見るのか観るのか
雑記

16.11.10

奇蹟がくれた数式を見たひとから、「めちゃつまらん」という感想が出てきたので、もとちろんそういう感想もありますよねと思いつつ、どこが食い違うポイントだったのかと振り返り、昨日は何を書こうか忘れ、今ようやく思い出せたので書きます。

直感と論理の衝突が映画のポイントでした。おそらく。インドとイギリスというお国柄も衝突ポイントではありますが、根っこの衝突のポイントはそこだと思います。

なので直感と論理を含めて理性という考え方がないとつまらないかもしれません。もしくは直感や感性は論理に対して曖昧で劣ったものという考えが初めからあると、主人公ラマヌジャンへの共感が出来ないかもしれませんね。

あとは、数学では発明という言葉を使いません。新しい法則・定理が証明されたりした場合は、発見といいます。

あらかじめ、神なり、たとえ無神論者だとしても大いなる自然・宇宙が作った法則がすでにあって、それを人間が後から認識しているという捉え方です。これも、ラマヌジャンを理解するポイントなのかと思います。

ですから、以前のブログに関連しますが、数学は「太陽は美しい」派でしょうね。あらかじめ美しさがあるという考えです。見方によって美しく見えるというのとは、ちょっと違います。


メガネのはなし

16.11.09

世界には、意外にメガネは転がっていないですね。実生活で出会うメガネを探していますが、毎日というのは中々難しいです。本日のインスタは、たまたまケータイに残っていた画像で済ませてしまいました…。

今年の10月、展示会で東京に行った際は、東京メトロの伊勢丹のある駅は(新宿なんとか)石原さとみさんのポスターで埋め尽くされていました。そのポスターでは、セル巻き風のメガネしていました。それからポスターを気にするようにしていますが、メガネの地位は向上しているようでまだまだですね。それ以来、あんまりメガネをつけた人が載っているポスターを見ません。出来れば無い方がいい物という認識は、まだまだ根深そうです。

奇蹟がくれた数式
雑記

16.11.08

観ました。まさに、直観と分析(論理)のせめぎ合いの映画でした。直覚から 分析に至らそうと、イギリス人ハーディが奮闘しますが、分析よりも直覚のみでひたすら突き進みたいラマヌジャンとの衝突が描かれています。特別、数学の知識は無くていけます。友情劇として観られます。ただ、バートランドラッセルをちょっとでも知っておくと、より一層おもしろいはずです。意外にラッセルのセリフが多いです。ラッセル・アインシュタイン宣言のラッセルです。

本来は泣ける映画では無いかもしれませんが、私はボロ泣きでした。ハーディがやっぱりいいひと過ぎて泣けました。泣くまで感動しなくても、ケンブリッジ大学の荘厳さが大画面で見られるだけでも鳥肌ものです。なんといってもインドの景色が美しいです。

登場人物のメガネがカッコいいですよ。みんなレンズがノンコートで白色の反射光がバチバチしています。再現度高めです。

あとは、ハーディの左手小指についたシグネットリングがカッコいいです。服装全体の厳格さももちろんカッコいいわけですが、特に小物に目が留まりました。

忘れないうちに
目のことレンズのこと

16.11.08

目とレンズの距離について。

本日お客さんで、他所でメガネを買った際に、まつ毛がレンズに当たると店員に言ったら、

「高さを出すと、目が小さく見えちゃうから…」

と言われて、購入時の鼻パッド等々のフィッティングをしてもらえなかった方がいらっしゃいました。まさかのフィッティングの断られ方?避けられ方?でしたので、忘れないうちに見解を記しておきます。

様々な流派がありますので断定は出来ませんが、目とレンズの距離で望ましいとされている数値は13ミリくらいです。測定後の仮枠の距離がそれくらいです。そこそこ離れている感じに見えます。

なので13ミリは、若干教科書的な数値でして、実際はメタルの鼻パッド付きフレームで目とレンズの距離が10ミリ、プラ枠ですと8ミリくらいでしょうね。ちなみに、目とレンズの距離は頂間距離と言います。

頂間距離は、物理的な要因を全く無視すれば、近ければ近いほどいいです。収差ですとか、目に対しての悪い要素が減ります。ただし、無視すればという仮定です。基本、まつ毛が当たらないように近づけてあげるのがベストでしょう。くどいですが、まつ毛に当たらないことが前提です。不快感もそうですが、レンズのコーティングが早く摩耗しちゃうのも理由です。

遠く用のレンズは頂間距離が開けば、目はより小さく外部からは見えます。ただ、1ミリ2ミリの差では、さほど変化は感じられないのでは無いでしょうか?ある程度、メガネをかけた段階で小さくなるのは決定しています。ちょっと離すくらいで、もはや大して変わらないと思います。

 

フィッティングを直すことでしたら、その場で直して差し上げられますので、まだいいですけどね。その方は、力の入ったまばたきがかなり多かったので、目が疲れているのでしょう。今日は、外で撤収作業をしており、パソコンのような近業ではないと仰っていました。なのに相当な回数のまばたきでした。まばたき、両眼の動き等々も観察しています。重要な情報です。おそらく、レンズも良く無いのでしょうね。

⑴度数が強めで、フレームの大きさが50ミリなので、おそらく1.74の非球面レンズを使っている様子。目の位置とレンズの位置を合わせていない(芯取りしていない)ので、収差が出て使いにくい。

⑵左右とも球面度数のみで乱視無し。乱視が全く無いというのは(処方するかしないかは別で)わりと稀です。おそらく乱視が未補正、そのかわりオーバーマイナスで、ちょっと無理して視力1.0という感じに仕上げている。その為、夕方しんどい。前回のブログの内容に近い話。

⑶2階の柔らかな光でもそこそこ瞬きがありましたが、一階の蛍光灯の白い光に晒されたときに、身体・視線の移動ごとに瞬きがバチバチしていたので、パソコン用コーティング(ブルーミラー)の反射がチラついて疲れる、鬱陶しく感じている。

それなりのお値段のメガネ屋さんで作られています。それなりのお値段のお店でも、こういう事例がますます増えてくるんだろうなと考えますと、相当に凹みます。そりゃ結果、量販でいいやになっちゃうよねと。

フレームカーブの変更
修理とメンテ

16.11.07

専用のヤットコです。メタルフレームのカーブを増すor減らすために使います。

先ほどの八角形のフランスのフレームですが、ほぼ平らなレンズを入れるために、フレーム自体のカーブを減らしております。

img_0364

レンズもフレームも同じくらいのカーブです。ほぼ平らです。綺麗に仕上げるためには、それなりの準備が必要です。

お客さんのメガネ×2
ヴィンテージのメガネ

16.11.07

上:90年代の日本(レンズサイズ-7㎜、チタンパッドに交換済み)

下:70年代のフランス(鼻パッド、先セル新品に交換済み)

それぞれ、カスタマイズや部品交換を施しました。

レンズのコーティングが、上と下で違います。上はクラシックな雰囲気がさらに増すように、特殊なコーティングをしております。反射光が白色です。下は、一般的なレンズの反射防止コーティングです。反射光が緑色です。

上下フレームとも、、そこそこ度数があるので非球面レンズを見栄えの点からも選択をして、ほぼ平らな表面に仕上げております。そうしますと光の反射がパキッとしますので、知的な感じがさらにするでしょうね。いい感じです。

レンズの選択で、見栄えは変わります。色、コーティング、全面カーブ、材質…。実際は、下のフランスのフレームの方が古いものですが、上のフレームの方が古く見えなくも無いです。

やはり、メガネはフレームとレンズが一体となってはじめてメガネになります。不可分という持論です。

古いブルータスを読む
雑記

16.11.06

ブルータスの、半年に一回のファッション特集を、時代を遡って読み返しています。明らかに、2016年は異色だったなと思います。2015年以前と明らかに本の構成が違うので、激変の年だったのかと振り返っています。

祐真さんの記事があって、

「衝動買いこそ、ファッションである」

という題名でした。そこまで言い切れるところがやはり凄いですね。2014年秋冬のブルータスです。

ラマヌジャン引き続き
雑記

16.11.05

ラマヌジャン数という数字があります。1729です。

ブルバキはURLの数字が1139です。1729にしたらよかったですね。先見があって。たまたまその時に時刻が11時39分だったので、理由はそれだけです。

この由来をお話したら、江頭的なやつ?と言われました。果たして2時50分が、江頭さんの芸名が決まった時刻かどうかは知らないですけど、なるほどなと。気づかなかったです。

江頭さんは、見えないところで相当努力をされている方なので、決め方が一緒なら嬉しいですね。

ラマヌジャン
雑記

16.11.05

おそらくどこかで、まだ公開中です。

「奇蹟がくれた数式」奇蹟がくれた数式の公式サイト

お店をやっている以上、土日に自分のお店以外に行くことを推奨するのは自分でもどうかと思いましたが、そろそろ公開が終わってしまうのではと危惧しましたのでご紹介。私もまだ見れていません…。休日のお出かけにどうぞ。

屋号がブルバキですからね。久々に数学ネタです。インドの天才数学者、ラマヌジャンの映画です。

時代としては、それこそ数学がブルバキによって構造の概念を手に入れ、整理される前です。映画は友情を主軸に描かれているようです。ゴリゴリの数学の映画では無さそうです。ラマヌジャンが直感から様々な定理を発見し、それをイギリスのハーディが厳密に証明していく様子も描かれているようす。いまの数学に慣れている私たちからは想像も出来ないくらい大変だったのでしょうね。無限とか集合とか、大荒れの時代だったと記憶しています。間違いだったらすみません。

論理だけではたどり着けない地点があります。小林秀雄さんも

「自然科学(論理)は構造の分析でしかない。直覚から分析へは至るが、分析から直覚へは至らない。」

と、講演集で仰っておりました。岡潔さんとの対談、人間の建設では、数学者の岡さんも似たようなことを仰っていました。仏教的な、非思慮による発見でしか到達出来ないという予感がするみたいです。非連続的な、歩き続けるだけではなく跳躍が必要な瞬間があるのでしょう。分析がダメということではありません。どちらも要りますが、双方向では無いということです。

話は変わりまして。衝動買いという行為があります。一般には悪とか失敗と捉えらえる行為です。ですが、果たしてそうでしょうか?衝動買いは、感性でしかない、直覚による買い物であります。自己の感性が剥き出しの買い物です。昨今の情報ドバドバの状況で、買い物に限らずここまで分析を排除した決定行為はあるのか?と、考えますと、少ないのかなと思われます。とりあえずスマホで調べちゃいますもんね。

やはり衝動買いの後の、分析の仕方がいかんでしょうね。そこが混同され、悪と認識されているのでしょう。買い物でいう分析とは、おおよそ他者・他物との比較と同意義なので。そこでしまったと思っても、その剥き出しの感性がした行為を自ら引き受けることで、予期せぬ発展があるかもしれません。使い方を追求するか、自分の感性を醸成させて、物を違ったように見えるようにするか。そこがメガネでも何でも醍醐味だと思います。

いまは買い物出来るような状況でも無いのですが、先日お客さんとお話をしていまして。つらつらとここまで偉そうに書いている自分自身、衝動買いが減ったなと、お話を聞きながら反省した記憶がありました。

最終的に映画のことがすっ飛びましたが、どうか良い休日をお過ごしください。

理性と感性について
雑記

16.11.04

NHK ヨーコさんの“言葉”

ヨーコさんの“言葉” NHKのページ

5分番組です。木曜日の22時45分から。Eテレにて。初めて観ました。たまたまです。テレビによる徹底的な受動も、たまには悪く無いと思います。

楽しい感じの、ちょっとした自虐込みのエッセイ番組です。ただ、ところどころにピリッとする表現がありました。自分では上手く言葉で表現できなくて、脳の中がむず痒くなるようなことでも、軽やかに表現されていて、感動しました。おそらく来週も観ます。

「…理性は矛盾を許さない。しかし感性は矛盾のマグマだ。…」

マグマだから、許す許さないの話では対処出来ない訳ですね。納得。

 

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