ゴツい、四角い
ヴィンテージのメガネ

19.03.03

おそらく、オシャレが好きな方との接客で、導入のクラッチ合わせの部分で伺うのが「丸くて細いの」が欲しいという要望です。もちろんそれらもあるんですけど、それこそ他所にも、名古屋中、愛知県内、いまは沢山あったりします。そこからハミ出て肩身が狭そうなゾーンをご紹介です。

70年代のセル枠です。オプチル素材を用いたフレームのような質量の演出ですが、これはアセテートです。オプチルで作った時と比べるとやや重くなるわけですが、鼻盛り可能でフィッティングがしやすいので、しっかり掛けられるようにこちら側が手を施せる点が良しです。

何と言ってもブリッジが醍醐味です。

それこそ先ほどの話に繋がりますが、おしゃれ・おしゃれではないの、どちらでも無いと感じます。そもそもブルバキのヴィンテージメガネは、そんな感じのものがメインです。そうなりますと、メガネを掛けるに際して服や小物、アレコレの組み合わせも緻密ではなくていいやって気分になってきます。そこにもう一度、オシャレに目覚め始めたときのような楽しさが芽生える気がしております。実際には、それをもう一度ファッションとして形式化したのがグッチのように見受けられます。シャツ、ジャケット類のカチッとした格好にゴツいこのようなメガネを合わせるということも、ただの70年代のコスプレや違和感では無しにファッションに迎え入れられた感じがします。ただ、おそらく名古屋ではその雰囲気はありませんから、この類のメガネをかけることによる開放感、自由度は失われていないように思われます。

余談ですが、最近面白いなと感じたのは、ヴェトモンの、オークリーのサングラスですね。トゲのついた。ものすごく実物を拝みたいと思っています。

メガネをプロダクトとして捉えたときに、一番開発が盛んでハイテクでメカっぽくて、つまりは物として純粋にカッコいいのは(個人的に感じているのは)スポーツグラスだったりします。そのカッコ良さをファッションに組み込んだときに、全体がファッションとしてギリギリカッコ良いのかどうかみたいなことを提示していて、感動しました。余裕があるのならば、買って店で飾りたい気分です。

まだ途中ですが
雑記

19.03.03

暇と退屈の倫理学から、次の本に読み進めております。確定申告云々が終わり、ようやく先週から読みはじめました。木曜日は熱で1日ダメにしてしまったので、まだ半分ほどしか読めていません。

今の時点でひとつ、感想とか解説じみたことなぞとも思いましたが、おこがましくて書くことも出来ません。読んでいて自分は、ちゃんとわかってんのかなー??という曖昧さの連続です。とりあえず現段階での気分としましては、

「あんまり深入りすると、販売とか接客のあれこれが全部気になって、身動き取れない」

という感じです。意志なのか選択なのかみたいな話題周辺も、相当ブルバキ自身が揺らぐ内容でした。接客とは、買うとは、選び取るとは、勧めるとは、、、。んーーー。

最後に、あの倫理学のような救いまではいかなくとも、実践における指針みたいなものが垣間見えてくるのでしょうか。それが楽しみで、三章あたりでペースダウンしたものの、四章から再び相性が良くなったのか、もりもり読み進めております。

今の枠組みの中でスパッと割振れる、割振れないとは話が逸れるかもしれませんが、そういうことは、日々感じます。

物でよく言われるのは、「物の価値は、お金ではない」みたいなことでしょうか。高い物を指して、高ければ良いものという訳ではないことを述べるときに、よく言われている気がします。ブランド物に関しても、同じように語られ、揶揄される傾向にあると思います。

ただし、その時点で実際は、物をお金のフィルターを通して見ている訳ですから、両者とも大きな差は無いように思われる訳です。では、物を見るときに、(高い・安い)と、(良い・悪い)の組み合わせで見ることから解脱するにはどうすれば良いのか?みたいなことを考えています。

18時に閉めます
営業案内

19.02.27

体調不良っぽいです。本日そろそろ閉めます。

飽きるあきない
雑記

19.02.27

シンプルなもの、ベーシックなものを買うべきか、それともデザインが盛り込まれたものを買うべきか?みたいな相談をたまにうけます。そもそも、シンプルであることとベーシックであることは同値なのか?シンプルとは何か、ベーシックとは何か。デザインとは何を指しているのか等々、どちらにするか云々の前段階で、すでに考え出したらキリがないです。その時は、そういう相談ではない事を瞬時に察して、とりあえず迷ったら素朴な方か派手な方かどっちにします?的な質問に回答を致しました。迷ったら楽しい方です。

よく、デザインが激しい物に対して言われる「デザインが入ったものはすぐ飽きる」について、これってどうなんでしょうね。本当に特異的なものであれば、いつだって際立っていますし、いつだって良いなあと感じる様な気もしてきます。飽きるのではなく、その尖りが嫌いにはなりそうですが…。

驚くべきことに、平成レトロという言葉が生まれたそうです。まだ実際には、店頭で飾ってあるファービーに対して「平成レトロ」と言われたことがないので巷での浸透度は謎ですが、その表現には納得です。ファッションの世界では、90年代が焼き増しされ始めました。ロゴ物やハイテクスニーカーの潮流が力強く続いております。そういう私も、まだちゃんとエアマックス95を履いております。

まだまだ眼鏡業界では店も私も若造ですが、そういえば30代に入っています。30代と20代の違いは、今のところほとんど認識しておりませんが、おそらく懐かしく感じる機会の多さだと思います。それに関しては圧倒的に増えました。エアマックスもそんな感じで買っていますし、今は、あの頃のPEZをもう一度という気分でして、捨てたことへの後悔の最中です。

それらの懐かしさは何で生じるのだろうかと考えていましたが、おそらくそれこそ見ることに関係があるのかもしれません。新しい物を見れば見るほど、どんどん過去のものになっていくそれらが、よく見え始めてくることがあります。新しい物を見る行為が、過去の物に新鮮さを吹き込むのは何故なのでしょうか。例え、一時的に尖りが食い込み始めて嫌になっても、新しい物を見続けることで、尖りと上手く間合いがとれます。そうすると尖りが刺さらずに、ただの鋭さとして見返すことが出来るようになりますから、また良さとして認識が出来ます。デザインとの距離が関係していそうです。

すぐ飽きても、多分それはそれで良くて、また良いなと思えるように寝かせといたら良いと思います。

まきつるに改造します
無垢のメガネ(925silver,サンプラチナ,木)

19.02.25

メーカーのストックも無いので、一旦、銀無垢もSPMも丸メガネが完売となりました。ありがとうございました。写真は、在庫からまきつるに改造をする予定です。販売が決まりまして、今回はテンプルの全長を指定して特注です。

今年こそ、両素材とも復活の予定です。私の頑張り次第です。

70年代の
ヴィンテージのメガネ

19.02.25

ローデンストックのセル枠が面白いです。暇とか言いつつも、それはビッグウェーブが無いだけであって(それもなかなかの問題)、ほぼ毎日対話をする機会がありますから、嬉しい悲鳴でレストアのペースが落ち気味だったりします。ようやく、個人的な目玉フレームが仕上がりました。

土曜日と本日、じっくり時間をかけて修正しました。ローデンストックのセル枠は、足掻いたけれども、どうしても消えずに残ってしまった堅い雰囲気が良いです。ブランドの歴史がデザインにくっ付いている様です。同じ年代の似たようなフレームと比較した際に、遊びきっていない感じが判ります。大きいセル枠であるのにも関わらず、カチッと男の色気がプンプンして良いんです。

欲を言えば、ネジを交換し、ナットで共締めしたかったです。ネジの径が、今の日本の規格と合わずに断念。とりあえず、ネジ頭は舐めていないのでそのままです。ちゃんと締りきってはいますから、問題は無しです。

もずくみたいな、良い色です。

行ってきました
雑記

19.02.25

昨日は、予告通り京都に行きました。ありがとうございます?で表現は適切なんでしょうか、お世話になっている方々のおかげで行けました。

にょろにょろで、どこに行ったのか分かる方もいらっしゃるかと思います。とりあえず、古いエアコンの設置跡が残っていましたから、その穴を利用してまずは基本に忠実?に、にょろにょろにょろさせております。

自分に出来ることを粛々と、みたいなありきたりな結論になってしまいますが、外に出てより強く感じました。やはり自分は、物は買って置く、並べるしか出来ないですね。部分最適しか出来ていないです。そうなりますと昨日見たものというのは、目標にしてはいけない憧れでして、あれにはなれない自覚から、そこから積み上げるしか無いなと痛感しました。そういえば小学生のときは「うちはうち、他所はよそ」みたいな、諦めを促すなだめられ方をよく親からされていたのをフワッと思い出しました。本当にその通りですね。

今度の日曜日は休みます
雑記

19.02.22

先週お越しいただいたお客さんには、直接お伝えしておりましたが、次の日曜日は本当に休みます。日帰りで京都に行きます。ついに暇なので、行ってみたかった店に行こうと決心がつきました。自分も外に出てみようかなと。ちなみに眼鏡屋では無いです。後述に関連しますが、【良いメガネ】という大きすぎる概念を元に、大体争いが起こりますので。

暇なので、途中になっていた本も3冊ほどまとめて片付けました。その中から一冊。半年くらい読む手が止まっていましたが、なんとか読み終えることができました。

『考えるヒント3 小林秀雄著 文春文庫 2013年 p.275』

このページが掲載されている章は〈私の人生観〉でして、他の文庫で掲載もあります。その、写真とは別の文庫にて既に読んだことがありましたから、何となく気が乗らず、かと言って章ごと飛ばす気にもなれず。そうとは雖も、以前に「私の人生観」に遭遇したときには、まとめ以外は上手く納得出来ず、ただただ冗長に感じたという記憶だけ残っていて。億劫ながら、でも今度こそちゃんと真意を汲み取るぞ!みたいな気概はあって…。最終的には半年以上、今の今まで放置でした。

ときに億劫ではありますが、同じ本を読むことは割とオススメだったりします。記憶が定かではありませんがおそらく10年くらい前です。NHKの番組『視点・論点』で安藤忠雄さんが出ていた時に、番組中ひたすら「本は3回読みなさい」と仰っていて、建物の話をしないという衝撃的な回がありました。それ以来、ぼちぼち本を読み返す様になりました。

やっとのことで今回、〈私の人生観〉の章を再度読みましたが、おそらく納得出来た箇所が増えていた気がします。時間に任せる、何かしらの経験が理解に際して何とかしてくれることはあるみたいです。同じ本を時間を置いて読み返しますと、それをもろに実感出来ます。

写真は、このような文章になっています。以下、抜粋します。

“思想は抽象的な図式と変じ、大地に立つ足を失った。図式は、理解力という人間の一能力にしか応じる力を持たぬから、賛成と反対以外に何事も起こらぬ。これは一見まことに気楽な光景であるが、実は恐ろしい事が起っている。例えば、平和だとか、人道だとか、自由だとかという観念は、万人の望む普遍的な観念である。併し、それが単なる観念である限り、人々を沈黙させ共感させる力はない。だから、人々はそこから喋り始める。誰も彼もが合理的に喋っている積もりなのだが、もともと厳密に出来上がってはおらぬ定義から出発したのだから、曖昧な系が幾つも幾つも生ずる。つまり平和という観念は、遂に論戦を生まざるを得ない。そんな道を辿るという事が、一体、人間が思索をするという事なのか。例えば、ベエトオヴェンのシンフォニイは、彼の思索が実った思想とも言えましょうか。彼の思索とは、音という「物」の新しい秩序をどうして創り出そうかと苦心する具体的な技術である。彼のシンフォニイは、彼の技術と一体となった、音という実在の世界に関する彼の vision、彼の観を現す。聞くものはこれに共感し、共感はその人に平和を齎す。論争の出発点となる様な平和の観念など現してはいません。人々は彼のシンフォニイから、空論に向って出発する事は出来ない。それは、もうその先きのない、行き着く処に行き着いているのである。”

物に全部込めて、本当にそれで全てということと、読み取りました。ちょうど年末くらいからそんな事を考えておりまして、そして、そんな事を考えておりますと、あれこれブログに書くポテンシャルが無くなり、結果としてメガネだけひたすらアップしておりました。それこそが正しいのだろうなと、その実践をしておりました。今までの物を読み返すと、きっと恥ずかしいのだろうなと思いますので、それは読み返さず、ただブルバキの為に残しておいています。都合よく無かったことには出来ないですからね。

14時ごろ開けます
営業案内

19.02.18

本日18日は14時ごろ開けます。昨日のうちにご連絡出来ずすみません。

大須の骨董市を覗いてから開けます。そういえば年明けてから一回も行けていなかったので。

14時ごろ開けます
営業案内

19.02.15

明日土曜日は14時ごろ開けます。昼の一発目は検眼しております。よろしくお願い致します。

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