店に置いておきます。形なきものを吟味するという副題です。
匂い、嗅覚を話の手掛かりに、形なきものを形なきままに精確に捉えて吟味することについて書いてあります。
何か、絶対的な良さが色々な分野でそれぞれにあればいいのですが、どうやらそういう訳でも無さそうです。例えば数学であれば、無矛盾なルールがあったとして、そのルールは自分の無矛盾さを、そのルール内では証明出来なかったりします。完全に潔白な人間でも、他者から見たらグレーという感じでしょうか。ちょっと違いますけど、大体そんな感じです。
メガネで言えば、検眼とその値がまずは該当します。なにか一つ正しい値があって、それにどれだけ近づけるか?そういう構造は、未だに存在しておりますが、それでは不十分です。測定値に加えて、お客さんの生活があって、メガネとの関わり合い方があって、主訴があって、その上でレンズとして物理的に無理なく左右に度数が組み込めるかがあって、レンズカーブとフレームカーブの問題があって、さらにそれが慣れられるかどうかがあって、、、ようやく‘良い度数’みたいなものが立ち籠めてきます。絶対的では無いです。
ただ、絶対的な、安定した基盤みたいなものが無いという状況から、何かを探求するというのは不安なことです。何となく分かっても、実際にそのように振る舞うのは大変難しいです。
自分の話で申し訳ないですし、それは結局、普段の店と同じことですけど、その不安をかき消すために、ほぼ毎日同じ時間に起きています。同じ時間に準備をして、同じ時間にほぼ同じ昼飯を食べ、店を開け、閉め、家に帰り、同じ時間に寝ます。生活を機械的に、絶対的にしようと無意識にしていますし、それの方が安心します。安心していると言いますか、その機械化は無意識ですから、そこから逸れるとはじめて不安を覚えるという方が精確です。
ですから、ざっくりと形なきままに捉えることは理想ですし、それに近いことは多々ブログにも書いてきましたが、その実現は中々難しいなと、未だに唸っています。