カテゴリー:雑記

100分で名著
雑記

17.04.03

NHKの番組「100分de名著」ですが、今日から三木清さんの人生論ノートが題材になります。ちょうど、読みたいなと考えていたところでしたので入門として、文庫本を買う前にテレビとNHKテキストを見ようと思っております。

テキストをちょっと読んでみましたが、20ページくらい読み進めた段階で、すでに実感を持って頷いてしまった箇所があります。以下に綴ります。

 

メガネでも服でもそうですが、オシャレになりたいとかカッコよくなりたいとか可愛くなりたいと思って買うと思います。メガネは、視力矯正の側面は一旦無視して、ファッションの面だけに注目します。

では、それらを買い、身につけることによってオシャレさ、カッコよさ、可愛さを手に入れたとします。それは自身にとって成功なのでしょうか?または幸福なのでしょうか?この問いは、必ずしも成功=幸福とはならない、ズレから生じています。

「あれなら自分にも出来る」と思えるのが成功であり、「各人においてオリジナルなもの」が幸福であると、テキストでは書かれています。色々な文脈をすっ飛ばして引用していますので、納得感が少ないかもしれませんね。テキストを本屋で見てみて下さい。

オリジナルということを自己満足と捉えるのか自己肯定感と捉えるのか、どちらでもいいことですが、特にオシャレという言葉の意味するところが、様々なお客さんとお話しする中で分かれている気はしていました。幸福を目指してオシャレするのか、成功を目指してオシャレするのか、という差異だった訳ですね。だとしますと、ブルバキは、、、お店で聞かれたらお答えします。

個人的には
雑記

17.03.29

値札の話の続き。骨董的な言い値は不安を煽るので、ブルバキでは、そういう感じは排除しております。ちゃんと値は固定されています。

とは言いつつも、その世界はその世界なりに、面白かったりもしますけどね。昨日の骨董市での収穫品。相手の提示する値段が良いとこ突いてきますと急激に欲しくなります。あのドキドキ感がたまらんです。

ただし、私もメガネ以外の骨董は素人なので、上限金額を設けて楽しんでおります。ということはいずれにしましても、金額の呪縛から逃れて価値の判断をすることは不可能なのかもしれません。明らかにその上限を越えそうな物は、始めから排除して見ている可能性が高いですからね。

新入荷
雑記

17.03.23

ブルータスの古いのが入りました。店内閲覧用です。83年のアフリカ特集です。ネットのある今の時代よりも、情報が詰まっています。文字から熱量が伝わるいい雑誌です。是非ご覧ください。

 

最近自問しておりますのは、このような先進国以外の文化とか道具とか織物を鑑賞するときに、日本の尺度を用いて眺めていないかということです。

それもこれも、小林秀雄さんの影響でしょうね。歴史について、正確ではないですが、こんな感じで仰っていた記憶があります。歴史を学ぶということは、現代からその歴史上の出来事を眺めるのではなく、あなた自身の意識もその年代に向かわせて、そのときに何が見えるのか云々…というニュアンスでした。批判と批評の違いについて説明される時も、同じようなことを仰っていました。意識ごとタイムスリップしろ、という感じだったと思います。

つまり、アフリカとかの道具の話題に戻りますと、日本のものに比べて下手ウマな感じが良いとか、欧米のものに比べて粗野な感じが良いとかよりも、もっと他に、その土地に根ざした尺度やら何やらがあって、その測り方による良さがあるはずです。今迄わたしは、それこそ下手ウマとか粗野だから良いと判断しておりました。それも良さなんでしょうが、現代のプロダクトと比較して行われた価値判断でした。それを反省している最中です。

私の扱うメガネもそうです。いまと比べて面白いというのもそうですが、その時代はそれがイケてるわけなので、その時代なりのイケてる理由をそれぞれに発見して、皆さまにお伝えしなくてはいけないですね。

日本人のメガネ
雑記

17.03.19

70年代の市井の人のメガネを調べていたら、たまたま見つけました。大阪万博の図鑑より。大阪万博中に、世界中の民芸を集めて骨董市が開かれていたみたいです。面白そうで羨ましい。

やはりこの時代は、セル枠が圧倒的ですね。ちょっとお金ありそうな年配の方が、ローデンストック系の質実剛健なブロータイプのメガネをかけています。セルが多数派です。

私にメガネの加工を教えてくれた現在66歳の方も、業界入りたてのときのメガネの様子を聞いてみたところ、「セル枠ばっかりだった」みたいなことを仰っていたので、やっぱりそんな感じだったんだなと、改めて納得しております。

日本のフレームは今よりも全然仕上がりが綺麗ではないです。特にメタルフレームは、今でもデッドストックで出ますが、さすがに…という仕上がりの物もあります。同時代のローデンストックやマルヴィッツやツァイスのメタルフレームや、フランスのモレルに比べると、やや劣ります。

だからこそおそらく70年代までは、良いメガネ=ドイツみたいな認識が、日本にあったわけです。古いメガネ屋さんの看板には、大体「ローデンストック」の文字が入っています。

そして、81年に日本が世界初のチタンフレームの開発し、じわじわ盛り返していくのでしょうね。

物を販売すること
雑記

17.02.25

小林秀雄対話集 「直観を磨くもの」新潮文庫 p.530

あとがきが、これまたとてもなじみの良い文章でした。じんわりきます。

物を販売していますと、日々葛藤が生じるわけです。特にこういう時勢ですから、美しいとか面白い物は中々見てもらえません。求められるのは、ほどほどな、力の抜けたカッコよさでしょう。

そういったときに、果たしてこの自分が美しいと感じたメガネは、一体美しいのか美しく無いのか、そもそも美しさとは?みたいな思考が頭をもたげてしまいます。

ですが、この本を読んでいて励まされました。

「美しい花があって、花の美しさはない」

では、美しさとは?となりますが、この本では常識が感ずるものということでしょう。観念的で、それ以上どうにも掘れずに堂々巡りになるものは、それ以上掘るなとも捉えられます。(p.453 「常識」人間誰にも生まれつき備わり、そのうえさらに実社会で訓練された思慮分別の意。単に外部から習得される知識よりも、万人共通の直観力、判断力、理解力に重きをおいて小林秀雄は用いる。)

長くなりましたが、物でしか伝わらない要素があるということが、励みになりました。そしてその要素は、物から切り離すことが出来ないということにも。

言われてみれば、そうかもしれませんね。私の中にある観念的なアレコレは、全て外界の物を見て培われている気がしてきました。影響されやすいタイプです。

日々の雑感
雑記

17.02.10

シンプルが好きって宣言することは、よくよく考えますと難度高めなことですね。シンプルが好きと宣言し、実行したいところですが、結局ほどほどにデコラティブでデザイナーの意図が表面に出ちゃっているものの方に、毎回落ち着きます。

なんといいますか、出ちゃっているそちらの方が、自己の感覚がそこに継ぎ足されるイメージがあります。シンプルな物を土台に、自分で0から積み上げていけるほど、自身は研ぎ澄まされていないんでしょうね。コスプレという揶揄は、まさにその通りでしょう。

ヴィンテージの他に、無垢のフレームを販売しています。無垢のフレームを眺めていまして、そんなことを考えておりました。ただ、無垢のフレームは例え彫金が施していなくても、シンプルだから良いなあ、と感じたことは今の今まで無かったです。それよりも表面の滑らかさと光沢の美しさにぐらっときていまして、それが僕にとってはデコラティブだったんかなと思います。

デコラティブじゃなくて、装飾的と書けばよかったですね。カッコつけすぎました。

ようやく落ち着きました
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17.02.06

場所をお借りしている、アナログさんの春夏の服の立ち上がりがあり、なんだかんだその販売のお手伝いをしつつトランクショーのご注文の加工をしておりました。ようやく落ち着いたという感じです。あれこれお待たせしてすみませんでした。

セレクトショップに居させてもらっています。セレクトであるということは、各ブランドフルラインナップであるわけではありません。直営ではありませんからね。

そして私の店も、ヴィンテージメガネの年代や国やメジャーブランドを網羅出来ているわけではありません。無いカテゴリーは沢山です。無垢のメガネもまだまだバリエーションを増やしたいと考えております。

網羅していないということは、選択肢としては狭まっているわけですが、それは果たしてマイナスなことなのかと、たまに考えます。言い換えますと、服でもメガネでも、結局なんでも同じですが、選択肢が多いということは、基本的に良いことなのか?という考えです。

選択肢が少ない方が、決定は下しやすくなりますので、私は逆に良いことだと思いますけどね。それに、物と物を比較するのではなく、物と自分の培った経験を照らし合わせる行為になりますから、感性にダイレクトに響くと思います。

選択肢と選択(という行為)の関係を考えますと、面白くて止まらなくなります。またそのうち書くかもしれません。

託します
雑記

17.01.31

遂に、行くタイミングを逃してしまいました…。

熊谷守一展 in 岐阜

今週末までです。ほのぼのとした、いい絵ですよ。

2月3日からは、アナログさんの春夏の服のスタートです。私も同じタイミングで店頭販売を再開します。

土日どちらか1日は熊谷さんで、1日は豊橋に是非お越しくださいませ。どちらも楽しいはずです。熊谷守一さんのは、皆さまに託します。感想をお聞かせください。

お待ちしております。

 

静物画のこころ
雑記

17.01.26

「静物画のこころ展」刈谷市美術館
2階に、おそらく刈谷市の絵画教室の生徒さんの展示もありました。教室に通う小学生の絵のコーナーも設けられていました。それがまた良かったです。それについてちょっと書きます。

これもおそらくなのですが、同じ題材にて各人が絵を描いておりました。テーブルに青と白のストライプのクロスがひいてあり、バゲットとポットとバスケットとリンゴが配置された静物画です。絵画教室の授業で、生徒それぞれが描いたのでしょう。

多くの子が、朝食とかティータイムという語を、題名に用いているなか、ひとりだけ「楽しい’時間’」という題名をつけている子がいました。不意打ちの不意打ちでしたから、それはひどく驚きました。

静物画の何たるかを、その子の絵と題名で学べました。対象をそのまま描いているわけでは無くて、そのテーブルが実在したと想像したときの空気感やテーブルを囲むであろうひとが、描かずに描き出されているということなのでしょうね。それがまさに、企画の言う「静物画のこころ」ということなのでしょう。

そして、’食卓=楽しい時間’という連想を私自身に当てはめた際に、楽しいとか豊かという感覚に乏しいなという反省の感情が沸きました。逆に描いた子は、食卓が楽しいという認識があるのでしょう。今のわたしは、どの時間帯の飯も、1人だったりパパッと済ませたりすることが大半です。確かに小学生の時は、朝以外は十中八九誰かと食べていましたし、会話しながら食べていたなと記憶しています。

勘繰り過ぎなだけかもしれませんが、勉強になりました。

最近の楽しみ
雑記

17.01.23

100分de名著を見るのが、特に楽しみです。今は中原中也さん。

数学の流れから岡潔さんにハマり、その後お客さんに教えていただいて小林秀雄さんにハマり、小林秀雄さんを読んでいると、どうしても中原中也さんが避けられなくなってきたなぁ、というタイミングでのテレビでしたので、初心者としては嬉しい限りです。

詩を読むのは初めてです。読んだときの、例えば、メガネにおける光学理論の理解とは異なる、わかるという感覚の、まさにこれを共感と指すのか、じんわり感がいいですね。

この冊子を読んでいると、中原中也さんと大岡昇平さんの関係が、ゴッホさんとゴーギャンさんの関係と同様であるとあり、ちょうど愛知県美術館にてゴッホとゴーギャン展が開催されておりますので、タイミング良くてありがたいです。

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