年内は29日まで営業します。明日は定休です。
今年の最後の最後に入荷がありまして、レストア中です。今日はこれ一本だけ直せました。あれこれ格闘しておよそ3時間…。ツルッと全部にヤスリがけをしております。この光沢に捧げました。鼻盛りが乾いたらまた磨きです。


イベントやらその事後処理やらで作業に没頭しておりましたが、まだまだ手が休まらない模様です。そこまで年末感に浸れている感覚もなく、いつも通り営業を続けております。
年始は多分4日からです。ひょっとしたら5日からかもしれません。
18.12.26
年内は29日まで営業します。明日は定休です。
今年の最後の最後に入荷がありまして、レストア中です。今日はこれ一本だけ直せました。あれこれ格闘しておよそ3時間…。ツルッと全部にヤスリがけをしております。この光沢に捧げました。鼻盛りが乾いたらまた磨きです。
イベントやらその事後処理やらで作業に没頭しておりましたが、まだまだ手が休まらない模様です。そこまで年末感に浸れている感覚もなく、いつも通り営業を続けております。
年始は多分4日からです。ひょっとしたら5日からかもしれません。
18.12.18
16日に、鶴舞の古書会館に行ってきました。日曜日の朝、店を開ける前です。
年間スケジュールを確認しますと、何だかんだで、2週に一度は何かしらの市が開かれています。思い立ったらすぐに行ける距離ですし(徒歩20分)、とりあえず通い続けます。
今回は収穫は少なく、暮らしの手帖という無難なピックアップとなりました。ブームが去ったのか、欲しい人に行き渡ったのか、格安で床に10冊ほど寝ていました。その中から1冊だけ。珍しく表紙が眼鏡なのに、眼鏡の製品テストの号では無いです。
冒頭の写真は、“シンプル対ゴテゴテ”というタイトルのエッセイです。田辺聖子さんが書いています。どうやら一世代前にも同じようなことが書かれています。終わらない、答えの出ない対決みたいですね。無印良品の誕生が1980年の頭だったはずなので、その頃はシンプルに勢いがあったのは間違いなさそうです。
この本だけピックアップしたのは、まさにこのエッセイの
「…人生のなつかしさはゴテゴテにある。」
という一文に心を持っていかれたからです。対立に対して、なつかしさを持ってくるという発想に感動しました。確かに、振り返りますと、ああだったなぁこうだったなぁ、今となっては笑えるなぁと、人生におけるゴテゴテのお陰で、現在が成立している気がしてきます。
18.12.14
来週は、20日の木曜日を営業日とし、21日の金曜日を休みにします。
初めて木曜日に営業してみます。最初で最後かもしれません。ご来店があれば、今後もたまには木曜日営業をしてみる所存です。
18.12.14
東京から、はるばるお越しいただきました。インドに行ったことがないという、発想の転換が凄まじいです。以前、BSのとある番組で見かけて、面白いコンセプトで悔しいなと感じ、記憶に残っていました。また、妄想インドカレーという響きもキャッチーで悔しいです。例えば、“妄想メガネ・ブルバキ”ですと、ただのスケベ野郎みたいな響きですからね。
まさか名古屋で、そして自分の店で会えるとは思いませんでした。続けていると、面白いことが起こりますね。どんな味のカレーなのか、ますます妄想が止まりません。
今週は他にも、よそのお店からのご紹介で来てくださる方が多く、意外に見られてるなと感じました。ご紹介と言いましても、向こうもこっちも会ったことがなくて、何となくお互い認知している感じです。お笑いの吉本式だと、お店の歴で先輩後輩が決まります。ということは後輩に当たる私が、基本は挨拶に来いよと、思われているんでしょうね。
18.12.14
枠入れ完了しました。シチズンのフレームです。大きめの四角で、ゆるゆる感が抜群です。まさにあの世界観ですけど、カーディガン、デニム、ローファーにこれとか良さそうです。
黒のベースに、ブリッジと智の部分だけ金色でペイントしてあります。そして見どころは、左の智の「CITIZEN」ロゴのプレスでしょうね。
ロゴさえ入れなければ、製造元が持っている型で作れたのに…。このために型から作ったと考えますと、さすが80年代と思います。プリントではなくて、模様に忍ばせて”CITIZEN”を主張しておりまして、色々と、いい時代だったんだろうなと想像を掻き立てます。
また今回、お客さんの度数がやや強めですから、それが尚良しです。目が小さくなって、ナードさ爆発です。それがカッコいいんです。
18.12.14
ネジ抜き。
買ってすぐ転んでしまい、蝶番部分で壊れたみたいです。元のお店に持っていったときに、直らないか超高いか工場が…みたいなことで濁されて、直せず温存していた様です。まあ、でも、使えないとしょうがないですしね、まずは形にしないと。ということで修理です。
蝶番コマの歪みは、折れない様にゆっくり力を加えて形を整えていきます。これは簡単なので、お客さんの前で戻してしまい、写真がありません。
写真は、ネジ抜きを行った後です。合金のネジであれば、ドリルを突っ込んで抜きますが、今回はチタンのネジでして、ドリルが全然進んで行きません。固い。ということで、ニードルで押し出します。ニードルの先がネジの真ん中を外すと、力を強めたときに蝶番がはち切れるので、そこだけ注意です。
上のゴマ粒みたいなものが、折れて詰まっていたネジです。無事に直りました。フレーム捨てなくて良かったですね。
18.12.14
ブルバキから徒歩2分程の場所に、コーヒーの焙煎所があります。にわかに信じがたいと思いますが、ファミリーマートを越えて左折し、久遠寺で右に曲がるとあります。入り口のガラスから奥を覗きますと、デカイ焙煎機が見えます。
個人にも販売をしてくださるので、初めて買ってみました。袋がいい感じです。コーヒーまみれなので、店の匂いもいい感じです。土日休みでした。
「どんな味が好み?」
みたいに、まず聞いて下さりました。初心者に優しいお店です。この時点でリピート確定です。酸っぱいより苦いと答えて、おそらくブレンド?を買いました。
そもそものきっかけは、このミルを頂いたからです。扶桑軽金属のもの。明治村の帝国ホテルっぽくてカッコいい。メーカー名もゴツくてカッコいい。一回バラして、サビ取りだけしました。刃の調整とかあるんですかね。とりあえず、形として元には戻っています。絶妙なバランスが崩れたかもしれませんが、もう遅いです。
そういえば今年の骨董市では、ヴィンテージのミルを販売している方もいらっしゃいました。その時に、こういうのもヴィンテージの世界があるんだなと、感心した記憶が残っていたのも、きっかけとしてあります。そんな話を他人に言いまくっていたら、自分の元に偶然来たので使ってみます。
コーヒーの味はそこまで詳細に識別出来ないので、とりあえずいつも通り物から入ります。私が、大地の香りとマスカットの様な酸味が…みたいなことを言ったときは、大体分かってないです。
18.12.11
持ち込み品の枠入れ。小豆色っぽい茶色です。貼り合わせで表面はクリアで光沢が綺麗です。水羊羹に近い表面です。
困ったことに、初めの段階では、腕が開き過ぎています。側頭幅170ミリ以上、尚且つ左腕のみが異常に開いています。
今回は、フロントに着目しまして、リムが0カーブ(ほぼ平ら)であることを利用し、枠入れと同時に型直しを行います。
特別なことではなくて、ただ球面レンズを枠入れするだけです。この方はガラスを所望しておりまして、度数が低いことから屈折率1.52のガラスを選択しました。この条件でのレンズカーブが5カーブでして、それであればリムを削ったレンズに沿わせることで、丸まる様にテンプルも閉じていきます。
右レンズのみ入れた状態です。向かって左です。理想的に閉じています。
5カーブのレンズ。レンズ自体は特別なものではありません。フレームとレンズカーブが著しく異なる為、枠入れはやや大変です。
枠入れ後。レンズに沿って、リムにカーブがついています。ガラスレンズであれば、レンズごと温めても表面のコーティングの割れが起こりません。一緒にヒーターに当てて、しっかりと両者のカーブを合わせています。それに伴って、テンプルの開きがしっかりと抑えられます。
完成しました。側頭幅150ミリまで、自然に閉じました。このお客さんは、これくらいの幅なのでたまたまピッタリです。とりあえず、何とかかけられる状態にまで戻せました。
リムにカーブが既についている場合は、蝶番部分にセルを貼り付けて開き量を調節します。それはそれで良いですが、あまり弄らずに直せる場合は、まずその方法を優先しています。
18.12.08
12月9日の日曜日は、14時ごろにはちゃんと開きます。開店と同時に、検眼の予約が入っております。そちらに専念します。
18.12.07
新しい生活のリズムに慣れてきまして、昨日の休日は、念願の暇を手に入れました。午前中からずっと家で本を読んでいました。
それが、写真の『暇と退屈の倫理学』です。本屋さんで見かけて、まず題名でグッと来て買いましたが、多分お客さんに教えて頂いた本だったなと、書いていて思い出しました。
まず序章、〈「好きなこと」とは何か?〉という章題で、すでに読んでみたくなった方がいらっしゃるはずです。とにかく、通読しないと意味がありませんし、私のような浅学な者が掻い摘んで要約など拵えることは到底出来ない内容でした。ただし、今年で一番、いや読んできたものを思い返してみても、近年稀にみる感動を覚えた本でした。自分にとって大事な一冊になったと思います。
お店を構えて1年あまり、定常状態が実現されつつあります。そこに不安を感じていた時期です。居候の豊橋時代を含めて3年、荒波しかない毎日でしたから。その先に訪れる平静、まさにそれが本に出てくるハイデカーの退屈の分類に当てはまりました。退屈の第三形式です。何となく退屈というやつです。
そして、本に書いてあるダメな解決例、まさに大きな決断をするべきか、それともしないべきか考えているところでした。決断をしたところで、またその決断をベースとした定常状態が訪れるわけですから、長い目で見れば繰り返しているだけです。その永遠に終わらない循環によって疲弊し、自己喪失するところでした。
この本の題名は緻密でして、倫理学となっています。つまり、何を為すべきか、暇と退屈に対して、人間としてどういう態度で接していくのか?みたいなものがふんわりと提示されています。このふんわりさがミソだと思っています。通読すると分かります。