡関連で見ようと思っていた映画を見るか、この二択で過ごすことが多かったですが、今年は殆ど何も出来ずでした。唯一、映画のファイトクラブだけは見ました。

まさにこれは、暇と退屈の倫理学の映画版ですね。結論が違いますが。アイデンティティの問題にも言及している感じですから、とにかく深くて面白い映画でした。ただし、ややバイオレンスですので、正月の平和ムードには合わなかったですね。色々反省です。

年末分は、大体加工し終わりました
雑記

19.01.07

年末分は全部完了です。年始分は、度無しは全部完了です。振り返りますと、ブログの更新もしっかり出来ないくらいでしたから、忙しかったかもしれません。ありがとうございました。

もうすぐブルバキは3年経ちます。新栄の店は1.5年です。3年前の今頃は、開店準備という名の手持ち無沙汰でして、ただただひたすらに悶々としながら、為すこともなくゴロゴロしていたと思います。

そのゴロゴロのときに、何を考えていたかなといいますと、『3年後に、どのような状態だったらブルバキを畳むか?』みたいなことを考えていたはずです。そういえば、そろそろその3年を迎えようとしていました。今まで忘れていたくらいですから、もちろん2019年も続投です。なんかもう、閉店みたいなブログになっていますが、ちゃんと続きます。これは、2019年も頑張るぞ!的な内容です。

機が熟すのを待っている状態なのか、惰性で続いているだけなのか、3年後にどうやって自分で判断するのか。どうやって見切りをつけるのか、続けられると判断するのか。丁度そのときは、「始めるのは簡単だ」みたいなことも各所から言われておりました。たしかに、その通りだなとも感じていました。それよりも続けることが難しいんですよね。これは多分、何事もだと思います。ならば続けるか続けないかの判断をしっかりとしようと、ぼんやり考えていた気がします。難しいが故に、ズルズルと引きずって、肉が削がれて骨が見える状態まで痩せ細ってはいかんですからね。

おそらく当時考えていたことは、金額による判断では無かったはずです。始める前から数字の精度を高めてもしょうが無いなと感じていましたので、ああいう状態なら止めるとか、ほにゃららの状態が続いたら止めるとか、そういうのだった気がします。先ほども書いた通り、いまこの時点でそれらを覚えていないということは、そもそも、やめる気が無いじゃんということなんですけどね。実際、メガネしか私には無いですからね。

今日から仕事始めの方が多いと思います。昨日は、その前に挨拶に来てくださった方が多くて嬉しかったです。ちょっと嫌な日常が始まる前に、ブルバキで束の間の安息を得ようとして下さる方がいらっしゃるということが、店の存続を保証してくれている気がしました。それを言うなら、年末の挨拶に来てくれた方もそうですし、普段店にも来てくださるのにイベントでも会いに来てくださる方もそうですし、ということは全ての来店が該当する気がしてきます。ただ、昨日は際立って「続けて良さそうだな」という実感を得られたのは間違いありません。そのときに、フワッと3年前の悶々を思い出した次第です。

ブルバキは、2019年も低空飛行を続けていきます。おそらく冬を越えたら、ヴィンテージ品の入荷だけでは無い、あれこれ新しい変化がありそうです。まだまだ頑張ります。

昨年は、お世話になりました。そして本年も、お付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。

本年もありがとうございました
雑記

18.12.31

お世話になりました。おかげさまで、終わりがけはバタついて、今になって締めの言葉が書けています。

一年で、かなり店らしくなりました。飾る棚も満足に無い状態でしたが、それっぽく整えることが出来ました。2019年は、店内空間よりも商品に一層の力を入れまして、メガネで楽しんでもらえることに、より注力いたします。

新年は、5日から開けます。4日も、年末分の加工を全て仕上げる為に店に居ると思います。接客は出来ないですけど、暖はとれます。

写真は、28日の骨董市で買った札です。見渡す限り無駄だらけの店の、渾身の自虐ネタです。

それでは、良いお年を。

年内最後の古書市でした
雑記

18.12.18

16日に、鶴舞の古書会館に行ってきました。日曜日の朝、店を開ける前です。

年間スケジュールを確認しますと、何だかんだで、2週に一度は何かしらの市が開かれています。思い立ったらすぐに行ける距離ですし(徒歩20分)、とりあえず通い続けます。

今回は収穫は少なく、暮らしの手帖という無難なピックアップとなりました。ブームが去ったのか、欲しい人に行き渡ったのか、格安で床に10冊ほど寝ていました。その中から1冊だけ。珍しく表紙が眼鏡なのに、眼鏡の製品テストの号では無いです。

冒頭の写真は、“シンプル対ゴテゴテ”というタイトルのエッセイです。田辺聖子さんが書いています。どうやら一世代前にも同じようなことが書かれています。終わらない、答えの出ない対決みたいですね。無印良品の誕生が1980年の頭だったはずなので、その頃はシンプルに勢いがあったのは間違いなさそうです。

この本だけピックアップしたのは、まさにこのエッセイの

「…人生のなつかしさはゴテゴテにある。」

という一文に心を持っていかれたからです。対立に対して、なつかしさを持ってくるという発想に感動しました。確かに、振り返りますと、ああだったなぁこうだったなぁ、今となっては笑えるなぁと、人生におけるゴテゴテのお陰で、現在が成立している気がしてきます。

予期せぬ来訪
雑記

18.12.14

東京から、はるばるお越しいただきました。インドに行ったことがないという、発想の転換が凄まじいです。以前、BSのとある番組で見かけて、面白いコンセプトで悔しいなと感じ、記憶に残っていました。また、妄想インドカレーという響きもキャッチーで悔しいです。例えば、“妄想メガネ・ブルバキ”ですと、ただのスケベ野郎みたいな響きですからね。

まさか名古屋で、そして自分の店で会えるとは思いませんでした。続けていると、面白いことが起こりますね。どんな味のカレーなのか、ますます妄想が止まりません。

今週は他にも、よそのお店からのご紹介で来てくださる方が多く、意外に見られてるなと感じました。ご紹介と言いましても、向こうもこっちも会ったことがなくて、何となくお互い認知している感じです。お笑いの吉本式だと、お店の歴で先輩後輩が決まります。ということは後輩に当たる私が、基本は挨拶に来いよと、思われているんでしょうね。

マスカットのような酸味とか云々
雑記

18.12.14

ブルバキから徒歩2分程の場所に、コーヒーの焙煎所があります。にわかに信じがたいと思いますが、ファミリーマートを越えて左折し、久遠寺で右に曲がるとあります。入り口のガラスから奥を覗きますと、デカイ焙煎機が見えます。

個人にも販売をしてくださるので、初めて買ってみました。袋がいい感じです。コーヒーまみれなので、店の匂いもいい感じです。土日休みでした。

 

「どんな味が好み?」

みたいに、まず聞いて下さりました。初心者に優しいお店です。この時点でリピート確定です。酸っぱいより苦いと答えて、おそらくブレンド?を買いました。

そもそものきっかけは、このミルを頂いたからです。扶桑軽金属のもの。明治村の帝国ホテルっぽくてカッコいい。メーカー名もゴツくてカッコいい。一回バラして、サビ取りだけしました。刃の調整とかあるんですかね。とりあえず、形として元には戻っています。絶妙なバランスが崩れたかもしれませんが、もう遅いです。

そういえば今年の骨董市では、ヴィンテージのミルを販売している方もいらっしゃいました。その時に、こういうのもヴィンテージの世界があるんだなと、感心した記憶が残っていたのも、きっかけとしてあります。そんな話を他人に言いまくっていたら、自分の元に偶然来たので使ってみます。

コーヒーの味はそこまで詳細に識別出来ないので、とりあえずいつも通り物から入ります。私が、大地の香りとマスカットの様な酸味が…みたいなことを言ったときは、大体分かってないです。

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